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森には全てがある。あった。「ブロークバック・マウンテン」感想(ネタバレあり)

 

 

アン・リー監督の「ブロークバックマウンテン」を見た。うおおお! めっちゃ良かったじゃないですか! 

まずこれ、同性愛をテーマにしている作品ではあるんだけど、恐ろしく保守的な映画でもあるよなと思った。というより、保守性と同性愛という、あんまり仲のよろしくない要素が素晴らしく噛み合っていた映画だと思う。もちろん「ホモフォビアは全員ホモ」みたいな煽り力の高い描き方にはなっていないし、単純に不寛容な社会を告発するという内容でもない。むしろ、アメリカの保守的な自然観と、人生や恋愛の不条理さを優しく結びつけているような映画なのだと思う。

つまりこの映画の同性愛カップルはもちろん社会やキリスト教には背いているわけだけど(だから街では全然うまくやれないんだが)、でもそんな二人にとって最初で最後で唯一の心の拠り所は「ブロークバックマウンテン」、つまりはもっとも伝統的でオーセンティックな「アメリカ性」だったのである……*1。という話はもちろん皮肉的ではあるんだけど、でもそれって同時にかなり保守派に寄り添った、保守派でも納得しやすいような同性愛映画になってもいるということでもある。つまり、保守派が一番大事にしている価値を、同性愛カップルの二人も心から大事にしていたんだ、心の拠り所にしていたんだ、その水準においてお互い全然違いはないじゃないか、というメッセージになっている。

こういうのは私のようなボンクラには絶対にできないタイプのバランス感覚であり、同時に、私が目標としたい姿勢でもある。素直に拍手。これは多分監督がアメリカ人じゃない(監督はアン・リーである)から、アメリカ人の宗教的・文化的な感覚を相対化するのが比較的容易で、作品に活かしやすいというのがあるんだろうなー、とかなんとか思ったり。

 一応個人的に泣けたところをあげておく。まずやっぱり四年後の再会シーン。ここで抱き合うシーンは本当に泣いてしまった。例えほんの一瞬であっても、再会したり和解したりできるのっていいよなあ……。まあここ以降は感傷的になってしまったのであまり参考にならないのだが、二人の間で経済的な格差が広がってしまってだんだんうまくいかなくなったあたりで結構キツかったな。この映画は「森(ブロークバックマウンテン)=神聖」「街=堕落」という保守派文法を決して破らない優等生映画なので、二人が街でどんどん疲弊していく姿と、森で恋人と再会して癒やされる姿をキッチリと分けて描くのだが、これも現代に見せられるとすごくグッとくる。やはり金が無いと暮らせない都市はクソだなとなる(反知性主義ソロー並の感想)。で、二人の経済格差が最高潮に達したあたりの会話と、その後の和解シーンとかもこう……ね、すばらしい。主演二人の演技力もあるんだろうけど、同時に森の力でもあるんですよこれは*2。まあ、経済格差で人間関係が希薄になるというのはリアル社会でもありそうだが、森の力で克服できたらいいなと思ったよね(???)。

まーあとはこの映画を見て思ったけど、完全な関係性に対する憧れって、信仰と極めて親和性高いよねという。この映画で言っても、「ブロークバックマウンテン」は①完全な関係性と②アメリカのキリスト教的な意味での神性という二つの要素を持っていて、パラレル関係にあるし。まあもちろん「完全な関係性」は一歩でも踏み外すとヤバイ領域に一直線なんだけど、でもこの危ない橋を降りられない……というか、あえて降りないのが人間なんだろうなあと思うと、またしても泣けてくるよなあ。

*1:「森=アメリカの保守派」というのは私の議論ではない。ネタ本はこれ↓ ちなみに、私はトランプ以前にこの本を読んでいたので、私が持ってるバージョンにはこういったヘンな帯がついていません!!!! ちなみにヘンなのはトランプ氏の肖像ではなく、トランプ現象(苦笑)で儲けようとする出版社の姿勢の方です。 

さて、森本はこの本の第4章をまるまる使って「森は保守派コンテンツだよ」という話をしている。ようは、アメリカにおけるキリスト教にはちょっと神秘主義的傾向があって、北米大陸の自然の美しさに神性が見出されたという議論がされている。これが都市に住んでいるインテリは堕落しているよ理論と組み合わさって、アメリカにおける反知性主義を準備したという話らしい。

反知性主義: アメリカが生んだ「熱病」の正体 (新潮選書)

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*2:保守派並の感想。とはいえ、こういうふうに逆方向で同性愛を悪用し始めたらいわゆる「ピンクウォッシュ」とか言われるんだろうけど