「神聖帝国の姫」と「反動主義者の姫」から愛された最強の「姫」キャラ 「マリー・アントワネット展」感想
「マリー・アントワネット」展を見てきた。
一人で見てきたのだが、とてもよかったので感想を書く。っていうか、絶対行くつもりだったのに忙しくてちょっと出遅れてしまったので悔しい。
1 マリー・アントワネットの私的キャラ理解
「マリー・アントワネット」のキャラ性を説明する時は、普通「浪費癖の王女」という路線から入ると思う。髪型とか。ケーキがどうとか。が、私はどちらかというと文化史よりも外交史的アプローチの方が好きなので、マリー・アントワネットはまず何よりも「あのマリアテレジアの娘だよ」という風にフックされる。っていうか七年戦争のすぐ次の世代がフランス革命とかやってたと思うと18世紀イベント多すぎぃ! となるよね。まあそんなこんなで、マリー・アントワネットは私的にはまず「娘」キャラなんです。
で、マリアテレジアの娘っていうネタの次に何が来るかというと、まだ髪型とかケーキではない。次に来るのは、マリー・アントワネットがあのアングレーム公爵夫人マリー・テレーズの実母なのだ! というポイント。このアングレーム公爵夫人、私が好きな歴史上の人物BEST5に余裕でランクインする人で、「マリー・アントワネット」という単語を聞くとすぐ「あー、アングレーム公爵夫人のお母さんな」と反応してしまうくらいだ。
つまり、私にとってマリー・アントワネットは「娘」であり「母」としての印象はあっても、実は一人の独立したキャラクターとしての印象は無いに等しい*1。言ってしまえば、個別キャラとしてはあんまり興味無い部類の人であった。
とかいいつつ、まあやっぱりこの時代とか好きだしヴェルサイユ宮殿監修だってんで見に行ったんだが、結論を言っちゃうとあれですね、よかった~~~~! というかですね、むしろこれは私のための展示だったと言ってもいいくらいよかった。もう終始ハイテンションでやばかった。
2 マリー・アントワネットは誰から愛されていたの?
あえてジャンル分けすると、マリー・アントワネットは悲劇のヒロインである。フランス革命それ自体の評価は当然のごとく脇におくとしても、やっぱり処刑されるヒロインの人気はどうしても高くなりがち。
だからマリー・アントワネットで展示をやるとしたら、当然、革命によって処刑されるシーンが一つのクライマックスになるはずで、そこに客側の熱狂のピークを持ってこなければならない。
ただ、ここで一つ問題が生じる。それは「マリー・アントワネットは誰から愛されていたのか問題」だ。
まず前提として、処刑シーンは萌える。が、なんで萌えるかというと、それはやっぱり「あれだけ愛されてたあの人が、何も分かってない奴らに殺された」っていうシチュエーションがめちゃくちゃ人の心を突き動かすからである。そうすると、処刑シーンを上手く活用するためには、まず、「生前、この人が誰からどんだけ愛されてたわけよ?」という質問にしっかりと答えておく必要があるわけだ。
が、マリー・アントワネットの場合そこがかなり難しい。第一に、彼女はフランス国民からはかなり嫌われていた。だから「悲劇のヒロインアントワネットは国民から広く愛されていた王妃でしたが、若くして断頭台の露と消えました」系の議論は全くつかえない。というか、サンキュロットとかはアントワネットの処刑を喜んでたくらいなので。
じゃあ彼女を愛していたのは夫ですか? というと、この筋は使えそうでつかえない。なぜならルイ16世はブルボン王朝のメンバーとは思えないほど王侯力が低い人物だから。彼、まず愛人を作らない。うん。つまんねえええええ! 燃えないいいい! ルイ14世が誰のためにヴェルサイユ宮殿を建てたか思い出せ、愛人のためやぞあれは! それに比べてルイ16世は正妻たるアントワネットに離宮をプレゼントしたりしてる。退屈ううう! というわけで、「アントワネットはその夫たるルイ16世から愛されてました」という議論は、正直「奥さんは大事にしようね!」レベルのくっそつまらない中流道徳の手本みたいなアレなので、コンテンツ力はゼロです。我々庶民は18Cから19Cの王侯貴族に非ブルジョワ的なところを求めているわけで、夫婦愛とかを展示のコアに持ってきたら確実に説教臭くて刺激ゼロの展示になってたことは言うまでもないです。
よし、なら愛人か……。マリー・アントワネットは愛人のフェルセン君から愛されていたが、殺されたという話にするか! というのがオーソドックスなオチなのだが、アントワネットの方も愛人は一人しか持っていない。はい。少ねえええ!! お前はそれでもフランス王妃かい!! もっと楽しんでいけや!!……まあ、パリには男なんぞよりほかに楽しいこと本当にいっぱいあったんだろうな、というのが伝わってきていい感じだけど……。あとさ、一回だとマジのラブロマンスっぽいだろ! かわいすぎるだろ!!! いや、フェルセン君の方の態度も相まって、ほんといやらしいところがなさすぎる愛人関係なので逆に燃えないわ!
……しかもこのラブロマンス、ガッツリと政治的負荷がかかってるので、あんまりピュアではない。実はそのせいでフェルセン君はあんま押し出して貰えないんだろうとは思った。いや、もちろん政治が絡んだ方が燃えるのはそうである。ただ今回の展示は、「政治的センスもあって影から王を操る」的な、ようはカトリーヌ・ド・メディシスとかマーガレット・アンジュー的な王女としての負荷をアントワネットにかけるつもりが全くないようで、結果としてフェルセン君のおさまりが非常に悪くなっている。つまり、フェルセン君とアントワネットの筋を押し出しすぎると、二人は外交とか政治の話もかなりするので、どうしてもアントワネットが「政治的なセンスもあった聡明なキャラ」っぽく見えてしまう。しかし、今回の展示だとアントワネットは「真性の可愛い女性(犠牲者)」なので、例えば「兄上の軍隊があれば革命軍を打ち破れる……!」みたいなより保守的なマリーアントワネット像とは距離を置く必要がどうしてもあって、その必要に応えるためにどうしても愛人たるフェルセン君には引っ込んでもらいたかったんだろうなあとは思った。
あと最後に、「アントワネットは女友達からめっちゃ愛されてたんだよ」っていう筋も多分可能だったと思う。例えばルブランさんとの友情を押し出すとか。実際、宮廷に出入りしてた女性たちの交流って、一般に言われてるような「ドロドロした」ものではなく(むろんそういうのが無かったわけではないが)、普通に俺も参加してみたいわ……となるタイプのそれだし。特にアントワネットみたいな天才的な聡明さはないが努力家タイプって感じのキャラだと、フランス宮廷にどんな時代でも一定数いる、めっちゃ頭いい女性とか、感性キレッキレの女性とかとの交流はめっちゃ楽しかったろうし、しかも金をガシガシ使ってそういう人たちとの交流をファッションや劇として形にできたわけだから、確実に、本当に楽しかったはずで、そういう幸せな時間を全面に押し出した後に処刑シーンをガツン!と入れたら、まあそれはもうとんでもなく心が動かされるよね、とは思った。
が、多分こういう「女の連帯」的な筋を押しすぎるのは尖りすぎかなという判断があったんだろうなとは思った。予算もかなりかかってる展示会だろうし。あと、やっぱりここで言う「女の連帯」って結局は貴族階級内在的なものであって、我が国も「格差社会」とか言われて久しいので、「お金持ちの文化的活動を破壊した庶民たちの浅はかさよ!」とか、メッセージが変に受け止められる可能性もあるから、まあ回避されたのもしかたないかなあとは思った。けどこの筋でやったら絶対面白いとは思う。
3 二人の「姫」から愛されていたんだよ!
さて。じゃあ、アントワネットは誰から愛されてたんだよ! という話になる。国民も夫も愛人も女友達も使えないんですものね(あくまで展示的な意味で、ってことですが)。でも大丈夫。アントワネットは二人の姫から愛されていたのです。しかも、歴史上最強レベルの姫から。そんな人物二人からガチで愛された姫なので、マリー・アントワネットはもうほんと姫の中の姫なのです。姫の王と言ってもいい。
4 「神聖帝国の姫」マリア・テレジア
マリー・アントワネットLOVEの姫第一号は、アントワネットの母であるマリアテレジアその人。展示とかガイド音声の構成的に、「うわアントワネットめっちゃお母様から愛されてんなーおい!!」という感じが伝わってくる。
今回の展示、当然のごとくマリー・アントワネットの少女時代から始まるのだが、そこでハプスブルク家のメンバーが紹介される。中でも、アントワネットの母であるマリアテレジアが一番プッシュされている。例えば音声ガイドの内容とかは、前半はほとんどマリーとマリア・テレジアの母子関係にスポットをあてていて、これが萌える。マリアテレジア、娘のこと心配しすぎ!!! もうね、これがフリードリヒ2世と二回もガチでやりあったあのマリア・テレジアの発言かよというね。手紙送りすぎだろゴルア!
私が一番やばいなと思ったのは、マリー・アントワネットとフランス王太子との結婚式典を再現したテーブルの展示! これやばい。何がやばいかというと、部屋の真ん中にオフィスの島を二つくっつけたようなでかいテーブルがあるのだが、各席に、当時そこに座った人たちの名前が書いてあるわけです。例えば一番の上座には当然ルイ15世がいて、続いて王太子勢とかロイヤルファミリー、そんでコンデ家なんかの親王家筋の連中、庶子家系の連中が座るわけですが……いや、普通に怖いわ!! 俺だったら泣くわ!! 全員ブルボンで、ハプスブルクはマリ一人だけですよ!!
上の世代、つまりマリア・テレジアの世代でこそフランスとオーストリアは同盟したわけだけど、ブルボンとハプスブルクは戦争してた時期の方がずっとずっと長いわけですよね。というか近世ヨーロッパ=ブルボンVSハプスブルクという表現は全然大げさじゃないレベルですからね。そもそもルイ15世の前代のルイ14世(血筋的には父じゃなくて曾祖父)の治世なんてのはもう、フランスはずっとハプスブルク家と戦争してたわけで。そんなブルボン家の連中ばっかりのテーブルに、たったひとりハプスブルク少女が座ってるという事実の緊張感、やばい。しかも事前にマリア・テレジアとマリー・アントワネットの母子関係を強調している分、もうほんと心からアントワネットを心配しちゃいます! あのテーブルを一周するだけで、完全アウェー空間に娘を放り込んでしまったああ! 外交のためとはいえマジでこれは失敗だった、今すぐ取り消したい!! アントワネット早くウィーン帰ってこい! となります。しかもご丁寧に、その展示室には百合の紋章が印された垂幕*2まで垂らしてあって!! アントワネットがいろんな意味でフランスに取られてしまった感がやばい。
展示の前半部でマリアテレジア視点が強調されていると私が確信している根拠は他にもあります。それはガイド音声に「マリー・アントワネットがフランス宮廷の悪癖に染まる」といった表現が、地の文章として出て来ることです。正直、ヘッドホンでこの下りを聞いた時は爆笑しました。周りの人からヤバイ人判定されてしまったが、しかし、どう考えてもおかしいだろという。地の文なのにまったく中立的じゃないというwww
この文章がどういう下りで出てくるかというと、アントワネットが大体フランスに馴染んで来てファッションなどの「浪費」に手を出し始めるところなんですが、この文脈でフランス宮廷の「悪癖」がどうとか言いだす人物、マリアテレジア以外考えられんだろうという感じで萌えてしまう。
しかもこの部分の展示の見せ方がうまい! つまり、直前のテーブル展示でアントワネットのアウェー感が明確に示されるので、閲覧者側としてはもう「やばい!!! アントワネット絶対いじめられる!!!!!!!!」と警戒心マックスで次のコーナーに行くわけです。でも次の展示は、赤ん坊が生まれて王妃としての地位が盤石になったとかと、ファッションがどうとかという話。特にファッションと宮廷の設備やしきたり面などの話に重点が移っていって、文化人としてのアントワネットが強調され始まるわけです。あの奇抜な髪型の紹介など、いわゆる「マリー・アントワネットっぽい」モチーフがどんどん登場するわけですね。そういう展示の導入で、地の文が「アントワネットがフランス宮廷の悪癖に染まった」なので、もう萌える萌える。
つまり前半の音声ガイド、思いの外パリライフを満喫しちゃってるアントワネット(ちょい天然入ってるよね)に対して「えっ……この髪型何? この娘大丈夫か……大丈夫なのか? 」というマリアテレジアのガチ心配ボイスとして聞ける設計になっていて、もうこれがいいよね。この地が出てる感がめっちゃギャップ萌え。マリアテレジアとか、正直めっちゃ冷徹な怖い人で、多分本心とか絶対表に出さない政治的な人物なんだろうなという印象があるんだが、娘に対する心配で地を出しやがったなこいつ!! 萌えやんけ!! となる。
5 「反動主義者の姫」アングレーム公爵夫人
もう一人、マリー・アントワネットを愛してやまない「姫」がいます。それがアングレーム公爵夫人たるマリー・テレーズです。つまりアントワネットの娘です。後半は完全にこのアングレーム公爵夫人が主人公です。というか、後半の展示は多分アングレーム公爵夫人ならどうするか、という視点で設計されてます。おかげで、「うわああ! マリー・アントワネットは娘からこんなに愛されてたのかー」感と同時に「マリー・アントワネットめっちゃかっこええやん! 色々やってたんだなー!」感が伝わってきます。
ちなみに将来アングレーム公爵夫人を名乗るマリー・テレーズ、この画像でいうと一番左の人物です。
マリー・アントワネットと子供たち(ヴィジェ=ルブラン作、1787年。ヴェルサイユ宮殿)
アングレーム公爵夫人マリー・テレーズという人物は、アントワネットの子どもたちの中では唯一長生きした人。マリーは全部で4人の子を授かったわけですが、4人中2人が夭逝して、第二子のルイ17世は亡命しそこなったので革命政府に監禁されて亡くなってしまいます。で、そのルイ17世もそこまで元気がある子ではなかったので、実質的に一番溺愛されたのはアングレーム公爵夫人すなわちマリー・テレーズなのです。
さて、展示の後半部は、アントワネットのプライベートに重点が移っていきます。つまり、最序盤は王妃あるいは文化人としてのアントワネットが営んだ公的生活が扱われるわけですが、後半で扱われるのは子育てや離宮での暮らしなど、彼女の私的な生活なのです。
で、最初に宣言しておきますが、私としては「子育てしてるアントワネット萌えー」とか言うつもりは全く無いです。正直、アントワネットが裁判の時にルソーっぽいことを言い出した時は笑ってしまうくらいの人間でして私。
ただ、アントワネットの私的生活を描くのは結構難しいので、正直どうやるんだろうなとは思っていたのです。もっと正直に言うと、「(私が心から敬愛する)アングレーム公爵夫人が納得するようなマリー・アントワネット紹介の仕方になっているんだろうか?」という意識があったのです。
アングレーム公爵夫人はアンシャンレジームに対する最後にして最大の擁護者でした。まあ、こういうこと言うのはダサいとは思うんですが、あえて言います。自分の母親を革命に殺された人物ですから、そりゃ反動に走ります。
貴族階級が落ちぶれていく19世紀にあって、彼女は決してブルジョワ的な道徳を受け入れなかったばかりでなく、むしろ貴族階級の維持のために最後まで戦った人なわけです。ガチガチのレジテミストにしてユルトラ。例えば王政復古期においては、パリに残った貴族勢力をまとめ上げてブルジョワかぶれのオルレアン派と熾烈なバトルをするという。もうめちゃくちゃかっこいいですわい。おかげでフランス中、いやヨーロッパ中の反動主義者にとって、彼女は「姫」だったわけです。反動主義者の「姫」、アングレーム公爵夫人ここにありです。
そんなアングレーム公爵夫人ですから、「中流家庭的な」マリー・アントワネット紹介は絶対やらなかっただろうなという思いがあります。あくまで貴族としてのアントワネットを描いただろうと。とはいえ、マリー・アントワネットは子育てを自分でやっちゃうとか、結構「家庭的」なところもあって、そこの配慮が難しいんですよね。つまり、アングレーム公爵夫人的には、母親にめっちゃ愛されてる自分を強調したくてしょうがないんだけど、でもそれをやりすぎると、アントワネットがさも子育てママであるかのように見えてしまって、そうなると彼女の貴族性が台無しにされちゃう~~~というジレンマ。
このジレンマを解消するべく(!?)、展示は色々頑張ってます。ようは、マリー・アントワネットが子育てと並行して、いかに色々やっていたかということを描き出すわけです。まずルブランなどの文化人との交流や、当時は下着とみなされた「ゴールドレス」姿の絵を公開などに始まり、離宮を自分好みにカスタマイズするとか、磁器のコンクールを開くとか……そして、フェルセン君とのラブロマンスなども。色々やってるなおい!
そして、革命の波が押し寄せて来た時に、マリー・アントワネットがいかに果敢だったかということも描いています。例えばアントワネットが革命政府に軟禁されてしまった時期に作り上げた絨毯なんかも展示されてるんですが、このバランス感覚も上手いなーと思いますよね。この絨毯、めっちゃでかいです。大展示室の壁が一面覆われるレベルででかい。普通こんな馬鹿でかい絨毯を見て「裁縫やってんなー」とはならない。むしろアントワネットがどうにかして自分の領土を取り戻すべく奮闘してるメッセージ性あふれる営みとして絨毯作成があったんだろうなあと分かる。しかも、この絨毯は本当に常軌を逸してでかいので、なんとなくアントワネットの天然っぽい可愛さアピールにもなっており、これならアングレーム公爵夫人も納得するかもなあとか思ったのでした。むろん一人で作ったわけではないけど、絨毯は本当にアントワネットのキャラが出てる展示で、とてもよかったと思う。
でも最後の「ギロチン台にひきたてられるアントワネット」という絵画。裁判の方は普通にかっこいいなとは思ったけど、これはちょっとどうなのと思った。マリー・アントワネット処刑の扱い、今のご時世を考えれば正直異常と言っていいほどアントワネットに同情的。まあもちろん彼女個人の責任ではないにしろ、当時の農民層が酷い暮らしをしている中で宮廷がどんちゃん騒ぎをやっていたという事実はやっぱりあるわけで、例えば裏番組として「革命直前期におけるフランス農民の悲惨な暮らし」とかの絵を適当に入れてバランスを取ればいいのにと思う。なんつーか、今回の展示におけるアントワネットは完全に被害者だなーという。
ギロチン台へひきたてられるアントワネット
まあそんなこんなで展示は終わるのだが、展示のオチが素晴らしい。展示のオチの絵画は、先程紹介した↓これ。
マリー・アントワネットと子供たち(ヴィジェ=ルブラン作、1787年。ヴェルサイユ宮殿)
この絵を見てすごく心を動かされました。マリー・テレーズの視線が最高すぎるだろ! というかこの空気感もうほんと神ですわ!!! いやね、これさ、絵かきが男性だったらこんなに甘えてなかったと思うんですよ。でもこれ、ルブランさんが描いてるわけです。娘の立場からすると、だから強キャラの女性二人がなんか真面目に見つめ合ってるところにチャチャ入れたくなっちゃってる感じなんでしょうねこれは。つまりマリー・テレーズの甘えは、単に母親に甘えてるだけじゃなくて、自分の母親が同性の友達となんかやってるところに「私もいるよー」みたいな感じでアピールしてるようにも見えるわけです。少女マリー・テレーズは母に近づくルブランさんを結構警戒してたに違いないわけで。だから自分がめっちゃ母に甘えてるところを恋敵であるルブランさんにあえて描かせるという高等戦術に出ている感がやばい。そしてルブランさんが「はいいいですよー」って言ったら、マリー・テレーズは緊張を解いたマリー・アントワネットからめちゃくちゃ優しくしてもらえるんだろうなあというのがもう見ただけで分かるという。つまりこの絵には、マリー・アントワネットの母にして文化人にしてフランス王妃であるといういろんな要素が凝縮されていて、彼女の人生をある種象徴しているとも言える。だから展示のオチとしてふさわしいし、なによりマリー・アントワネットが愛娘からめっちゃ愛されてたということが伝わってくるよね。この絵は、配置的には処刑シーンの後に示されるのだが、順番的には完璧に正しい演出だと思います。
memo:結構勉強になったこと
ゼーブル王立陶器工場のことはあんまり知らなかった。
ルブランさんとかあんま知らんかった。色々勉強したい。
マリー・アントワネットの遺書がロベスピエールの書斎にあったとか初めて知った。へー。何に使ってたんだろうね。