麻婆豆腐を白いワイシャツにこぼした。

 麻婆豆腐を白いワイシャツにこぼした。

 私は食べこぼしをしないよう常に警戒を怠らないと服が汚れる程度には食べこぼしを自然としてしまう人なので、本来、麻婆豆腐を食するときは最高レベルの警戒で咀嚼に当たる。今回も例外ではない。例外ではなかった。私は精神を集中させて麻婆豆腐に取り掛かった。しかし詰めが甘かった。麻婆豆腐が奏でる四川風の味わいが私の緊張感を解きほぐしてしまった。スプーンの腹が勢いよくマーボーの油面を打ち、表面張力の軛を逃れた真っ赤なマーボー球は、さながらポロックがそうするように私のワイシャツに芸術を刻み込んだ。着弾点は心臓の上、であった。着弾範囲も直径3センチと言ったところだ。ちょうど血が染み渡るのと同じように、範囲はもっと広がるだろう。私は頭を抱えた。

 昼食が終わった後、まだ昼休みが30分ほど残っていたので、私にはいくつかの選択肢があった。正直、コンビニでワイシャツ買おうかなとちょっと思った。というのも、やはり食べこぼしはみっともない。単にみっともないだけではなく、食べこぼしは私のような人間にとっては「役満」にも当たるから、あまりに他人には見せたくない。役満とはどういう意味か。すなわち、ただでさえちょっとヤバイ人感のある私のような人間が白い衣服に真っ赤な食べこぼしをつけて平気でいたりすると「あっ、ヤバイ人感がある人だ」と確信されてしまうのである。最後のピースが揃った今、ヤバイ人パズルそのものを破壊しなければ私の評判は地に落ちてしまうだろう。なんとか、最悪の事態を回避しなくてはならない。

 その時、私に電流が走った。ちょうどミルグラム博士とその助手たちが無垢なアメリカ市民にそうさせたように、私の中に電流が走った。心臓部にデカデカと着色された赤い楕円。それを覆い隠す最高の手段を考えついたのだ。すなわち、社員証である。もちろん私は基本的に社員証の類を首からぶら下げたりしない。あれは首輪にほかならないからだ。私は独立した一個人であるから、首輪などするのは願い下げなのである。いや、「日本政府」とか「東京大学」とか書いてある社員証なら喜んで首からかけるだろうが(私は権威主義者だ)、とにかく、社員カードを首から下げれば、かのカードによって胸のシミを隠せるのではないか。私はそう考えたのである。

 実際に、首から社員証を掛けてみた。思っていたよりも重くなかった。というか軽かった。社員証の耐えられる軽さだった。これはいけると思った。だが、ここでつまずいた。心臓は人間中心線に対して左側に位置している。対して、首から下げた社員証のカバー範囲は中心付近だけである。これではシミを隠せない。私はまたしても頭を抱えた。ちなみに「頭を抱えた」は文学的表現ではなく実際の状況を記述している表現である。

 だが、私は諦めなかった。社員証でシミを隠すというアイディアは明らかにイケていた。いいアイデアにはコミットし、インベストし、ハーベストまで持っていく。これがビジネスドリブンのポジショニング・ロジックだ。私は頭をひねった。そしてさらなるアイディアをひねりだすことに成功した。社員証ケースと紐をつなげているプラスチックのピンがある。このピンを用いれば、社員証をワイシャツ上の任意の位置に固定できるのではないか? やってみたところ、なんと無事固定に成功した。私の社員証は私のシミを覆い隠した。ヤバイ人パズルは砕け、私の首からは耐えられる軽さの社員証がぶら下がっている。いい取引だ。私はついに真人間となったのだ。

 喜ばしいことはそればかりではない。実際、社員証を胸元に固定するのは、私の視点からは非常にカッコイイことのように思われた。軍服のモールみたいだったからだ。頭の中で「俺は将官閣下だ……」というリフレインが始まった。私は閣下となっていたのだ。オフィスに戻ってから一日中、得意げな表情で暮らした。時たま、歴代の将帥たちがそうしたように、モール(社員証を吊るす紐)を得意げにいじったりした。すごく幸せだった。

 30分ほど残業をしてから帰る際、トイレによった。鏡を見た。私は絶望した。なんか変な奴が立っていた。そいつは社員証を恐ろしく不格好に下げていた。ひと目見て、「あっ、ヤバイ人感がある人だ」という確信に至った。社員証は、金モールにはならない。学びを得た私は、社員証をカバンに納め、真っ赤な勲章を誇らしげに誇示しながら帰宅した。帰途についたのは、午後19時、7分だった。