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ドイツ的官僚主義を捨て、スラブ的奔放さを取り戻そう『剃髪式』感想

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 新文芸坐でイジー・メンツェルの『剃髪式』を見てきた。私は圧倒的に『つながれたヒバリ』の方が好きだが、まあ普通に楽しめた。今日も映画のあとに一時間ほどのトーク(by 大寺眞輔氏)があって、こちらも面白かった。映画の理解に対する貢献度という観点から言えば今日のトークの方が前回よりありがたかった感じもある。なんというか、この映画は表向き体制迎合そのものという作風なのだが、よくよく考えるとかなり当局にケンカ売ってる内容だよな……と思った。

 まず思ったのは、とりあえずイジー・メンツェル監督作品を見る度に思うのだが、『剃髪式』は2017年に見ると記録映画的な面白さがあるよなということである。豚さばいたり、樽作ったりしてるところは端的にあんま見たことない映像なので素直に面白い。あとやはり背景の街がキレイだよねという点もグッド。ああいう街で暮らしたいなあと思う。豚食べたいなあ。

 豚といえば、大寺氏は豚さばいたり頬に血を塗るシーンが「Pagan」だと言っていたのだが、たしかにその通りで、逆に考えるとこの映画はキリスト教的モチーフが皆無だなと思った(一箇所だけ出てくるけど、それは「ニセのイエス」の話。いかーにもなね)。そもそも剃髪式という、本来聖界入りを象徴するはずの儀式からして、『剃髪式』では俗世的世界に染まる散髪行為に置き換えられているわけだし。たしかに最初の晩餐シーンも、会食=聖餐=仲良し文法を好むアメリカ映画とかと違ってかなり緊張感にあふれる場面になっていたりと、なんかいろんな意味でキリスト教的道徳とちょっとずらしていく演出が多かったように思う。まあキリスト教的な負荷が薄いというのは、だいぶ体制的な負荷を感じるとともに、ある種の解放というか自由な雰囲気の源泉にもなっているのも確かで、このバランス感覚はかなりうまい。抑圧的な政府の下で発揮される芸術家たちの繊細な職人芸だよなあと思った。

 それと、この映画は解放の構造が二重構造になっていて、そのおかげでオーストリア帝国主義*1だけでなく、しっかりと現在(1980年)の社会主義政権に対する批判もなされていて、ある意味では『つながれたヒバリ』よりもはるかに政治的な映画だよなと思った。二重の解放構造というのは、国家と家庭の二層における解放が描かれているという意味である。この映画はまず政治的な水準でチェコスロヴァキアの独立を扱っている。これが解放その1。そして同時に、家庭における「奥さん」の解放も扱っている。これが解放その2。まあなんだ、ぶっちゃけ言えば『剃髪式』は不倫映画です。そして不倫には愛憎の負荷が一切かけられていなくて、あくまで政治的な水準のメタファーがあるだけなのが面白いところ。

 つまり何がいいたいかというと、夫氏がわりと露骨に「チェコスロヴァキア人によって構成されている社会主義政権」だよなということである。例えば夫氏が奥さんを閉じ込めようとするのは、社会主義政権がやった市民の亡命禁止政策そのまんまであり、夫氏の童貞感と奥様の肉食系っぷりの対比が、そのまま当時における政府(管理したい!)と市民(もっと色々やりてえ!)関係のメタファーになっているわけである。奥さん=一般市民、夫=官僚的政府、であり、夫の抑圧から解放された奥さんというモチーフはだからあからさまな政府批判に等しいわけである。でも作品自体には圧倒的説得力がある。誰だって童貞役人といっしょに煙突に登りたくはないだろう。私だっていやだ。

 この不倫は非常に面白くて、官僚的で家父長的権力を振りかざす夫(上司にいびられたストレスを家族にぶつけるという典型的クソムーブを取り、奥さんからドン引きされたりする)VS奔放で官僚的権力から完全に自由な存在であるおじさん、という対立構造があって、大事なのは後者が完全勝利を収めるということである。何が一番皮肉かというと、せっかくドイツ人支配から脱却したのにもかかわらず、ではドイツ人に変わって新たな支配階級になる連中がどういう奴らかというと、そいつらは完全にドイツ的・官僚的エートスに頭を犯されたチェック人連中でしかなく、かなりひでー状況であることに全然変わりはなかったりするのだ……というあたりだろう。せっかく独立したわけだから、ドイツ人的ノリはかなぐり捨て、もっとおじさん的なスラブ性(ってなんだよ)を発揮するべきなのである。

 実際、最後に奥様の妊娠が明らかになるけれども、あれって明らかにおじさんの子供なわけじゃないですか。だってまず夫氏はあからさまに童貞で、しかも挿入されてる歌とかから明らかなように、あの二人って要はセックスレス夫婦なわけですし。そして何より大寺氏が解説で言ってたことですが、原作のフラバルはおじさんをこそ真の父親として見ていたらしいですし。しかも奥様は「未来の作家よ」とか言っちゃうわけで。作家的性格を持ってるキャラクターなんてあの映画の中では「語り部」の能力を持つおじさん以外ありえないので、まあなんだ、童貞はほんとアホだなあ……となる。まあさっきも書いたように、これは愛憎ではなくてちゃんとメタファーだと分かるように作ってあるので、そんなにドギツくはないのが救いではあるがのだが。

 ちな、この映画は1980年生まれのくせに結構童貞男子に厳しい映画である。妻が病気になった瞬間夫婦関係に満足しはじめる夫とか、耳が痛いのでほんとやめて欲しい。鍵厨かな? あとなんかプレゼントのセンスもかなりキモいというか、単純なキモさを超えて妙にリアルキモいのでこころが本当につらくなった。裁縫用具(何も言うことはありませんね?)、謎のガジェット(自分の趣味じゃねーか……あと使い方がきもい)、そして帽子(帽子は外出用の社交的アイテムなのにも関わらず、怪我をして外出できない奥さんにワザワザそういうのを送る。いかにも童貞男子っぽいチョイスである。このあたり、「俺やっちゃうかも……」となったのでほんとつらかった)、こういうのはだいぶきつい。

 まあこの映画、体制に媚びつつもしっかりと体制を批判している映画で、普通にできがいいとは思うのだが、でも私はこういうタイプのあてこすりはあんまり好きではなく、『つながれたヒバリ』のように正面攻撃を仕掛けるタイプのやり方をはるかに好むので、まあ最終的な評価はそんなに高くはならないよね。面白いし、うまいとは思うけど。

*1:まあ、ハプスブルク家によるボヘミア王冠領統治の歴史は大変長いので、ハプスブルク支配構造を『帝国主義』と呼ぶのはかなり違和感があるが、まあ20C頭前後の対立構造に目を向ければ間違った用法ではない