GoTS8E5感想【ネタバレあり】「お前は鐘使っちゃだめだろ」という感情


Game of Thrones | Season 8 Episode 6 | Preview (HBO)

 

ゲーム・オブ・スローンズS8E5を見た。うん、落ち着いて考えると、やっぱりいい話だった。デナーリスの「狂王化」、脈絡ないと言われてるが、やっぱりそこについてはちゃんと書いておきたい。

 

二回目見て思ったのだが、まず鐘を鳴らしたのはサーセイの指示であることに気がついた。根拠としては

・そもそも理屈として、城としての降伏宣言ができるのは玉座に座るサーセイのみ。ロバート・バラシオン反乱時における「狂王」のときと同じ構造。

・ほぼ趨勢が決したとき、市民の「女王に伝えろ!」みたいな叫び声が聞こえる。ということは、鐘をならせるのはサーセイということになる。

・鐘が鳴らされる前後はサーセイがアップで映される。サーセイが「鳴らして」と言った瞬間だけ映さない演出のように見える。

というあたり。

一回目みたときは、なんかサーセイが鐘をならしたという意識がなかったのだが(市民がかってに?鳴らしたんかなーみたいなのりがあった)、明確に「サーセイが鐘をならした」と考えるといろいろ解釈が変わってくる。

今回、「鐘」が何を象徴しているか。それは正義の象徴である、と私は思っている。ここで正義と言っているのは、だいたい「誰でもその恩恵に預かることができる一般的なルール」という意味合いだと考えていただきたい。このとき、問題は「サーセイに正義の恩恵にあずかる資格があるのか?」ということだと思う。お前散々ルールを破ってきたのに、いまさら「鐘」使うのかよ、お前にその資格あんのかよという違和感だ。こういった、「お前鐘使っちゃだめだろ」という感覚は、分断の時代において生じやすいと思う。

例えば、最近性犯罪の裁判が無罪判決になってそれに反対運動をしていた人々が一定数いた。彼ら彼女らのメンタリティはおそらく「あいつは性犯罪を犯したのに鐘を鳴らしやがった!」というものなのだと思う。無罪判決が出たのに、運動者たちの怒りはおさまらず、むしろ闘争が展開された。ちょうどデナーリスが、鐘がなったあとキングスランディングを焼いたのと同じである。つまり、正義というのは一般的言えば万人におよぶはずなのに、その適用外に置かれるべきだ!!!と判断されるような人間、例えば性犯罪の容疑者などが、事実として存在しているのである。彼には、正義の恩恵に預かる資格がなかった。

あるいは、リベラル派を揶揄することしかできない人々も同じだ。あの手の人々は「じゃあこれはどうなんだよ?(例:じゃあ共産中国のチベット政策は~)」と言って話題をずらすのが得意と分析されているが、それは彼らの論点がまさに、「正義はなぜ一般的に適用されないのか?」というものだからだ。彼らは、正義が何かは分かっているが、それが適用されるorされないが極めて政治的に決定されているという現実を前にして一種のいじけモードに入っている、ある意味でナイーブに正義を信じている人々だ。彼らの言っていることは、じつは「無罪になった性犯罪者に制裁を加えろ」と質的に同じ主張なのである。つまり、「LGBTやらクジラに対しては鐘をならすあいつらも、弱者である俺に対しては鐘をならしてくれない」ということが彼らの不満げな態度の根源的な原因なのである。

デナーリスがキングズランディングを焼いた、ということは、それ自体としては脈絡のない狂王化としてしか理解のしようがない。しかし、鐘を鳴らしたのがサーセイ、という点と組み合わせれば、極めて今日的な問題設定の上に築かれた演出、ということになるだろう。つまり、「お前は鐘使っちゃだめだろ」という感覚に対して、我々がどう向き合っていくべきなのかという、今日的な問題設定だ。

こういった感情に人々が振り回されるのは、結局正義のバックボーンである権威がめちゃくちゃに傷つけられ、市民の持っている政治的意識と懐疑心が大きくなりすぎているからである。よって、玉座に強力な王が座り、秩序を回復することが求められる。……のであるが、それが方向性としてかなり間違っていることも、我々は歴史から学んでいる。ゲーム・オブ・スローンズ最終話に求められるのは、まさに、傷つけられた正義の上に、いかにして和解を打ち立てるのか?という問題に対する回答だ。きっと誰もがこの問題への回答を探している。だからこそ最終話、楽しみにしたい。

 

負けヒロイン的世界観の不滅を証明した傑作『リズと青い鳥』感想(ネタバレあり)


『リズと青い鳥』ロングPV

 

 

 ピカデリーで『リズと青い鳥』を見てきた。久しぶりに映画をみたが、やっぱり映画館はいいな。この作品だったから特にそう感じられたのかもしれないけど。というかほんと忙しいと映画見れなくなる……

 

 さて、『リズと青い鳥』。まず何よりも非常にまとまりのよい映画である。『響け! ユーフォニアム』シリーズのスピンオフ作品とのことだが、特に原作の知識を要求しない作りなので、原作を知らない私のような人間でも楽しめる。また、上映時間は90分で無駄なシーンが無くちゃんと終わるのも素晴らしい。そういう意味でとても洗練されている。

 

 ストーリーはかなりドキドキさせられる作りになっている。言ってしまえば、これは「負けヒロインの逆襲劇」としてまとめることができる映画で、なんというかスピンオフだからこそできる作劇の仕方、という印象がある。明るくてコミュ力もある同級生の希美に対して、憧れと依存の入り混じった感情を抱いていた主人公みぞれ。みぞれはどうなる……というと、まずこの時点で、みぞれに勝ち目がないことが分かるだろう。のぞみは極めて「負けヒロイン」的なメンタリティを持ったキャラクターで、普通にやったら自滅or即死して終わりである。はい、解散解散。

 

 が、しかしである。『リズと青い鳥』では、この正統派負けヒロインが逆襲に成功する。めったにないことである。一体どういうしかけでそれが可能になっているのか。ギミックは2つある。劇中劇による相対化と、青春時代の成長、の2つだ。

 

 ギミックの1つ目は、劇中劇の採用である。通常、負けヒロインが思いつめて自滅する系の話を作ろうとしたら、負けヒロインの極めて狭い思考範囲に対して、作品の方も全力で付き合ってあげなくてはならない。作品のカメラと負けヒロインの視線は、完全に一致していなくてはならないのだ。つまり、観客だけがメタ的に「こいつ思いつめすぎだろ……」とツッコミを入れることができるようにしておかないと駄目なのである。他人の視点を入れてしまうと、深刻さが相対化され、希釈されて、台無しになってしまうからだ。だがその路線で行く場合、負けヒロインは自分の抱えている問題と正しく向き合えず、迂遠な戦略に全リソースをぶっこむので、必ずその宿命を全うする。すなわち、敗北して終わるのである。

 

 じゃあどうすればいいのか。もっと言うと、どうすれば負けヒロインは自分の狭い世界を相対化することができるようになるのか。そう、劇中劇である。劇中劇は言うまでもなく、メタ構造を作品に与えることができるギミックの代表格である。もちろん、劇中劇の内容を主人公たちがどう受け止めるか、という点は結構議論の余地のある問題である。ようは、劇中劇を出した瞬間、その劇中劇がどんなにくだらないものであっても、主人公はそれを真面目に受け取る話の作りにせざるを得なくなる。「でもさ、こんなしょーもねー話に真面目になる高校生がいるか?」というわけだ。『青い鳥』についていえば、この問題はクリアされているだろう。まず何よりも、劇中劇のシチュエーションは当然のことながら、主人公たちが直面しているシチュエーションに似ている。だったらムキになっても変な話ではない。また、細かい演出面を見ていくと、例えば希美が劇中劇の絵本を借りるのに対して、みぞれは岩波文庫の方を借りる、など、こういう幅を作っておくことで、キャラクターが劇中劇にコミットすることの納得感をちゃんと描いている。その辺は丁寧な仕事が光っているところだ。

 

 劇中劇の導入によって、負けヒロインたるみぞれちゃんは、自分が囚われている問題を相対化して眺めることが可能になる。この映画はそこからがとてもおもしろい。というのも、実は負けヒロインキャラがこういう地点に立つことが許されるということは、ほぼないからだ。それこそ二次創作SSとかじゃない限り、という留保はつくが。

 

 ここで、先にもう一つのギミック、「青春時代の成長」についてもまとめておきたい。さて、最初に負けヒロイン理論について整理する。負けヒロインの構成要素として、冒頭にも書いたように「憧れと依存」をあげることができる。依存がある種の視野狭窄をもたらすのに対して、憧れは、能力格差に由来する。グロテスクな競争の場でもある学校という場において、負けヒロインはだいたい、「(何かについて)すごいあの人」と「なんでもない私」という規定を最初に行ってから、妄想に突入する。この場合、仮想的な上下関係・主従関係が想定されているので、負けヒロイン内では、「私は下」というコンプレックスめいた意識がかなり強烈に発生する。だからこそ、負けヒロインは「対等関係」を目指してめっちゃ頑張ったりするわけである。というよりも、負けヒロインにとっては「対等関係」こそが究極的なゴールだったりする。故に、力を求めて悪落ちしたりする負けヒロインも多いのはご存知の通りである。*1

 

 そういった上下関係は、もちろん、健全な形で解消することもできる。だが『青い鳥』が面白いのは、この上下関係を解消させずに(つまり、「対等関係」という飴を安易に与えてしまわずに)、むしろ逆転させてしまうところにある。つまり、負けヒロインが実力で想い人を上回ってしまう、ということだ。言うまでもなく、負けヒロインが脈絡なく高い能力を発揮するのは死にフラグか夢オチかであって、それ以外の理由で高い能力を発揮することは殆ど無い。それこそ、二次創作SSを除けばという話になるが。

 

 まとめよう。『青い鳥』という作品は、極めて正統派・標準的な負けヒロイン的特徴をそなえた主人公であるみぞれが、「憧れ(能力的上下関係)」と「依存(視野狭窄)」を単純に解消するのでなく、むしろそういった問題系の延長線上において、その先に存在している、けれども描かれることの極めて少ない問題に立ち向かう物語、という性格を強く持っている。故に、この構造がはっきりしてからのハラハラ・ドキドキ感は半端ない。みぞれ、お前は一体どうするんだ!? 何になろうとするんだ!? お前は今、日本負けヒロイン界のフロンティアを突き進んでいるんだ! ということである。

 

 結論は、「負けヒロイン的世界観は不滅」ということだと、私は受け取っている。そして私はこの結論を、ひとまず肯定的に評価している。

 

 まず、一転攻勢のやり方が非常に「迂遠」で、これは負けヒロイン的ですごく美しかったと言わねばならない。すなわち、自分の問題を相対化し、自らの高い実力とも向き合うことに成功したみぞれは、希美に逆襲するわけだが、その逆襲は、劇中劇的構造を経由して(間接的アプローチ!)、そして、二人の能力がぶつかり合う戦場とでも言うべき、吹奏楽部での全体練習という場において(これまた音楽という手段によって間接的に!!!)なされる。

 

 この圧倒的大胆さ、あるいはピーキーさ(事前に調整とかしてない! いきなりドカンと来るのが負けヒロインの特権だぜ!)、そういった側面をもちながらも、しかし同時に圧倒的に迂遠で間接的なこの一転攻勢は、感動的なことに、想い人に対してだけ特別なニュアンスを持って、完璧な形でぶち刺さるのである。これは、正統派ヒロインには絶対にできない、負けヒロインにだけ許された告白なのである*2。負けヒロイン的世界観が、スクリーン上で全面的な勝利を収めた瞬間を収めた貴重なフィルム、それが『リズと青い鳥』なのである。

 

「だがちょっとまってくれ! その後ふぐ水槽の近くでいろいろやってただろ!」 

 無論、そのとおりである。だが私は、ふぐ水槽近くでの問答こそ、負けヒロイン的世界観の不滅を証明するシーンだと確信している。というのも、みぞれはあの時ふられている。みぞれはしっかりと想いを伝えた一方、結局希美からは「ゼロ回答」しか引き出せなかったわけである。だが、それがこの映画のオチとして非常におさまりがよいのである。二人は真面目に付き合うこともなかったし、みぞれがその立場を利用して希美を「監禁」することもなかった。あの問答は関係の進展には全く寄与していない。ただし、二人が別々の人間で、別々の生き方があることを両者に強く自覚させることは確実にできた。無論、そんなこと当たり前だ。けれども負けヒロインにとっては、実はこの瞬間こそが一番大事なのだ。つまり、「お互いに別々の生き方を認める」という状況においては、もはや一方通行は終わっていて、そこにはみぞれ→希美というルートだけでなく、希美→みぞれというルート・まなざしも生まれている。そう、あの瞬間、件の「対等な関係」が、単純な能力の話を超えて、二人の人間の間に存在するものとして、しっかりと出現しているのは明らかだろう。そして負けヒロインにとっては、それこそが究極的なゴールなのだ(チューとか付き合うとかじゃなくて)。だからこそ、私はあのふぐ水槽近くの問答が、負けヒロインたるみぞれの成長物語たる『リズと青い鳥』の着地点として、とても辛いんだけど、しかしふさわしいと思うのである*3

 

 

 

*1:なお、負けヒロイン理論に基づけば、悪落ちした負けヒロインが想い人と対決するシーンは、ある種の「対等関係」欲求が完全に満たされた状態なので、負けヒロイン応援勢的には盛り上がるシーンだったりする。

*2:無論、正統派ヒロインにもこれはやれます。ええやれますとも。でもこれが成った時の感動量は、比較になりませんね

*3:そういうビターな着地点だからこそ、最後の「はばたけ!」がとても感動的なのだとも思う。

この時代じゃなくてもいいんじゃない? 『スターウォーズEP7 フォースの覚醒』感想


Star Wars: The Force Awakens Trailer (Official)

 

 EP8に先立って、7を見とかんといかんなということで見た。まあなんだ、正直スターウォーズシリーズの新しい三部作はもっとも面白くできたっしょ……となった。もちろん、いいところはたくさんある映画であるが……期待値が高すぎたんですかね。

 

 最もよかった点は、かつてルーク1人に背負わされていた役割が、複数のキャラクターに分散して配置されていたという点。(逆に考えると、EP4のルークはアホみたいにたくさんの仕事してましたよね。だって、ベイダーとの対決もあれば、デススターへのミサイル攻撃もあるわけだしね。)やはりヒーローひとりでなんでもやってしまうというのはいまどきあまり流行らないわけで、チームワークとかを強調するところは見ていて面白い。各チームの働きがかみ合って何かを成す、という構造はシリーズを通して徹底されているし、『ローグワン』とかではより徹底されていた印象で、スターウォーズフランチャイズの強みだと思われる。また、もっと言ってしまえば、スターウォーズはサーガモノなので、複数のキャラを立てて群像劇的性格を作品に持たせるのは相性としてはいいなと思った。個人的にはポーの絶対的エースって感じがすごく好き。騎兵隊枠だね。

 

 が、よかった点のそのまま裏返しになってしまうが、正直EP7は問題も多い作品のように思われる。まず私が決定的によくないと思ったのは、主人公クラスのキャラクターが多すぎるという点だ。背景説明をおざなりにしかできないため、キャラがどうしても薄っぺらい。フィンの脱走、カイロ・レンのダークサイド堕ちなど、それだけで話が作れるくらい深刻な葛藤があると思うのだが、そういうのもさらりと流されてしまう。新規キャラに加え、ハン・ソロとレイアの筋もあるわけで…… もちろん、随所に見られる過去作リスペクト演出によって、ある程度、逆説的にはあるけれど、作品が単純な再演に堕すことを免れているとは思うのだが、それにしても尺が足りねえ! という印象はぬぐえない。

 

 それから、いわゆる「強い女性」の描き方も、正直テンプレ以下だな、と感じた。なんというか、日本アニメとかでよく「主人公と戦う時だけ敵がアホになる」という現象が指摘されたりするが、そういうノリである。例えば、映画序盤でフィンが唐突に「レイの手を引く」というシーンがあるけれども、個人的に、フィンがああいう行動をとることに対する納得感はほぼなかった。だってフィンは冷酷な殺人マシンとして育成されたと自ら宣言しているわけだし、兵営で暮らしていたなら、知り合いの女性と言えば兵士ばっかりだったんだろうと想像がつく。ということは、「女性=か弱い→助けなきゃ!」みたいな錆びついた回路がフィンの中に形成される余地があるんだろうか、とか、そういうところがかなり疑問だ。というか、そもそもレイが2対1という数的不利をひっくり返してしまう戦闘シーンをわざわざ見せてるわけだから、それでもう視聴者もフィンも、レイの強さを了解できるわけじゃないですか。なのにわざわざあの流れ。しつこいし、ちょっと説教くさい。さらに言えば、あのシチュエーションでレイが「手を引かないで」とか言い出すのも、うーん。それってあの状況でそんなに重要な論点ですか? 黙って手を振りほどいて、「こいつ何やってんの?」的に首をかしげ、ダッシュ、でよくないか。

 

 カイロ・レンの使い方も、あまりうまくないというか、へたくそだと思う。カイロ・レンは絵にかいたような「家父長制内面化失敗男子」である。つまり、甘ったれていて、幼なく、未熟で、その上いじけ癖と癇癪持ち、しかも親を幻滅させるのが得意、というキャラクターとして描かれているわけで、悪党キャラクターというよりも、むしろ主人公とぶつかって改心される枠である。こいつを敵として引っ張る意味はあんまりない。
 なぜなら、まず第一に、今作の主人公はレイなのだから、レイの敵キャラはもっとオーソドックスな強キャラ=乗り越えて意味がある壁として設定するべきだ。だって、そういう単純さこそがスターウォーズの魅力、分かりやすさなわけじゃないですか。カイロ・レンのような未熟な坊やとの戦いを通して、レイは何を学べますか? え? ぐずってる子どものあやし方とか? それこそ差別的だろう(耐え難い差別だ)! 
 第二に、カイロ・レンを引っ張るということは、スターウォーズ新三部作を「強い女の子との戦いを通して、いじけ男子が改心する物語」にするということを意味しているわけで、いや、それはスターウォーズの仕事じゃないだろ、何がどう間違っても! と私はどうしても思っていまうわけである。一応言っておくと、「強い女の子との戦いを通して、いじけ男子が改心する物語」、私は個人的にとても好きだし、カイロ・レンもキャラクターとして単体で見ればとても魅力的だと思うが、スターウォーズという極めて公共的な作品にそれらが必要か、という点で考えると、どうしても疑問符がついてしまう。だってねえ、そんなん見て喜ぶのは一部の自信がない男性諸君だけじゃないですか。スターウォーズは子どもとか、それこそ女性が見ても楽しい作品であるべきなんじゃないんですかねえ?

 

 と、まあ、いろいろ言ったが、最後に一つだけ。ディズニーがスターウォーズを買ったのは、やっぱりいいことじゃないなあ、と改めて思った。正直、今回の三部作は、EP7を見る限り、これまでの積み重ねがかなり悪い方向で作用していると思う。つまり、ディズニーが「シリーズを尊重する」というスタンスを取ることが、変えるべきところすら変えられない怠慢・惰性につながっているのではないかと、と思うのだ。「守る」というエクスキューズによって結果的にシリーズを破壊しないことを祈るが……

 まず何よりも、三部作で扱う時代は変えた方がよかった。だってさ、全然盛り上がらないし、景気悪い話じゃないですか。ハン・ソロの息子が裏切ってベイダーゴッコしてるシチュエーションって、絵がキッついじゃないですか。『ローグワン』の成功からも明らかなように、スターウォーズフランチャイズ作品においては、主要キャラが登場するかどうかとか、原作小説とか、設定とかも、わりとどうでもいいわけで、あんまその辺に引っ張られなくてよかったんじゃないかなと思う。そもそも「旧共和国では日本刀風のセイバーが使われていた」という設定が仮にあるとして(あるのだが)、そんなことは一般視聴者的にはわりとマジでどうでもいいことだし、作品のおもしろさになんら貢献しないじゃないですか。だから正直、EP7~9は、EP6からの流れとか意識せずもっと別の、話的に盛り上がる時間軸を扱った方がよかったんじゃないかなあ、と思いますね。「帝国崩壊後に成立した新共和国に支援されたレジスタンスVS帝国軍残党を背景にしたファーストオーダー」って、ガンダム並みに複雑じゃないですか。説明もないし、よくわからんのですよ。
 そして、まあ言ってはなんだが、俳優も変えた方がよかった。というか、昔と同じ俳優を使うことによって作品がよくなるわけない!!ってみんな分かってるはずじゃないですか!! 三部作で扱う時間軸を規定したのは、一つはまあ「昔から決まってたから」(と同時に、「ディズニーが」その決定事項を動かした、という事態を避けたかったから)だと思うのだが、やっぱり、俳優の年齢、という要素も大きかったんじゃないですかね、と個人的には思っている。ぶっちゃけ、俳優そろえる必要性あったかなあ…… ハリソンフォードの代わりにクリスブラットでもいいじゃん。こういう言い方すると「老人ひっこめ」と取られかねないからもう少し詳しく書くと、結局ですね、「ハリソンフォードにもっかいハン・ソロをやってもらう」、という制約をいくら愚直に守ろうが、脚本とか演出とかキャラ造形とかと向き合わん限り、いい作品は生まれんのですよ、ということを言いたいのですよ。ハン・ソロが「帰ってきたぞ」と発言する数秒がほしいってのなら、映画じゃなくて、トレーラーかショートムービーでやるべきなのである。

 

 まあ、という感じでいろいろアレだったが、義務的に8は見に行く予定です……

 

バーテンダーになって家の電気を止められるゲーム「VA-11 HALL-A (ヴァルハラ)」感想

VA-11 HALL-A (ヴァルハラ)の感想記事です!!ネタバレ注意!!!

 「ヴァルハラ steam」の画像検索結果

 

 

12月25日(日曜日)

 

f:id:erowama:20130906200333p:plainメリクリ! 

f:id:erowama:20130906200333p:plainバーチャルユーチューバーより可愛いという噂の翔鶴です!

f:id:erowama:20130906200340p:plainおはずい~~。語尾にズイつけるとかいう雑なキャラ付けで配信したら結構人気出そうな瑞鶴です!

f:id:erowama:20130906200333p:plain今日は楽しかったゲームを紹介するよ。

f:id:erowama:20130906200340p:plainまた随分過激な導入だね。

 

f:id:erowama:20130906200333p:plainこれ!! めっちゃ面白かった。

f:id:erowama:20130906200340p:plain日本語版もあるね!!

f:id:erowama:20130906200333p:plainそう。しかも今*1セール中だから!

 

 どんなゲーム?

f:id:erowama:20130906200333p:plainバーテンダーの「ジル」になって、色んなお客さんにお酒を振る舞うゲームだよ。

f:id:erowama:20130906200333p:plain画面はこんな感じ。画面←の赤い人がお客さん。

f:id:erowama:20171224210427p:plain

画面右側にあるのが、カクテル作成用のインターフェース。

f:id:erowama:20130906200340p:plainお酒ねえ。大人っぽいな。

f:id:erowama:20130906200333p:plainうん。実際、大人向けだと思うよ。

f:id:erowama:20130906200333p:plain特に物語的派手さはないんだけど、

f:id:erowama:20130906200333p:plainバーテンダーとして、色んな背景を持ってる人の話を聞いてあげるの。

f:id:erowama:20130906200340p:plainお酒作るのがちょっとパズルゲー風味なんだよね。

f:id:erowama:20130906200333p:plain私どんくさいから結構失敗した……( ;∀;)

f:id:erowama:20130906200340p:plain(´・ω・`)

f:id:erowama:20130906200333p:plainでもやってるうちにうまくなるから

f:id:erowama:20130906200333p:plain最後は「私……バーテンダーの才能ある!?」ってなるよw

f:id:erowama:20130906200340p:plain成長も楽しめるということか。

f:id:erowama:20130906200333p:plainオンザロックと熟成ボタンは見落としがちだから気をつけよう。

 

家でこたつに入ったりできる 

f:id:erowama:20130906200333p:plainゲームは、お家編とお店編、交互に進んでいくよ。

f:id:erowama:20130906200333p:plain↓これはお家編。

VA-11 Hall-A ヴァルハラ 日本語版

左側がスマホ画面。ニュース見たりできる。なお、鍵マークは長押しで解除。

f:id:erowama:20130906200333p:plain右下にお金あるじゃん。これが結構大事で。

f:id:erowama:20130906200333p:plain私は一周目電気料金払えませんでした……(半ギレ)

f:id:erowama:20130906200340p:plain電気料金払えなくて電気とめられるゲームなのか……

f:id:erowama:20130906200333p:plain電気料金止められると、仕事中に「スマホの充電どうしよう」とか考え始めちゃって、カクテル作る時のヒントがなくなっちゃうのよね。

f:id:erowama:20130906200340p:plain世知辛い……

f:id:erowama:20130906200333p:plain電気代は8000ドル、家賃は10000ドルなので、ちゃんと貯めましょう。

f:id:erowama:20130906200340p:plain電気代払えないと電気とめられるってことは……

f:id:erowama:20130906200333p:plainそう、家賃払えないとホームレスです……

f:id:erowama:20130906200340p:plain酷い……

 

キャラとか個別評価

 

f:id:erowama:20130906200333p:plainとりあえず気に入ったキャラを紹介するよ!

f:id:erowama:20130906200340p:plainよしきた!

f:id:erowama:20130906200333p:plain一番気に入ったのはね~~~

f:id:erowama:20130906200333p:plainとりあえず主人公のジルが良かったかな。

主人公のジル。バーテンダー。かわいい。

f:id:erowama:20130906200340p:plainあ、主人公。

f:id:erowama:20130906200333p:plainうん。

f:id:erowama:20130906200333p:plain聞き手にまわりつつも、結構自分のことも喋ってくれるし、

f:id:erowama:20130906200333p:plainクール気取ってるけど、結構感情的なところも見せてくれるし、

f:id:erowama:20130906200333p:plainあんまお金ないけど、教養はあるし、でもそれを自慢しないしで、

f:id:erowama:20130906200333p:plainあと、何よりジルさんが「和解に失敗したキャラクター」ってとこね。

f:id:erowama:20130906200333p:plainこういうキャラが自分の幼さを乗り越えて前に進んでいくのは感動的なものです。

f:id:erowama:20130906200340p:plain絵だけ見るとスーパークールって感じだが……色々あるのか。

 

f:id:erowama:20130906200333p:plainあと、グッと来たのはこの二人ですかね。

With armor

ホワイトナイトのセイと、お嬢様のステラ。

f:id:erowama:20130906200333p:plainこういう組み合わせ好き。

f:id:erowama:20130906200333p:plainクラスルームには確実に溶け込めない天使とお嬢様が、こういう場末のバーでイチャイチャしてる感じ、いいですね。

f:id:erowama:20130906200333p:plain好き……

f:id:erowama:20130906200333p:plainあと、このカップルの関係にはちょっと非対称なところがあって、

f:id:erowama:20130906200333p:plainステラはズイズイ行くタイプなんだけど、セイはそういう面であまり感情をオープンにしないんだよね。

f:id:erowama:20130906200340p:plain(ズイズイってなんだよ……)

f:id:erowama:20130906200333p:plainセイが弱ったところで、ステラは結果的にそこにつけこむ! やっと非対称な関係が解消された! とステラは一次的には喜んでしまうんだけど、でもすぐそういう感情を抱いたことを反省してしまうのよね! ステラいいやつ!! 最高!

 

f:id:erowama:20130906200333p:plainあと、この人も好き。お姉ちゃん特権です、って感じで。

f:id:erowama:20130906200340p:plain(私は何も聞いてない……)

f:id:erowama:20171224213247p:plain

アルマ。ハッカー

f:id:erowama:20130906200333p:plain危うさの人かと思いきや、圧倒的安定感の人でした……。

f:id:erowama:20130906200340p:plain安定感……なの? まあ、経験に裏打ちされてる感はあるが……

f:id:erowama:20130906200333p:plainあと、接客業をやると「この客か……うざいな」とか「ちょうど良いところに!」みたいな感じで

f:id:erowama:20130906200333p:plain客によって来た時の嬉しさみたいなものが徐々にできてくるんだけど、

f:id:erowama:20130906200333p:plainアルマが来た時の圧倒的安定感、安心感ね!

f:id:erowama:20130906200333p:plainジルみたいなキャラが心を開いてる相手としてこれ以上ないくらい適切な人ですね。

f:id:erowama:20130906200333p:plainあと、仕事できそうな雰囲気がやばい。仕事お願いしたい。

f:id:erowama:20130906200340p:plainあ、そこは「一緒に仕事したい」じゃないんだ?

f:id:erowama:20130906200333p:plain私どんくさいところあるから……

f:id:erowama:20130906200333p:plainこの手の有能キャラと一緒に仕事したら、軽蔑されそうで……

f:id:erowama:20130906200340p:plainもっと自信持って……

 

f:id:erowama:20130906200333p:plainただ、この人はちょっとテンプレすぎたので、ひねりほしかったね。

f:id:erowama:20171224214324p:plain

ドロシー。セックスワーカ。

f:id:erowama:20130906200333p:plainなんか幼いキャラにはドロシーって名前つけとけばいいみたいな風潮あるじゃん。

f:id:erowama:20130906200340p:plain怒ってるの?

f:id:erowama:20130906200333p:plainいや、そういうのって大事なんだなって。ドロシーはドロシーって感じのキャラだから……

f:id:erowama:20130906200333p:plainまあ、「いい娘」感はんぱない。

f:id:erowama:20130906200333p:plainでもまあ、ちょっとテンプレすぎた感はあったかね。

f:id:erowama:20130906200333p:plain2017年のセックスワーカの描き方として、まあ、そうなるな……って感じの、あまり驚きはないキャラクターで、

f:id:erowama:20130906200333p:plain明るいキャラ性を隠れ蓑にして、実は説明的なセリフが多すぎる感があった。

f:id:erowama:20130906200340p:plainいや、ゆーてこのゲーム、ほとんどのキャラは王道キャラでは? なぜドロシーさんにだけそんな非難めいた指摘を……

f:id:erowama:20130906200333p:plainこの子一人にサイバーパンク説明を過剰に背負わせてしまった感があり、それが申し訳ないな、と。

総評:閉塞感の先に何かある系の話としてはいい感じ

f:id:erowama:20130906200333p:plainとりあえず、このゲームをやって真っ先にコレを連想しました。

ランナーズ・エクリプス – Abaraya Games

 

f:id:erowama:20130906200333p:plainランナーズ・エクリプスは、閉塞感×閉塞感×閉塞感って感じで、ひたすら息がつまりそうになる感じが魅力で。

f:id:erowama:20130906200333p:plain「VA-11 HALL-A」も、そういう息苦しさが随所に散りばめられているという点ではかなり成功していたかと。

f:id:erowama:20130906200333p:plainただ、主人公がバーテンダーということもあり、体制がどうとかいうあんまり大げさ・大仰な話になっておらず。

f:id:erowama:20130906200333p:plainかといって、状況に翻弄されるだけの無力感を大げさに扱っているわけでもなく。

f:id:erowama:20130906200333p:plain月並みだけど「一生懸命生きてる人たちの成長を肯定する」っていう話で、すごく勇気をもらえましたね。

f:id:erowama:20130906200333p:plainあと、↓みたいに、ゲーム中のキャラとのインタラクションが独特で、たまにハッとされるような演出が多くて、飽きが来なかったですね。

 

 

 

 f:id:erowama:20130906200333p:plainというわけで、年の瀬のお供に、あなたもオススメの一本です!

f:id:erowama:20130906200340p:plainぜひやってみてね!

 

おわり。

 

 

*1:スチームにて。2017年12月24日時点。

やっぱりロマン主義と夢はズッ友! リヴェット『嵐が丘』感想

 新文芸坐ジャック・リヴェットの『嵐が丘』を見てきた。うん。非常に勉強になった。大寺眞輔さんの講義を聞く度に思うが、これこそがインテリの仕事だ……となる。

 とりあえず映画自体の一次的な感想は「ちょ、ちょっと待って!! ロマン主義が入ってないやん! ロマン主義が見たかったから『嵐が丘』を注文したの!」で、ザ・淡白映画だな……という感じだった。だって『嵐が丘』ですよ。パッションと感情の殴り合いになって欲しいじゃないですか。が、そんなことはなく、件の名言も流されていたのでかなり肩透かしという感じだった。あと、語りの構造が『アマデウス』っぽい感じ(つまり二重構造)になるもんだとばかり思っていたのだが、リヴェット版『嵐が丘』は非常に一次元的な(古典的な?)語り文法で終わってしまったので、そこもちょっと残念だった。回想とか、あるいは日記や手紙というものが持っている悲劇性というか感傷性、もう何もかも手遅れなんだよ感は、ロマン主義的演出に必須のアイテムだと私は思っているので、正直、第一次の感想は「お前ことごとく外してきやがんなリヴェットこの野郎……」であった。

 しかし、大寺眞輔さんの講義を聞いて、リヴェットが彼なりに『嵐が丘』に対してアプローチしていたことが分かったので、色々と納得できた。例えば、屋内の構造が迷宮めいていて、それが窒息感の演出や原作が持っている入れ子構造の再演に貢献しているという論点はすごく確かになとなった。やっぱり屋内映画だと「この建物の間取りどうなってんの」的視点は必須だと思い、私も気をつけてみていたのだが、普通にカオスすぎて正直ちょっと不気味だった。たしかにこの込み入ってる感じが非常に『嵐が丘』っぽいとは思う。

 講義で一番おもしろかったのは、リヴェットは非常に自然主義的に『嵐が丘』をやってるんだという話。非常に興味深かった。うん、その通りなんですよ!! でもそれは「アンチ・ロマン主義」なのではなく、リヴェット的な『嵐が丘』表現なのだ、という気もしている。たしかに、ウィリアム・ワイラー的な演出は、ロマン主義のクソダサイ側面が全面化しているので、そういうのと距離を取って『嵐が丘』をやってくれたのはそれはそれでありがたいことなのだなと今は思う。というか、ロマン主義と距離を取りながら自然主義的にロマン主義をやると、ある種ロマン主義が向き合うのが不得意な「現実の陳腐さ」みたいなものとちゃんと向き合える分、その陳腐さの中にしかしちゃんと存在している感情がかなり洗練されて、というか先鋭化されて描かれているのだという考え方もできるよな、と思っており、そういう視点で見ると中盤の盗み聞きシーンは非常にいいシーンだと言えると思う。この考えに至れたのはかなり収穫。

 ちなみに、講義では触れられなかった論点として、「時間」とか「執念」の話をあげておきたい。私見ではあるが、『嵐が丘』を語る時には、時間とか執念の問題を避けて通れないと思う。両者とも極めてロマン主義的な代物だし。小説では、ある意味で作品をサーガモノにしてしまうことで上記の問題を扱っているわけだが、ではリヴェット版ではどう扱っていたのかというと、それは「夢」によって扱っていた、と言えると思う。大寺眞輔さんは夢はバタイユの影響と言っており、それは史的には正しい理解なのだろうが、私はリヴェットの夢表現にロマン主義をビンビン感じた。夢は時間を超越できるので、作中における時間経過を夢によってつなぐのは手法として非常に映画的であると同時に、実はロマン主義っぽいよなと思った。このあたりにリヴェットのエミリー・ブロンテリスペクトを感じることができるのではないかと思う。そして何より、「夢」は「執念」も象徴しているのが私的にグッドポイントだった。リアリティのラインをちょっとズラしてしまうほど想ってるんですよ、というほとばしる情熱を、どうにか陳腐な現実と同居させる方法があるとしたら、それはいろんな意味で「夢」でしかありえないのだろう。やっぱり、ロマン主義と夢はズッ友! なのである。

2017年のバブミ描写はデマンド・サイドから描け! 『湯を沸かすほどの熱い愛』感想(ネタバレあり)

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 新文芸坐で『湯を沸かすほどの熱い愛』を見てきた。うん、よかった! 母性映画なんだけど、「母親の献身!!」で勝負する映画ではなかったので安心して見れた(そもそもそんな映画、2017年に見たいと思うかね?)。私の整理によれば、母性とは「女性が特有に持っている能力」ではなく、「子供性に対してケアと包摂を提供する態度」である。その意味で、実は母性を描く上では供給サイド(例:あの子のために服作ってあげたよ)を描くだけではまったく不十分で、需要サイド(例:この子はなぜ服が欲しいなどという甘えた態度を取っているのか???)の説明が必要となってくる。ところがこの文脈で、「甘えの需要サイド」とでも言うべき側面を描くのは極めて難しい。なぜなら、我々は甘えたクソガキを見せられるのだが大嫌いだからである。深夜アニメでも嫌なのだから、金を払って見る映画ではなおさらである。さて困った、どうするか? という問題に対する回答が『湯を沸かすほどの熱い愛』という作品である。

 『湯を沸かすほどの熱い愛』がなぜ甘えたクソガキを観客に見せつけるのに成功しているのか。その答えは一つ、リアリティがあるから、である。この映画、子供が本当に子供っぽい。子供が映るたび、「うわつ! このいじけ方、俺もやった!」とか「この喋り方完全にちっちゃい頃の俺なんだが……」みたいのが連発されるため、この映画はまず第一にケアの対象である子供の子供性みたいなものを極めて強い説得力で観客に示すことに成功している。ゲロを吐いたりお漏らしをしてしまうシーンとかの使われ方も非常にうまい。まあ、「あ^~~~批評家好みっぽいんじゃ^~~~~~」とはなる演出ではあるのだが、それでも有効であることに変わりはないわけで。説明がない、ということは、美的な美しさを調達するのにも役立っているし、「子供って謎なことするよね」的な子供あるある感の調達にも貢献している。結果として非常に高いレベルで子供性のリアリティが出ているのだと思われる。

 そして「子供性」を語るのに成功したのなら、もう勝負はついているのである。つまり、一定のケアを必要とするところの「子供性」がしっかりと描かれてしまえば、供給の納得感もまた非常に高まる、と私はこの映画を見て感じたのだった。こう書いてしまうと、「女性には遺伝子レベルで母性がインプットされてるから赤ん坊を見ると母性目覚めちゃうんですよ」的な文章に見えなくもないのでアレなのだが……まあ、私の「母性」定義は冒頭に書いている通りである。「無償の愛」路線の母性が完全にオワコンと化した今、我々は供給サイドからの母性映画(お母さん頑張ってるんやで!!「だけ」の映画)を見ても全然楽しめない、というのが前提である。その上で、ではもし「お母さんの愛情」なるものに我々が納得する余地があるとすればそれって何なのよ、という風に考えることで、母性をなんとか救い出そうという試み。それが『湯を沸かすほどの熱い愛』なのではないかと思う。この試みの良し悪しはあるだろうけれども、個人的には好きなタイプの挑戦だったと思っている。

 ちなみに、私はこの映画のオチはすごく嫌だった。まあなんというか、私の宗教的な保守性とでも言えばいいのかなあ。うーん。いや、いいとは思うのだが、しかし……うーん。っていうかフォントも嫌だったし。まあ、ああいう感じで最後シリアスラインを崩さないとヤバすぎるオチではあるだろうから、いいと言えばいいのだろうかねえ。

話は賞味期限切れ。でも映画としてやっぱりすごい『グラン・トリノ』感想


グラン・トリノ(予告編)

 

 新文芸坐で『グラン・トリノ』を見てきた(昨日だけどね)。まあなんだ、やっぱりスクリーンで見るといいな!! となるいい鑑賞でした。ちなみに作品自体を見るのは四度目。

  まあ、とりあえず話自体は賞味期限切れである。我々が直面している分断の溝はあまりに深く、2017年に『グラン・トリノ』的な主張はもはや虚しいだけである。結局、現実から目を背ける盲目な保守派の行き着く先は、『グラン・トリノ』的解決では決してなく、あくまで『ドントブリーズ』的な闇なのだなあ、ということだ。悲しいなあ。いやほんと、話ずれるけど、自分の将来像として考えた時に、『グラン・トリノ』がエロ漫画並のファンタジーでしかないのに比べ、『ドントブリーズ』は圧倒的説得力を持っていると思うんですよね。俺は将来「Blind Men」になってしまうんだよ。怖え怖え。

  が、まあ、ストーリーは別にしても、やはりこの映画は完成度が非常に高い。まるで洗練された短編小説のように、教科書的に比喩が使われており、普通に勉強になる。で、ここは恥をしのんで、四回目に視聴した私の気づきポイントを一つあげておく。ちなみに「お前それ気がついてなかったのかよwww」と笑うなかれ。かのミロス・フォアマン監督も言っているように、「観客は明確には分かっていなくとも、小さな違いを無意識のうちに必ず察知することができる」のであり、そこにあるのは単に、言語化できる/できないの違いでしかない。そしてその違いは相対的にどうでもいいものでしかないのだ。

  でどのシーンかというと、最後のクライマックスで、タオが地下室に閉じ込められるシーンだ。自分がはめられたことを悟ったタオは、地下室の出入り口となっている鍵付きのフェンスをガシャガシャと揺らしながらウォルトに訴える。自分を連れて行けと。しかしウォルトは断り、彼は自分の本心をタオに伝える。

  懺悔である。フェンス越しに本心を伝える、ってまんま懺悔なのだが、私はそのことにまったく気がついていなかった。直前の、教会で童貞のパードレに懺悔するシーンが明らかに喜劇的タッチなのにはもちろん違和感を覚えてはいたが、じゃあなんでああならないとダメなのかはまったく理解できていなかった。あの喜劇的タッチは、ウォルトにとっての真の懺悔(タオに対する本心の吐露)シーンを盛り上げるためのタメだったというわけですね。

  なんで今回気がついたかというと、まあ多少の知恵をつけたというのもあるけど、一番は劇場が良かった、ということだ。『グラン・トリノ』は後半に行くにつれてカメラのキレがどんどん良くなる映画で、例えばタオ宅が銃撃を受けた後、ウォルトとパードレが家で話すシーンなんかもうすごい緊張感で、これを劇場で見ると、すごい圧倒されてしまう。そして圧倒されているからこそ、ああいうカッコイイ表情の映し方を平気でやるスタッフが、なんでウォルトがタオにぶちまける大事なシーンをフェンス越しで撮るんだよ! という巨大な違和感を観客に抱かせることができて、でそこまで思考が至った瞬間、視聴者もやっと気がつくことができるわけである。ああ、あのシーンはウォルトにとって本当の懺悔の瞬間なんだ、本心をさらけ出すことができた瞬間なのだ、と。

  真の懺悔をするためには、教会組織や敬虔な神父がいるだけではダメで、友達が必要なんだ、というメッセージは、今や「保守派の政治的ファンタジー」「保守派の妄想」と断じられて当然の『グラン・トリノ』という作品を、それでも良い映画だよこれは、好きなんだよこれ、と胸を張って宣言する私の態度を、強く強く支えてくれているのだ。