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みた映画とか

 

  2。1は文句なしの傑作だったけど、2はそうでもない……気がする。政治臭が半端ない。

 やっぱりこの映画のすごかったところは、ドラゴンを「飼いならす」ってところであって、ドラゴンパワーと同一化することで僕も空をとべるんだ!!(という錯覚)感、あれがすべてだったんだと思う。だから1における初飛行シーンの感動が半端ないのであり、あそこで泣けるのである。ドラゴンが僕に力をくれた。もう僕は弱くない。1からはそういう勇気をもらえる。

 そういう筋で2を評価すると、主人公が承認の問題で全く躓いておらず(父から後継者に指名され、彼女ともうまくいってる。1における問題が解決してるのがわかる)、しかも(協同飛行ではあるが)自分の力で空を飛ぼうとするので、ドラゴンパワーが体に流れ込んでくる幸福感をあんまり素直に味わえなくなってるんだよなあという感じはした。エンパワーメント力学第1法則として、エンパワーメント力を一定とした場合、弱い存在の方がより多くの力を受け取ることができるのであって、問題となるのはつねに変化量(どんくらい強くなれたか)であり、絶対的強さ(何を成し遂げたか)ではないのである。だから主人公が強者だと、どうしても作品全体のエンパワーメント力が下がる。

 

 カーチャンは頭おかしい。正直、父子関係のアニメに母子関係を持ち込むのは悪手だと思う。いや、別にいいんだけど、ヒックパパが政治臭皆無のおっさん(息子ラブ、民を守る、の2原理しかないキャラ)だったからいいにしても、ヒックママが正直子供映画じゃありえないレベルの政治臭を発揮していて、この臭さが映画を破壊した側面はあったと思う。こういう映画におけるキャラ造形の鉄則として、母キャラを掘り下げたかったら、必ず子供との関係を通して掘り下げなくちゃ駄目で(例えば子供のために大学やめるとかね)、母キャラ独自の物語(冒険してドラゴンの主と仲良くなったんだとかね)をぶち込んで説明しようとしてはいけない。もちろん、リアル世界において母が独自の物語を持つのはいいのだが、創作でそれをやると作品の筋が荒れてしまう。ママキャラが立つには立つが、そこに拭いがたい(あくまで脚本上の)違和感が生じてしまう。この映画は完全にそれにハマってたよなあ。明らかにカーチャンの処理に苦しんでたもん。

 

 全体的に政治臭がきつかった。まあ決して悪くはないけど、やっぱり1の完成度には全然及ばないよなあという感じ。

 

 

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  2。これも1の完成度を思い知る結果に終わった……

 まずコメディ映画なので笑えたかどうかという点で評価しなくてはならない。以下笑えたシーン。順番は思い出した順。

・まずファック連発してるのがウケるやろ

精子バンクのくだりはめっちゃ良かった(でもちょっと日和ってた)

・エリート女がタミリン言語をうまく理解できないシーン(お約束)も笑えた。エリートとボトム民の会話が咬み合わない感じほんと好き

モーガン・フリーマン事務所の机を壊してしまうシーンがおもしろすぎた。あの唐突感よなあ

・裁判長に怒られたあとスマホゲー始めるシーンとかめっちゃ好き。音まで出すのがすげーよ

・各テレビ局、各番組の風刺面白すぎるだろ。特にパロディ大好きの某番組のところが最高だった。パロディをパロディするの俺ちょー大好き

・ハッパ畑に到達した瞬間、唐突に始まるジェラシックパークパロは反則。「群れで動いてるんだ」って! 面白すぎる

 

 ただまあ問題山積である。一番まずいのは、「イジり」的なネタが多すぎたこと。TEDは絵的な完成度が高いのだから、つまり自給自足的に面白いのだから、わざわざイジり系のネタを入れなくてもいいのにねえ。

 例えばコミコンにおけるナードいじめは全然いいんだけど(ホモセクシャルが迫害側にまわることもあるんだというやばいメッセージが込められてるからね)、例えばコメディアンいじるシーンとかはどちらかといえばお寒かったし(別に北米ネタに対する無知のせいではなく……)、盲目の人を茶化すのもやりすぎだろう。(創作においては)障害者も平等に茶化すべきだとは思うが、しかし、相手を同じ地平に立たせずに茶化してしまうのはただの差別であって、全然よくない。ああいうことするなら、最後に相手がいたずらに気がついてぶちキレるシーンが必要だった。

 人権云々の筋は……うーん。まず第一に、「ホモセクシャルや黒人が平等を達成したんだから、同じくマイノリティである○○にも権利くれよ。人権って知ってるだろ?」というアーギュメントは、個人的にですが、完全なゴミだと思う。ホモや黒人が権利を獲得したのは、中流民が唐突に権利意識と同情心に目覚めてからでは全然ない。そうではなくて、ホモや黒人が「我らここにあり!」と宣言して闘いぬいたから、彼らの権利が認められたのである。政治的に無節操な多数派ども(奴らのルールはただ一つ、勝ち馬に乗れ、これだけである)に権利を認めさせるには、戦って「独自の」政治権力を手に入れなくちゃ駄目。だから「同じくマイノリティである○○」たちは、人権とかいう中立的な価値に訴えるんじゃなくて(それは運動の最終段階において必要であるにすぎない)、まずは「俺たちが〇〇だ!!」を全面に押し出さなくちゃいけないんだと思う。そういう意味でいうと、黒人やホモの権利を認めたようにテッドの権利も認めろやという筋の話をしてるのが最高に欺瞞的で、ねーよwwwって感じだった。それでも風刺映画かよ! 

 まあもちろんテッドは連帯するべき仲間が設定上存在しないので、しょうがないけど…… それに「国(ステート)相手に裁判してるし十分戦ってんじゃね?」という話もできそうだが、まああの国においてはいくらでもある事例であって、合衆国的文脈と、モーガン・フリーマンの演説とかも考慮に入れると、やっぱり話の一番大きな筋は「黒人やホモのように~」だとは思う。そして私はそのアーギュメントに乗れなかった、というだけの話である。

 

 

 最後。ダニーくんが健在でよかった。あいつほんと好き。ああいう負荷のかけられ方するキャラが愛おしすぎるんだよなあ。ハゲがバレるシーンの哀愁満点の演技とかもうほんと最高だった。