正義感の存在を信じられない人間にはなるまい 『葛城事件』感想(ネタバレあり)

 

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葛城事件……きつかった! もうひったすらきつかった!! でも、お父さんキャラがアホすぎて笑ってもしまう……。なんというかね、泣きながら笑って見てました。ゲラゲラ泣く……という稀有な体験ですな。

とりあえず家父長制っぽい話、おっさんっぽい話はもうされまくっているはずなので、そこはもういいかな……という。そういう話がしたければ↓を見てくれ。


【絶賛】宇多丸 映画「葛城事件」シネマハスラー

 

というわけでこの記事ではあまり触れられていないであろう以下二つの論点に絞って書いていく。具体的にいうと↓な感じ。

①星野順子(田中麗奈)さんの話。

②若者的にいうと稔くんってどうなの? という話。

 

1、星野順子(田中麗奈)さんの話

本作は元が舞台ということで、会話シーンを基本単位として話を積み上げていく感じとか非常にそれっぽいところがあったと思うのだが、中でも一番舞台っぽいさに貢献していたのは星野さんの存在だったろうと思う。登場キャラクターが全員悪い方向に狂っている中で、星野さんの存在は一種の清涼剤として機能していており、この点はもっと評価されるべきだろう。もっというと、作品のテーマ的にも彼女の貢献度は無視できないほど大きいと思う。つまり、彼女の存在は「古いタイプの男性」をかなり痛い水準で告発しているので……身につまされるんだよなあというねえ。

星野さんはバックボーンが一切説明されないキャラクターで、かつ葛城家にとっては部外者である。その上、「獄中結婚」のように全く唐突すぎる理由で登場するので、正直、清による「お前はどこの新興宗教だ!」というツッコみがまったくふさわしい程度には怪しい人。ただ、この怪しさの背後に何があるのかを視聴者に明示しない、という描き方がかなーーーりうまいと思った。星野さんについては、ただ「死刑制度に反対している活動家」という説明があるだけなのだが、その背後に「何か」あるんだろうな~~と、視聴者は期待しながら見てしまうんだけど、ここが壮大な罠。

というのも、星野さんの怪しさの背後には実はなにもなくて、単に正義感とか誠実さがあるだけなのである。いや、正義感とか誠実さが怪しいってそれおかしくない? っていう話なんだけど、私たちは「偽善」とか「打算」といった考え方に脳みそを犯されまくっているので、単純に正義感で活動している人を正当に評価できず、あいつ絶対裏あるッショ……とか思ってしまうのである。作中の描かれ方でいうと、清にしろ稔にしろ、「この女はなんでこんなことやってるんだ?」という風に戸惑うばかりで星野さんのことをを全然理解できておらず、星野さんの背後に打算とか偽善を見出す。で、悪いことにその「打算」に擦り寄る。清の最後の発言とかほんとにひどい。「俺が三人殺したら、俺のことかまってくれるのか?」って……おいおい、というね。

ですごいことに、これは単なるクズ描写とか甘え描写以上の意味合いがある。つまり、男性は一般的に女性に対して「誠実であれ」「打算とか一切なしで男と付き合え」といった負荷をかけたがるもの。だが、そういったファンタジーを、実は男性側が全く信じていない……という悲しいアレが告発される。お前らはいざ正義と誠実さを信じてる女性に出会っても、偽善者とか言ってイジメるだけじゃん!! という点が告発されているんだよね。で、男性はそういうマッチポンプ的攻撃を散々した上で、まさに「打算」というロジックを動員することによって「俺をかまって!!!」と女性に対し主張し始めるという、この、ダメダメ感ね……。ほんとキツイ。キツイし、泣けるし、もはや笑うしかないというどうしようもなさがある。なんというか、フェミニズムを持ち出して「構って構って」してるいわゆる「弱者男性」的なダメさにも通じるよなあという。ほんとキツイ。

 

2,若者的にいうと稔くんってどうなの? という話。

結構リアルです!! 結構俺っぽいです!! なのでかな~~~りキツイっす。特に「声優を目指してるから喉を傷めないために筆談してます」みたいなノリ! いやね、もちろんこの通りのことをやってる少年はそんなにいないと思うんですよ。でも、なんというか目標と努力の絶妙にアンバランスな感じ、噛み合ってない感じが、中二病っぽい「こだわり」の着地点としてかなりリアリティがあり、正直、やめろ……となった。後はやっぱり喋り方。唐突に敬語使い出す感じのこう……知的ぶって失敗してる感じがね……きつい……。

そして何よりも「いじけ」の描かれ方がかな~~~~~りリアルだなあと思った。私も結構ないじけ民なのだが、いじけというものは「甘え」という光に対する闇のようなものなんですよね。だからある種、甘えが前提の態度なわけですよ、いじけは。稔くんと星野さんが交流するシーンでは、稔くんの中で「いじけたい」と「甘えたい」が葛藤しているのがありありと見て取れるわけだが、この演技はほんとすごいなーと思った。というか星野さんが聖人すぎてやばいなと思った。

ちなみに、稔くんが部分的にではあれ素直に甘えているシーンが一瞬あって、それはお母さんの伸子さんと二人暮らしをしている時の最後の晩餐シーンである。母、兄、弟三人によるあのシーンのリラックス感はやばい。であの平和感を見て、私は前々から温めていた仮説がまた実証されたと感じたのです。その名も「父抜きの家父長制は最高のシステムである仮説」、あるいは「母、子、使用人からなる家父長制的共同体の安定感やばい仮説」*1。なんつーかね、もちろん家父長的暴君の存在が前提になってるから全然健全ではないんだけど、父がいないことによる平和感ってやばいんだよね……。あそこはほんと「わかる……」となった。で、あの平和な世界で稔くんが「うな重かな……」とか言ってるのだが、あの時は「いじけ」がかなり後退して、「甘え」になってたんだよね。まあ、甘えの前提は平和状態ということなんだろうなあ……。ここもかなりリアリティがあってなあ……キツイ。

 

とまあ、キツイながらも誠実に作られた映画でかなりよかった。のだが、一点苦情をいう。この映画、タイムラインがちょっと分かりにくいのではなかろうか。特に、まだお母さんの伸子さんの現状(病院? にいる)を知らない視聴者からすると、清がセックスを拒否されるシーンがいつのことなのかちょっと読み取れないんじゃないかと思った。「どうしてここまで来ちゃったの……」的な象徴的なセリフからしても、事件後っぽい感じもするし……。まあここで生じたもやもやは後で氷解するから、全体としての最適化はやってあるとは思うのだが……

*1:ゲームオブスローンズとかね。サーセイがリーダーシップとってる王都が一番好きだったんだよなあ。