社会派なのに、優しい世界のファンタジー 「シング・ストリート 未来へのうた」


「シング・ストリート 未来へのうた」予告編

 

 有楽町のトラスト映画館で。滑り込みでなんとか見れた。係員の人に「水曜日なので1100円です」と言われたので、別に狙ったわけではないが「それはラッキーでした」みたいな返し方をしたら笑ってもらえた。なんかいい雰囲気だった。

 

 ダブリン映画。80年代の大不況、カソリック的道徳、荒れた学校、そして田舎の閉塞感。そういった諸々に押しつぶされそうになりながらも、しかし少年たちが音楽を糧に生きていこうとする青春映画。個人的にとてもよかったと思える一本。

 

 基本的な空気は男版「けいおん!」だと思う。少年たちの結成するバンド「シングストリート」は、かなりゆるくて、メンバー全員が可愛くて、しかも妙な連帯をメンバーに要求しない。そのリラックス感がすごくいい。いや、そもそもバンドは妙な連帯感を要求するものではないと言われればその通り。しかしこの映画はかなり社会派的な筋もあって、主人公たちは崩壊しかけの家庭環境・経済環境・学校環境からの逃避として音楽をやっている側面も強くある。だから、例えばヤンキーモノや暴走族モノに見られるように、一歩間違えば「はみ出し者同士の連帯」(強力かつ排他的でなくてはならない)が要求されてしまっても全く不思議ではない。が、この映画では、アイルランド社会の崩壊っぷりはある程度自然に描いているのに対して、少年少女たちに関しては優しい世界モデルが適用されているので、彼ら彼女らはそんなに本当の意味でスれてなくて、したがってバンドという連帯に対してはあまり悲惨な負荷はかからない。言葉通りの意味でクィア的というか、「なんかよくわからん連中がワラワラ集まってる」程度の負荷になってて、でもそこのおかげで可愛い感じにまとまっているという。まさにこのあたりが「けいおん!」っぽい感じ。本人たちもおもいっきり中学二年生なので、もちろんあまり賢明ではなくて、端的に言えば浅はかでアホなのだが、でもそういう幼さを全面に出してるおかげで、何をやってもいやらしさが全く無いからいいよねっていう。

 

 バンド映画なので、主人公たちは音楽を作って演奏しながら成長していく。主人公は80年台の音楽スター(デュランデュランとかザ・キュアーとか)にあこがれて、そこに近づこう、自分たちのサウンドを作ろうとするんだけど、そういった音楽スターの影響下で創作しました、というのが明確に分かるような曲とPVばかり量産していて、まあ言ってしまえばスターのパクリをしてるだけなのだが、前述のようにバンドメンバーは皆可愛いので、そういう浅はかさの裏にあざとさが見え隠れするというのが無くて、平和な心で萌えることができる。それに数曲作るうちにオリジナリティも出てくるから、最初の丸パク展開が、主人公たちの成長を示すための布石になっていて、そこも中々うまい。ただそういう創作の努力の途中途中で、崩壊した家庭環境とか、イエズス会よりもさらに過激なカソリック主義者の先生などの外部勢力が、主人公たちのメンタルをグサグサと攻撃してくるので、そういうシーンはやっぱり辛くなる。世界に打って出るぜみたいなテンションの若者を、田舎的閉塞感が包囲しにかかる感じ。社会のヤバさに比べ(こちらは自然に描かれている)、子供たちが優しい世界すぎるので(完全なファンタジーである)、そのギャップはほとんどグロテスクというべきレベルになっていて、まあそのおかげで少年たちの力強さとか、あるいは青春特有のどうしようもなさみたいなものはうまく描写できてるとは思うんだが、ややバランスが悪いなという感想もやっぱりある。とはいえ自然的な描写とファンタジー描写を混ぜあわせるのはジョン・カーニー監督の持ち芸なので、映画としてはうまい具合にまとめられているから、まあいいんだけど。*1

 

 バンド映画なので、主人公たちは音楽を通して成長してくのだが、成長との兼ね合いで言うと、やはり一番おもしろいのはヒロインと主人公の関係だろう。一般的な青春映画というものは、夢、男、オンナという三要素から成立している()。すなわち、ある夢を男が追求するが、途中で挫折してしまう。しかしこのタイミングでオンナが登場して(最初からいるかもしれないが)、「頑張って〇〇くん!」と応援することによって、男はもう一度立ち上がり、夢に向かって走りだすor夢を叶えるのである。さて。この一般的なモデルに基づいた映画を2016年に見せられると、いかに保守的な私でもさすがに「勘弁しろ……たのむから」とゲンナリする。よって、青春映画を評価する際には、この一般的なモデルからどの程度乖離しているか、新しいモデルを示すアイディアと工夫がどの程度あるのか、という点が基本的な評価軸となる。そういう筋で「シングストリート」を評価すると、ちょっとおもしろい工夫が見られる。この映画では、ラフィナ(ヒロイン)はロンドンでモデルになるという夢を持っている。そして主人公は音楽PVを作るという目標を持っていて、そこに、二人が共闘体制を取る契機がある。主人公はラフィナをPVのモデルにしようと提案し、モデル志望のラフィナはその話に飛びつく……という仕組み。つまりヒロインも夢を持っているのだ*2。この時点で一般的モデルと乖離していていい感じなのだが、一番の工夫は後半部にある。主人公の作曲クオリティがどんどん上がるにつれて、彼の作る曲はどんどんラフィナの心に突き刺さるようになっていくのだが、そんな主人公の曲が、一旦は夢破れ自暴自棄になってしまったかと思われたラフィナの心を奮い立たせ、夢に向かってもう一度がんばろうという気にさせるのだ。ここは、ライブシーンでマイクを持って歌う主人公と、誰もいない夜の公園で主人公から渡されたカセットで曲を聞くラフィナを交互に映すカメラワークになっていて、曲が進むに連れて主人公の思いが高まり、そしてラフィナがパワーを取り戻していく様子がありありと描写されており、すごく良いくて、かつ工夫とアイディアがあって、個人的にかなり気に入ったシーンだった。反動パワー(と言っていいか微妙だが)がメラメラと燃え上がって、一度徹底的に打ちのめされた人間がもう一度立ち上がる展開が大好きなのだが、そういうシーンにリアリティを与えるためには、普通、徹底的に落ちぶれ描写をやる、という方法が必要になってしまって、中盤ダレやすいという弱点がある。しかし、「シングストリート」は優しい世界映画なので、落ちぶれ描写をダラダラやったりせずに、ほとばしるエネルギーだけで勝負していて、青春映画でしかできない展開だなあとは思うのだが、わりと成功していたんじゃないかと思う。

 

 最後に面白かった点。この映画、夫婦関係の描写がめっちゃコミカルでおもしろい。舞台はダブリンなので、カソリック道徳が支配的で、故に、夫婦関係が終わっていても離婚できないという背景があり、主人公の両親も別れられずにしょっちゅう破滅的な喧嘩をする。この両親の喧嘩を、子どもたちが部屋で怯えながら聞くシーンはグサリと来る。喧嘩の声をかき消すために、音楽(!)を大音量でかけ、子どもたちが部屋で手をつないでダンスし始めるようなシーンに至っては、社会派的描写と優しい世界ファンタジー描写のギャップが最高潮に達して、グロいんだが、心には刺さるシーンになっている。さて、この両親だが、喧嘩が済むと今度はケロリとして子どもたちを呼びつけ、夫婦間交渉による決定事項を淡々と伝え始める。このシーンはなんとなく議会や小委員会の問答めいていて、冷えきった夫婦関係だからこそ可能な事務手続き感があって、笑ってはいけないのだが、どうしても「お前らさっきまで喧嘩してただろww」的なツッコミを心の中でしてしまう。パパ役がゲースロのベイリッシュ公の人なので、キャラ的にさもありなんという感じでウケてしまうのだが。

 

*1:ただまあ、社会派的筋を押し出してる作品は、話をファンタジーで終わらせず、ある程度リアルな着地点を示す義務があるんだ、という謎の信仰を私は持っている。これは「非リア向け作品のくせにお前ら全然非リアじゃないじゃん!非アリ問題を持ちだして非リアを釣っといて、中身は全編ファンタジーのリア充芸かよ!全員死んでくれ!!」というあまり一般的でないキレ方をする人々向けの信仰なので、まあ普遍性とかなんにもないんだが、とにかくそういう信仰は存在する。その兼ね合いでいうと、やっぱりこの監督のやる自然×ファンタジーの組み合わせは、ちょっと問題がある。ファンタジーの方を主として見て、自然的描写はフレーバーだよっていう立場で見れば全然いいんだけど、社会派というか自然的描写の方を主だと思っちゃうと、社会問題をファンタジー的に解決しているかのような映画としても普通に見れるわけで、そこにある種の無責任さみたいなものを感じてしまう人もいるんだろうなとは思う。例えば最後に主人公はバンドメンバーを「捨てて」彼女と一緒に英国に渡るのだが、そういうのに対して「バンドメンバーに対する裏切りだ!」「こいつは女のために音楽やってるだけ」みたいな評価を下す感想が結構あって、まあ気持ちは分かるんだけど、この監督は基本ファンタジーをやりたいんであって、ファンタジー的優しい世界では、ホモソっぽい連帯とか辛さに心を犯されたキャラが存在する余地なんて無いわけで、そういう問題は一旦おいて、優しい世界を楽しもうぜ? という理解をした方が多分建設的なんだろうなと思う。とはいえ、キレてる人たちの言い分も間違ってはいないのは確かである、とここで一応宣言しておく必要はあると思うので、ここで宣言しておくものである

*2:もちろん、昨今は男女平等の観点から、ヒロインも夢を持っている自立した女性であること自体は多いのだが、それで失敗している作品も結構ある。夢を持った野心的女性の描き方が下手くそだったり、いかにも取ってつけたような感じになっていて、逆にそれが「はいはい配慮しましたよこれでいいだろ」という言外の主張になっているように見えてしまって、誰も幸せになっていないじゃん……みたいなことはある。