みた映画とか

 

いろいろ

 

ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション [Blu-ray]

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 ミッション・インポッシブル映画。事情があってネカフェに泊まった時にみたのですが、やはりこういう映画は劇場で見ないと楽しめない! しょぼい液晶で惨めに見ても全然おもしろくもなんともない! 以上!

 

 

ターミネーター:新起動/ジェニシス [Blu-ray]

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  上記の映画と同じ事情で見た。こちらはまだ評価できる。

 もはやターミネーターサーガは、ナンバリング作品とドラマを含め広がりすぎている。つまりは全く複雑になっているということで、正直それについていけていない私である。何がややこしいかというと、スター・ウォーズにおいて典型的なように、サーガモノというのはかっちりとした年表の上に成立しているべきなのに、タイムトラベルによる過去改変をテーマとするターミネーターにおいては、そんな年表が成立しないのである。そのせいで事情がますますややこしくなる。前作において積み上げたものが、次回作において一気に瓦解する。それ故キャラクターを延々と使いまわして同じことをやっている印象が強く、サーガモノにおいて面白さの源泉になるべき要素がむしろ逆に機能してしまっているという悪循環があるんじゃないかなあ、という。

 今作もそんな感じで、どんなにうまく問題設定しようが「ま た ス カ イ ネ ッ ト か」みたいな感想を抱かずにはいられない。もちろん、例えばまどマギやシュタゲのようなループものにすれば事情も変わるのだろうが、主人公毎回変わるし、映画をまたいでそんな手法が成立するわけもなく……うーんという感じだ。

 まああと、ターミネーターシリーズって、実はロードムービーなんですよっていうことですよ。それを実感させられた。車乗って、武器調達して、車乗って、飯買って……を繰り返しながら、逃走しつつターミネーターとだんだん仲良くなる、みたいな。その過程でシュワちゃんさんが人間性を獲得していくシーンが面白いわけで。このターミネーターロードムービー要素が無いばかりでなく、前半と後半で二回もタイムスリップをして、映画の文法が変わってしまうので、実際わかりにくい。アクション映画なんだから、シナリオ面をもっとすっきりまとめた方が絶対に良かったよね。まあ単純な物語はもうやったから……と即座に反論されそうだが、そういうことなら無理して続編つくんなよと言いたい。

 まあでも個人的に「お爺ちゃんになっても、ずっとずっとカリフォルニアで待ってるからね、わたし!」ってなったシュワちゃんさんは可愛かった。正直あそこがピーク。

 

 

ハングオーバー! [DVD]

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 コメディ映画。結婚式前夜、友人同士で独身旅行を敢行した男四人が、ベガスで派手にパーティを楽しむのだが、朝起きてみると強烈な二日酔いに。しかも気が付くと今度結婚する花婿が消えている。やばい、ということで残った三人が花婿を取り戻すべく頑張る話。 

 まあ普通に面白くはある。レインマンパロは笑った。米国のコメディ映画に必ず登場するフリークス系のおっさんほんと好き。ロリコンかと思ったらただのやばい人だった。

 つーかコメディ映画ってオチが弱いよなあ。お寒い決戦が無いのはいいが、この映画の場合行方不明の花婿が唐突に見つかるのでうーんという感じだ。オチも含め、薬物を飲んだタイミングなど、視聴者に対する情報の出し方があんまり上手くないので、全体的なまとまりがないんだよなあという。

 正直言われてるほど面白い感じはなかった。まあ二日酔いとかしたこと無いからあんま共感できないという問題もあるしな……

 

 

  海軍提督と奴隷母との間に生まれた庶子ベルは、提督の叔父である英国主席判事の家に預けられ、そこで貴族の令嬢として育つ。成人したベルは社交界にデビューし結婚相手探しを開始する一方、奴隷貿易船に対する裁判も進む。ベルの恋の行方は? (また奴隷の血を引く彼女にとって重要問題である)奴隷貿易の行方は!? 

 まず結論からいうと、オチが良かったよね。この映画の真の主人公はある意味で主席判事パパで、この人とベル、その彼氏の三角関係がすごく面白い。この映画って、例えば『小公子』みたいに「ひねくれた伯爵おじさんの心を、若く綺麗な少女が動かした」的な単純な物語構造にはしていなくて、パパとベルの関係も複雑。

 パパは法を守りたい人。物語的にいうと純正の善人。「正義をなせ、たとえ世界が終わるとも」みたいなモットーを持ってるガチガチの裁判官であるパパは、裁判に私情を持ち込むことなどありえない。パパの葛藤はどちらかというと、正しいことをしたいけど奴隷商人から圧力受けててつらい……というもので、彼に足りないのは思慮深さでも誠実さでもなく、商人や帝国政府と戦う勇気、そして理想を追求する心なのである。

 その勇気と理想を与えたのが、ベルとその彼氏。ベルは奴隷の血を引くものとして、奴隷(具体的には母)を小馬鹿にする貴族との結婚を蹴ったりする、誇りと勇気をもったキャラクター。一方彼氏は、生まれは卑しいのだが*1、社会を良くしたいとか言ってる理想主義者。ベルと彼氏に触発されて、パパは奴隷貿易はクソ的な筋の判決を下す。パパの決断はすごく感動的ではあった。これは社会のしがらみにがんじがらめになった人間が、「若者のパワー」とか「情」とかじゃなくて、人間として普遍的な美徳である勇気、誇り、理想、そういったものの素晴らしさを「受け取ることができる」んだというメッセージで、これがすごくナイス。おっさんも変われるんすよ。

 

 とまあこの映画、オチの盛り上がりは結構あるが、中盤の社交界シーンが退屈極まりない。何よりも致命的な欠陥として、サブヒーローが魅力ゼロ!! 長男は差別主義の頭おかしい人だし、次男はかっこ良くないし最初から財産目当てで結婚しますとか言い出す人だし。恋愛モノにおいては、魅力的なヒーローを描くことよりも、むしろ魅力的な当て馬を描くことの方がはるかに大事なのである。だってねえ、雑魚い負けヒーローが出てきても緊張感ゼロじゃないですか。この点に関しては完全な失敗だろう。まあこれは奴隷解放、女性解放的な主張が強いのはわかるんだが、だからこそ恋愛に期待し失敗する姿が必要なのでは無いかとも言える*2

 あと主人公のベルは遺産継承によって(限嗣相続どこいった感があるけど……どう考えても庶子の娘は相続権ないよなぁ)経済的に全然困る予定が無いので、結婚しなきゃ的なアレもないしな……その役割はもう一人の女性キャラが担ってるにしろ、そこまでまじめに描かれるわけでもなく。『高慢と偏見』みたいに「財産ないけど彼氏できたよ!」の方が(ファンタジーであるにしろ)恋愛物として楽しい。

 

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 最後。よくわからなかったのだが、この肖像画は……どうなんだ? どう考えても差別じゃんwww 映画の中では、「平等!」みたいな感じだったけど、あれは「対等の存在として描かれたかとおもったら、いつの間にか奴隷として描かれてるんやん」って話で、全然美談じゃないだろっていう。だってさ、なんか知らんが労働してるじゃん! 座ってたのに! 貴族の令嬢が草持って労働してるとかありえないでしょ。正直あそこは破綻してるとしかいいようがない。もちろん、十八世紀中盤だからアレがギリギリがんばったラインだったとも言えるだろうが……オリジナル肖像画だと服装まで変わってるじゃねーか! ステレオタイプ! 差別! 実話だからしょうがないにしろ、いろいろな限界があの絵に集約されてるのもまた事実なんだよなあ。 

 

 

・映画とは関係ない話 

 ところで、現代において貴族モノを成立させるためには、結局対ブルジョワ的文脈が必須だと思うんですよ。つまり貴族はブルジョワに対して金や権力以外の次元で完勝できる唯一の存在であり(逆にブルジョワにとって貴族は黒歴史の生き証人である。都会に出て洗練される前の自分を知っている地元のお姉さんみたいな存在である。殺さなくてはならない存在である)、だからブルジョワと役人の全盛時代である現代において、オルタナティブとしての貴族のコンテンツ性が急上昇しているのですよ。だからね、十八世紀の貴族モノはブルジョワ的文脈が弱すぎるので「貴族だなー」としかならない。やっぱり必要なのは、ブルジョワが金と権力を握った十九世紀の貴族モノだ。

*1:といっても坊主の息子(?)なのでまあ支配側ではあるんだけど。つーか一八世紀中頃のイングランドだしね。せめてこれくらいのポジションが無いと社会的上昇は無理や

*2:だって奴隷解放も女性解放も、決して反恋愛ではないわけですし