人狼童貞を捨てた話

人狼。それはリア充たちの宴。

人狼。それは非リア民にとって最後のフロンティアである。

ある経験

 私は小学生の頃から尖っていたので、当然キチガイ枠少年だったのだが(大体、お道化:真性=3:7くらいのキチガイ)、一度だけリア充グループと「ダウト」というゲームをプレイしたことがあった。

 ただ、小学校時代の私はダウトというゲームに対して異常と言ってもよい強度の憧憬を抱いていたから、せっかくゲームに参加させて貰えたのに、テンションが上がりすぎてひどいことをやらかしてしまった。

 どんなやらかしか。

 リア充たちの出すあらゆるカードに対してひたすら「ダウト」宣言をし始めたのだ。それもニヘラニヘラと笑いながら。

 あまりにも幸福すぎて、一度だけ言ってみたかった「ダウト!」と口に出せるのが嬉しすぎて、頬の筋肉を引きつらせながら、ひたすらダウト! ダウト!と連呼したのだ。

 その後私がリア充たちのダウト会に呼ばれることはなかった。

 っていうかそもそもダウトのルール知らなかった。

人狼の私的ゲーム理解 

 人狼というゲームの存在について初めて知ったのは、大学時代に知り合いが

「俺、人狼プレイしたんだ!」

 と言い放った時である。

 異常と言ってもよい強度の憧憬を抱いたのを覚えている。

 ルールについてはおぼろげには知っていた。なにやら、嘘をつくコミュニケーションゲームらしい。

 なんかダウトみたいだなと思った。リア充っぽいなと思った。

 誰もが相手のかぶっている仮面というフィクションを尊重し合うことによってかろうじて成立している社会で、その仮面をやさしく剥がし合うコミュニケーションゲーム、とは。

 やばい……これって、ほとんどセックスと同じじゃないか……。

 当時の私はそう思った。

 童貞なので俺には人狼は無理だな……となった。

 ただ、人狼に対する憧憬だけはあって、とりあえず人狼非童貞の人間に会うと「でもお前さ、人狼やっただろ!?」というウザ絡みをしていた。

人狼童貞は失われた

 だがそんな私にもついに人狼童貞を捨てることができた。

 これもひとえに、私を誘ってくれた某君のおかげである。心からの感謝を捧げたい。

 ちなみにこの感謝は誘ってくれたことへの感謝である*1

 さて、会場はジュクだった(ジャーゴンが分からない方向けの表現:新宿)。

 私は脳内で大体こんなことを考えていた。

 自己紹介ではこんなふうに自分をブランディングしよう!

 

「いやあ、僕、人狼やるのが人生の夢だったんです! 今日は夢が叶いました!」

 続いて、会場大爆笑。

  

 いいなと思った。

 こういう感じで非リアキャラをコンテンツ化していく先にウケが待っている。そうなんだ。

 だが、時がたつにつれて会場にはポツポツと知らない人間が集まってきた。

 人間がやってくる度に私の心は重くなった。

 知らん奴はキツイ……

 10人ほど集まったところで自己紹介となった。

 私は言った。

「えー。一度やってみたかったので、大変楽しみです。どうぞよろしくお願いします」

 続いて、会場拍手。

 いや、たしか拍手は無かった。

 ……あれ?

 本当はもっと悲惨な負荷をかけるつもりだった。人生がどうとか、非リアがどうとか。

 だが緊張のあまり想定していた発言すらできなかったのだ。

 なんというザコか。泣きたかった。

 ゲームが始まった。

 私は人狼になった。

人狼としての生き方とは

 童貞はセックスする段になったら確実にキョドるんだろうな、という印象がある。

 その印象に近い感覚だった。

 まさか、いきなり人狼とは……

 なぜか会話が始まった。

 「1ターン目はねー、やることないからねー」

 皆、口を開きはじめる。

 よくまあ愚にもつかないことをべらべらと喋るものだ。

 などといいつつ私は焦った。

 人狼たる私は何を喋ればいい? 

 嘘をつけばいいのか?

 あなたが好きですとか言えばいいのか?(意味不明)

 何もできないうちに、最初のターンが終わった。

 なぜかもう一人の人狼が吊し上げられた。

 かわいそうに……

 二ターン目が始まった。

「あなた、あまり喋ってませんよね?」

 と、いきなり集中砲火を浴びた。

 これが……迫害か。

 私はプロテストした。

「いいですか、ある人間があまりしゃべらない場合、それには二つの原因が考えられるんですよ。つまり、その人が人狼であるか、あるいはその人が単なるコミュ障かということです。私は後者ですよ」

 コミュ障というのは黙っている時ではなく喋る時にボロが出るものである。

 抗戦虚しく、あまりしゃべらない、という理由で私は殺された。

 他にも幽霊だったか心霊がどうとかいう謎の根拠付けがなされたが、まあ、あんま覚えてない。

 迫害の魔の手は私を追放することに成功したので、おかげで村は平和になった。

 私の人狼童貞は2ターンで終了した。

「あなた、声震えてましたからね」

 ゲーム終了後、誰かが言った。

 もし私が誰かとセックスをする時にも、きっと震え声なんだろうなと思った。

狂人の死

 何ゲームかやった後、私はついに狂人職を引いた。

 嬉しかった。

 というのも私は自他共認めるフリークスなので、常日頃から周りの人間にこう漏らしていたからだ。

「俺さーまじナチュラルボーンフリークスだからさー、人狼の狂人とかやったら絶対強いわ」

 心の準備ができていたので、私は開幕から「占い師カミングアウト」と呼ばれる戦術を取った。

 我ながら完璧な狂人ぶりだったと思う。

 するともう一人、本物の占い師が名乗り出た。

 瞬間、壊し屋としての血がたぎってきた。

 ちょうど小学生の頃、ダウトダウトと連呼してリア充のダウト会を壊滅に追いやったように……

 今回、私は平和な村を破壊するのだ!

 泣きだすほどの充実感が体中を走り抜けた。

 一日目の投票では、無実の第三者が迫害された。

 とても幸せだった。

 フリークス最高だと思った。

 だが次のターン、私は退場を宣告された。

 人狼たちが私を殺したのだ。

 ……は? となった。 

 フリークスは人狼の仲間である。

 アウトロー同士は必ず不思議な連帯感情で結ばれているものだ。

 どんな映画を見たって、開始20分で「はぐれもの」たちがチームを組むだろう?

 だが現実は非情だ。

 狂人は人狼と連帯する契機を奪われたまま葬られた。

 フリークスはこの残酷な世界の中で、たったひとりで生き抜かねばならぬのだ…… 

とってつけたように

 まあ、人狼、楽しかった。

 悔しいけど……悪くないものです。

 そして、私は人狼童貞を捨ててしまったので

 ここに人狼童貞伯爵の称号を放棄するものです。

 つまり、今後人狼非童貞に対して

でもお前さ、人狼やっただろ!?

 というウザ絡みをする権利を失ってしまった……といこと。

 悲しいような……寂しいような……うれしいような……

 以上、報告と宣言でした。

*1:マジでありがとうございました

魔導史科の人々

某市場に出したやつ。

【話の内容】

 近世百合ファンタジー。魔法がある世界における30年戦争っぽい戦争について議論している二人を描いた短編。

【本文】

魔導史科の人々

 

 プラキア市の旧市街地にある小さなカフェ「メモリア」は、いつも朝の十時に開店する。それは春夏秋冬、三六五日にわたって変わらない法則のようなもので、たとえばその日は八月の非常に暑い日だったのだが、やはり店主は朝十時に店を開けた。

 入り口のドアを開けて通りに出てきた店主は、まず本日のオススメメニューが書かれた看板を店先に立てかけた。かぼちゃケーキは八クラウン、かぼちゃのプリンは十クラウンである。両手を腰に当てて、満足そうに看板を眺めた店主は、今度は店先の花壇に目をやった。近づいてかかがみこむと、店主は花壇に植えられたペチュニアを少しだけ世話した。日照りが続いているせいで、ここのところペチュニアはどんどん元気を失っているようだった。カサカサに乾いてしまった葉を指でいとおしげにさすりながら、店主は物憂げな表情をつくった。ひょっとしたら、このペチュニアたちは店の裏に移動させた方がいいかもしれない・・・・・・。しかし旧市街組合の景観協定では、通りに面しているカフェは店先に花壇を配置することになっている。ペチュニアの命か、組合の協定か。市外出身の店主にとって組合との関係はないがしろにできるようなものではなく、なかなか難しい選択と言えた。

 店主がそんなことを考えていると、通りの反対側から二人の若者がカフェに近づいて来るのが見えた。見るからにプラキア大生といった風貌の二人組だ。片方は、長い銀髪を揺らしている長身で、上は白のレース付きブラウス、下は薄い生地のパンツといった出で立ち。左の手首には黒のビロードを巻いているようだったが、そのワンアクセントは、白を基調とした服装だから遠くからでも目立った。表情は明るく、まるで開城したプラキア市の城鍵を受け取ったかのような自信にあふれていた。服装と表情の方は軽やかだったが、しかしこの銀髪の若者は大きな、重そうなトートバックを脇に抱えていた。

 一方、もう片方の若者は、クセの強そうな黒髪が特徴的で、背丈は銀髪よりも少しだけ低い。服装の方は、全身黒ローブというおよそ夏らしくない風貌であるが、店主はこのローブを着込んだ学生を何回か見たことがあった。黒ローブはプラキア大の礼服で、入学式や卒業式のシーズンには黒ローブ姿のプラキア大生が町にあふれかえるのだ。ただ、今はどちらのシーズンでもない。黒髪がまとっていたローブは聖職者が着る法服のように体のラインを覆い隠すタイプではなく、むしろ体型にピッタリ合ったローブで四肢の動きが見て取れるので、最低限の軽やかさが与えられているようだった。幅の広い腰のベルトはバックルが銀製で、きちんと磨かれているせいか日光を受けて清潔な光を放っている。いかにも「さきほど起こされました」と主張している眠たげな表情のせいか、黒髪の若者にはどこか落ち着いた雰囲気があった。持ち物は少なく、こじんまりとしたショルダーバックを肩から下げているだけだった。

 並んで歩を進める二人は店先までやってくると、ペチュニア花壇の前にたたずんでいた店主に向かって朝の挨拶をした。とはいえ、銀髪の方の挨拶はいかにも慇懃無礼という感じだったし、黒髪の方はといえばいかにも気だるげな調子だったので、店主は心の中で頭を抱えた。

「あんたら、今日も粘るつもりで来たんだろ」

 店主も朝の挨拶を返すと、二人の客の前に立ちはだかり、さきほど立てかけた「本日のオススメメニュー」の看板を両方の人差し指で差した。パンプキンケーキは八クラウン、カボチャプリンは十クラウンなのだ。しかし二人の客は看板に目もくれず、曖昧な表情のままぞろぞろと店内に入っていった。呆れ顔の店主もそれに続いた。

 二人の客のうち、注文カウンターに向かったのは銀髪の方だった。手入れの行き届いた長い銀髪は、色合いとしてはブラウスのレースに溶け込んではいるものの、いざ髪を後ろに送るような場合には自らの存在を主張し始めるかのようだった。髪がかきあげられ、手首に巻きつられた黒いビロードが銀髪の海に埋もれていく段になると、深い黒とのコントラストのおかげで、銀髪の美しさがいよいよ引き立てられるのだった。

 銀髪は丁寧に言った。

「珈琲を。二つ。東部シトー産の豆で」

「なるほど。悪くない選択と言えるかもしれません。それは確かです。しかし・・・・・・」

 カウンターの奥側に立った店主は、げっそりとした表情をして最後の抵抗を見せた。

「今日はパンプキンのケーキもあるんですがね。全部天然素材ですし、味は保証しますよ。しかもセットにすると大変お得なるんです」

 が、銀髪の客はニッコリと微笑むと、上品な動作で四クラウン硬貨をカウンターに置いた。そして片方はミルク多めで、と注文をつけてから、連れが陣取った席に向かった。店主は悔しそうな顔をして、四クラウン硬貨をレジにしまい込んだ。

 席の占領を担当していた黒髪は、首尾よく店内で一番よい席を確保していた。席は窓側で四人がけ。窓が近く通りにならぶ露天が見渡せ、店外に設置されたオーニングのおかげで日当たりも心地よく、店内の冷房からも程よい距離だ。テーブルや椅子などの調度品もビーン島風。店主にとっては、パンプキンケーキを注文するような客のために用意した席そのものであったが、しかし店主は為す術もないようで、面の皮が厚い二人の客が席を占拠するのにまかせるしかなかった。

「あんたと来たら」

 先に席について、頬杖をつきながら厚紙製のメニューを眺めていた黒髪の客が言った。夏なのに真っ黒な長いローブに身を包んでいるものだからやはり暑いらしく、冷房にありつけてひとごこちついたという様子だ。

「私にまたあの苦い豆のだし汁を飲ませようという腹なわけだ」

「一昨日あなたに言われて試したけど、ここの紅茶美味しくないし」

「あんたは紅茶のことを何も分かってない」

「あなたが珈琲のことを何も分かってない程度にはそうでしょうね」

  銀髪はトートバックを奥の席に置くと、自分は黒髪の正面に腰を落ち着けた。

 

 

 銀髪の客は相方の向かいに腰を落ち着け、あー重かったとつぶやくと、トートバックから古めかしいハードカバーの本を何冊か取り出した。そして「店を開きはじめる」という表現の良いお手本となるような動作で、一冊一冊丁寧に並べていった。一方の黒髪は、几帳面な面持ちで書店を開店させている銀髪を呆れ顔で眺めると、自分はショルダーバックから小さなメモ帳を取り出し、無造作にテーブルに置いた。

「そういえば」本を並び終えると、銀髪の客は付箋と切り抜きのせいで分厚くなった大判のノートを開き、テラノ製の万年筆をノートの隣に置いた。

「聞いた? ティリ先生、コーン教授といよいよ一騎打ちらしいね。はたして史学研究科長の座はどちらの手に渡るのか?」

「どうでもいい。そもそも魔導史学科と君侯史学科の統合に私は反対だから」

「それは知ってるけど……でも、ティリ先生が劣勢ってことは? だから」

 銀髪が続けようとしたのを、黒髪が手をそっとあげて遮った。

「今日は学内政治の話をしに来たんじゃない。一昨日の続きに入ろう」

「あら、学内政治と私たちの研究が区別できるわけ? そういう態度を取るのってずるいと思うけど?」

 銀髪は水を得た魚もかくやという生気を撒き散らしながら語り始める。

 黒髪は、まーた始まった、とうんざりしたようにつぶやくと、窓から見渡せる通りに視線を送った。プラキア城と大学が中心の旧市街地と異なり、繁華街であるこの通りには多種多様な露天が並ぶ。

「まあ、話したくないんなら別にいいけど……」

 銀髪は餌を取り上げられた犬のような調子で急に押し黙ると、相棒の注意を引き戻そうとして言った。

「それで、一昨日はどこまでやったっけ?」

 黒髪は苦々しげな表情を作った。

「あんたに宿題を出したところまでだよ。《大叙爵》に関する資料整理。『一三三一年の皇帝勅書』を現代語に訳してくる約束だった。とりあえず勅書第四部が必要なんだけど、見せてくれる?」

 新市街地から視線を戻すと、黒髪は秀才特有のあの傲慢さに満ちた調子で言った。私が知っているのだからあなたも知っていて当然。私ができるのだからあなたもできて当然。

 反論は早かった。銀髪の珈琲党はノートをめくり、一番最初のページを指差した。ノートには学内誌の切り抜きが貼り付けてあった。

「でも指定されてるテーマは『一六七一年に行われた、シーン王とミナ王による共同戴冠の経緯と意義について、コーン仮説に言及しつつ論ぜよ』でしょ? 一六七一年に執り行われた共同戴冠の、つまりは三百年以上前に起こった《大叙爵》から論述をスタートさせるのはさ、どう考えても冗長だと思わない? 私はどっちかというと戴冠式の方を詳しく書きたいんだけど?」

「……はい? 蒸し返さないでくれる?」

 黒髪の紅茶党はイラつきを隠さずにまくし立てた。伸ばされたままになっている人差し指の爪を、コツコツとテーブルに当てながら。

「その論点についてはもう十分話したろ。両研究科統合記念の懸賞論文なんだよ? もちろん魔導史と君侯史、二つのアプローチからの回答が期待されてると見るべきだろう。つまり、《大叙爵》によって君侯化した魔女たちが、君侯たちの汚い戦いに巻き込まれ、最後には政治権力という汚物まで獲得してしまう、というね。私に言わせれば、共同戴冠の意義とは『魔女の世俗化が完了し、魔女がこの世界から消え去ったこと』に他ならないね」

「そうかな? 私としては、《大叙爵》によって君侯としての実力を得た魔女たちだけが、魔導大戦という悲惨な迫害を跳ね返すことに成功した、って書きたいところね。だからシーンとミナによる共同戴冠の意義は『魔女の政治的独立を確定させたこと』にあると思う。っていうか、まずここの不一致を解決してしまった方がいいような気がするけどね」

 銀髪が駄々をこねるようにして言った。このままベタベタと流れを持っていかれては困るということで、黒髪がやや強引に話を戻した。

「……話をそらさないでよ。ちゃんと翻訳してきたわけ? ほら。皇帝勅書の。第四部。翻訳。よこしなさい」

「翻訳、翻訳……翻訳ね。でもさ、それって本当に必要かな? お互い古テラノリアル語は読めるんだし、原典ベースで議論した方がよくない?」

「関係ないね。懸賞論文は現代語で書かなきゃならないんだから」

「えーと」銀髪の客はノートからそっと手を引いた。

「昨日はちょっと用事があって」

「なに」

「用事が」

「具体的になに」

「男の子と映画を」

「はあ!?」

「アルバ監督の撮った最新作なんだけどね。『道と馬』っていうタイトル。それなりに面白かった」

「いや、聞いてないから」

「だってさ、具体的に聞きたかったんじゃ?」

「わざとやってるな」

「どういう意味」

「じゃああたし帰るから」

 黒髪の客が席を立つと、その話し相手は表情をほころばせながら、諭すように言った。

「待って待って。一緒に懸賞論文を書き上げるって約束したじゃない? 約束は守ろうよ」

「ああ約束したとも! 忘れないでほしいね、他にいくらでも相手がいそうなものをあんたの方から頼んできたんじゃないか。どうしてもと言うから、あんたが夏季休暇をこの論文に捧げるという条件で私は共同執筆者になってやったんだ。なのに何! あたしが図書館で史料探しをしている間に、あんたは映画館で男探しというわけだ!」

「……別に映画館で男の子は探してない。一緒に行く人とはバスの停留所で集合したから」

「あーやだやだ! あんたのそういうトボけたところにはもー耐えられない!」

「ミルク多めの方はどちら?」

 テーブルにやって来た給仕係が、二人の客の議論に割って入った。給仕係はミア地方の貴族に仕えていたお仕着せたちを模した風貌で、片手で支えられた銀色のトレーにはカップが二組、サイフォンが二つ、ポッドが一つ乗せられている。

「あちらの方です」

 銀髪の客も姿勢を正すと、舞踏会で意中の相手をダンスに誘うプリンスたちのような動作で右腕全体をしならせた。その大げさな動作にこれまた大げさな礼で応えた給仕係は、さっそくコーヒの給仕を始めた。陶器製のソーサーを几帳面な面持ちでテーブルに配置し、その上にソーサーと同じ柄のカップを配置していく。カップはやや高めの口が小さいタイプで、珈琲を楽しむのに向いている型だ。カップの設置が終わると、控えめな回転とともにサイフォンから珈琲が注がれた。さきほどまで口論をしていた二人の客は、どこかきまずかったせいか、給仕係がくそまじめな表情で珈琲をカップにそそぎ込むのを、これまたくそまじめで神妙な顔つきで見つめる。

「お砂糖いただけます?」

 給仕が終わるやいなや、黒髪の客が唐突に尋ねた。

「おやめなさい」

 と銀髪がしずかな声で制止したが、その時すでに黒髪は仕事に取り掛かっていた。給仕係から木製の砂糖入れを受け取ると、黒髪はスプーンで砂糖を大量にすくい、何度も何度も珈琲に注ぎ始めた。砂糖はだばだばと音を立てて珈琲に降り注ぐ。黒髪の動作には、図書館で史料を扱う史学徒めいた繊細さは見られず、むしろ労働者がスクラップを高炉に投げ入れるかのようないい加減さだけがあった。

 銀髪の客はまゆをつりあげる。

「ああ、東部シトー産の豆が台無しだ」

 と、珈琲に砂糖を投入しながら、黒髪が楽しそうに言った。銀髪は、黒髪が砂糖の投入をやめるのを辛抱強く待っていたが、その兆候は全く見られず、小さなスプーンは砂糖入れとコーヒーカップの上を何度も何度も往復するので、ついにしびれを切らした。

「……ちょっと! もう十分でしょ。ただでさえミルク入りなのに。どれだけお砂糖入れるつもりなわけ?」

「甘くなるまで」

 小さく口をあけて絶句してしまった銀髪は、おぞましい異教の儀式に遭遇した聖職者めいた表情で相方の珈琲カップを眺めた。しかし深呼吸によってなんとか平静を取り戻すと、まるで自分だけは手元の珈琲の真価を理解しているのだとでも言いたげに、両手で大事そうにカップを包んでから、もったいぶってカップを口に近づけ、東部シトー産珈琲の香りを楽しみ始めたのだった。黒髪のカップがなるべく視線に入らないようにしながら。

 

「まあ・・・・・・、論述を《大叙爵》から始めるのはいいにしても」銀髪の客がカップをゆっくりとソーサーに戻しながら言った。

「論文でその《大叙爵》をどう位置づけるかについては私達の間で決着がついてないでしょ。まずそこから始めない?」

「議論の余地は無いね。東部の魔女たちがコーラルⅣ世による《大叙爵》を受け入れたのは失敗だった。まさに致命的と言うべき失敗さ。そのせいで本来権力と無縁だった魔女たちが、世俗の汚らしい政治闘争に巻き込まれてしまったんだからねえ。シーンとミナの共同戴冠なんてのはあんた、魔女の生き方が君侯どもの論理に取って代わられていった数々の悲劇の中でも、その最たるものと言えるだろうね」

 と、珈琲をかき混ぜる作業に没頭しながら黒髪。視線は珈琲渦の中心に向けられている。

「あらそう? 私は全く逆の意見なんだけど? 十四世紀の《大叙爵》で帝国諸侯としての地位を手に入れていなかったら、東部の魔女たちは早い段階……おそらく、一六世紀の《蔑視の時代》までに根絶されていたと思う。実際、一五四三年の第十二次聖公会議で正式に宣言されたように、魔女としての生き方を貫いた西部の連中はあの時点で根こそぎやられちゃったわけだし」

 銀髪の言葉を聞いた黒髪は顔をあげて、忌々しげに銀髪を見つめると、静かに言った。

「それならそれで良かったんだ。時代の流れに逆らってまで生き残ってもしょうがない。一体全体、そうまでして生き残る価値があるのかね、魔女たちに」

「もちろんそういった価値判断は学問のしごとではないけれど」銀髪はもう一度もったいぶってカップを持ち上げた。

「私はあると思うけどね」

 黒髪はふんと鼻を鳴らすと、また前かがみになって珈琲をかき混ぜる作業に戻った。だが今回だけは、この粗野で異教的な行いを、銀髪は愛おしげに見つめていたのだった。

「ふふ。まるで魔法薬を精製してる魔女みたいよ、あなた」

「あんたにもできるはずだ。砂糖ならあるんだから」

 ぐいと木製の砂糖入れを押し出した黒髪に対して、銀髪は慈しみの笑顔を苦笑いに切り替え、表情そのままに視線をノートに戻した。

「それで、話を戻すけど。あなたは《大叙爵》を、魔女の生き方が変わり始めたその第一歩として見ているわけね?」

「堕落の歴史だよ、《大叙爵》以降の魔導史は」

「じゃああの悲惨な疫病に対して、魔女たちは何もするべきではなかったと?」  

「……難しいところをついたつもりだろうが、私の意見は変わらないね」

 黒髪はニヤリと笑ってから、カップを口に近づけようと試みた。が、その匂いを嗅ぐとまたカップをソーサーに置いてしまった。

「あんたの言う通り……十四世紀に入ってすぐの頃、大陸で悲惨な疫病が流行した。特に子供たちに罹りやすい病で、君侯の子だろうが農民の子だろうが関係なくばたばたと死んでいった。で、どうなったか?」

「当時ならよくあることでしょ」

 銀髪の解答を不服そう受け流す黒髪。

「皇帝は魔女に助けを求めてきたのさ! なんたる厚顔無恥! そして当然、魔女の解答はNOだった。歴代の皇帝が放った遠征軍は少なく見積もっても南部で十二、北部で八、一番弾圧が苛烈だった西部では十八もの魔導協会を容赦なく潰していたから、魔女たちとしては皇帝の要請を蹴り返す他なかったんだ。各地の魔女は一般にサバトと呼ばれる協会会議を開き対応を協議したが、どこの魔導協会も全会一致で帝国と人間への不協力を決議した。魔女としては当然の対応だ」

 黒髪が大演説を終えて一息ついているのを相方が引き継いだ。

「でもたった一つの協会が、他とは違う対応を選んだ。ここプラキア市を本拠地として、帝国東部地域で活動していた魔導協会ね。通称《十三人協会》。懸賞論文のテーマにあるシーン王もミナ王も、元々はこの協会のメンバーだった、つまりコテコテの魔女だったことが分かっている……と」

 銀髪の客がノートをめくりながらそう言うと、黒髪はむきになって言った。

「なーにが『たった一つの協会』だよ。まるで帝国への協力が《十三人協会》全体の意思だったかのような言い方をするのはやめてもらいたいね。事実に反するから」

「あら。事実でしょ。少なくとも三冊の一次資料にそう書いてるあるけどね」

 銀髪がとぼけて言ってみせると、つい先程そうしたように、黒髪の客はまたしても人差し指の爪をテーブルに打ちつけ始め、自分の言葉に弾みをつけるようにして言った。

「確かに結果として帝国に協力する形にはなったが、元々《十三人協会》の内部でも意見は割れてたんだ。正確に言えば、ああなったのは造反者、裏切り者が出たせいなのさ」

呆れ顔で割って入る銀髪。

「裏切り……ね。でもこんな言葉を知ってる? 『裏切りはかならずしも悪人と善人の間でおこるとは限らない』ってね」

「もちろんその通り。だが、健全な魔女と堕落した魔女の間で起こることはあるんだ」

「なるほど」

 銀髪は観念したように両手を上げると、黒髪の言葉を促した。

「事実はこうさ。《十三人協会》の魔女たちが残している議事録によればだ、神聖皇帝コーラルⅣ世の要請に対してどう返答するべきかを相談したサバトでは、終始拒絶派が優勢だった。名誉職ではあったが会長を努めていた《黒の魔女》ミナ以下、一三人中十二人の魔女が拒絶に投票した。それほどコーラルⅣ世による迫害は苛烈で、魔女たちの警戒心は強かったんだよ。なのに一人だけ、神聖皇帝への協力を訴える魔女がいた。それが《嵐の魔女》シーン。後のシーン共同王その人というわけだ」

 黒髪が続けようとすると、銀髪がまたしても唐突に割って入った。

「私その魔女好き。歴史を勉強しているとお気に入りの人物っていうのがどうしても出てくるものだけど、《嵐の魔女》シーンは特別お気に入り」

「あっそ」

 忌々しげに言葉を切る黒髪。だがなんとかして一言だけ付け足した。

「あたしは嫌いだよ」

「転科のことまだ根に持ってるわけ?」

 黒髪は珈琲を唐突にあおった。が、やはり無理をしていたのか、さっそく咳き込んでしまう。なんてひどい……しんじられない……などとつぶやきながら、ハンカチを求め脇においていたショルダーバックを漁る黒髪。

 その様子を見つめながら、銀髪が呟いた。

「あなただって本当は魔女シーンが好きでしょうに」

 黒髪の客はハンカチで口を覆いながらい銀髪を一瞬睨みつけた。そうしておいて、空いている方の手を無気力に振って何か言おうとした銀髪を黙らせた。

「とにかくだ。シーンの奴が受諾票を投じたせいで、《十三人協会》の開いた協会会議は魔導上の拘束力を発揮できなくなってしまった。本来サバトでの決定は魔女たちを契約魔法によって拘束することができるんだが、それが可能なのは全会一致を見た時だけだからだ。《嵐の魔女》シーンはサバトが終了するやいなや、皇帝の宮殿に飛んでいった。疫病にやられていた皇子たちを治療するためにね」

「それって問題あるわけ? 協会としてではなく、シーンが一人の魔女としてやったことじゃない。よく言うでしょ、『魔女はなんだって一人でできる』」

「知ってるよ。だがその言葉はこう締めくくられる。『ではなぜ魔女は協会を必要とするか?』とね。魔導協会の連帯というものを、シーンはなし崩しにしやがったのさ。かの高名な《十三人協会》の正式メンバー、それも最も格式が高くそして古い歴史を持つ魔女の一人である《嵐の魔女》が、コーラルⅣ世の宮廷で皇子たちの疫病を見事治療したという噂はあっという間に大陸中に広がり、帝国中の連中がここプラキア市に群がってきた。その殆どは子供が疫病にやられた親たちでね」

「かわいそうじゃない。たすけてあげないと」

 銀髪がひょうひょうと口を挟む。黒髪は眉を寄せて続ける。

「とにかく、人々の流入によって市の衛生状態は崩壊寸前に陥ったし、治療を求める人々も暴徒化寸前。実際、一部は暴徒と化して橋への攻撃を始める始末さ。市街に通じる一番大きな橋だったロベルツ橋の管理塔を包囲側に奪われた段階で、プラキアの市政会まで妥協路線へと舵を切った。《十三人協会》側、特に《黒の魔女》ミナは徹底抗戦の構えを見せていたが、足元の市政会が城門の鍵を開けたがっていたんだから戦えるわけがない。魔女シーンの作り出した状況に押し流される形で、結局《十三人協会》は帝国と人間への協力を約束した。やむなくね。一三二九年の段階で《嵐の魔女》シーンと神聖皇帝コーラルⅣ世が妥結していた秘密協定が『黄山の協定』で、その協定の正式版が『一三三一年の皇帝勅書』……あんたに現代語訳を頼んだ文書だね……それで、その勅書を根拠として、その年の終わりにピカデリー宮殿で、魔女に対する《大叙爵》が盛大にとり行われたというわけだ。帝国を疫病から救った功績に対し、というお題目でね。魔女の神聖帝国諸侯、という学問上の難題が登場した瞬間だ」

 

「《十三人協会》のメンバーでも約一名、爵位を受け取らなかった魔女がいるけどね……」

 黙って珈琲を飲みながら黒髪の大演説を聞いていた銀髪が、肩をすくめていった。

「一三三一年の《大叙爵》を描いたタペストリー、『ピカデリー宮殿での叙爵式』に描かれているように、《黒の魔女》ミナは皇帝への宣誓を拒否した。そのせいで、爵位を貰い損ねた。ゼルン領圏公爵および選定大公の地位が約束されていたのに……本当に、もったいないというか、意固地だよねえ、ミナっていう魔女は」

「あくまで魔導史科所属の研究者として言うんだが」

 黒髪は楽しそうに椅子の背もたれに寄りかかった。

「あれは皇帝が悪いよ。叙爵式の直前になって、黒ローブを着用している者に叙爵はできない、なんて言い出すんだから」

「着替えればいいだけでしょ!? 魔女シーンが用意していたドレスがあったんだから!」

 銀髪は乱暴にノートをめくり、貼り付けてあった絵柄を指で突いた。

「あぁ、それ。何ていうんだっけ? その、当時流行していた、模様のある薄い布は……」

「ひょっとしてレースのことを言ってるんじゃないでしょうね?」

 銀髪の肩から力が抜ける。

「そうレース。魔女シーンときたら、そういうレース付きのドレスに鞍替えして叙爵式に出席したからね。魔女の服装は黒ローブと決まってるのにだ。二重で裏切ったというわけだ」

「叙爵式にどんな服装で出るかなんて瑣末な問題でしょ……?」

「魔導史的には瑣末じゃないね」

「あきれた」

 銀髪は大きなため息をつくと、少しきつい調子でまくし立てた。

「これは複数の年代記に書かれていることだけど、宣誓拒否の話を聞いた魔女シーンはこの時、相当怒ったらしいよ。本来ミナに与えられるはずだった議会爵位の票は、帝国議会で魔女たちが立場を確保する上で欠くべからざるものだったんですもの。シーンはちゃんと色々計算して、皇帝と交渉してたのよ。それが魔女ミナのせいでめちゃくちゃにされちゃったわけ」

「それは典っ型的な君侯側のロジックだね。シーン史観と言ってもいい。魔女が神聖帝国議会に出席してる方がおかしいんだ」

「……またそういう話をするの? 叙爵が行われたとはいえ、皇帝や君侯と魔女たちが和解したわけでは全然なかったわけでしょ? むしろ、喉元過ぎれば熱さを忘れるって調子。《大叙爵》以降疫病がすっかり収束してしまうと、君侯たちは魔女が露骨な権力を獲得していくのを妨害し始めた。君侯たちは教会と結託して、魔導諸公国に対して軍事上、外交上、経済上の制限を押し付けたというわけ。帝国議会令の名の下にね。でも、もしミナの票があったら、せめて軍事権だけは確保できていたはず」

「だからさ、魔女には軍事権も外交権も経済特権もいらないんだよ。そういった世俗の汚らしさとは離れたところで、ローブと杖と魔本と一緒に生きるのが魔女なんだ」

「だから、そういう態度を取っていたからこそ、魔女は迫害に対して無力だったと私は言っているのに、あなたは決して聞こうとはしないよね。どうして?」

「さあ……? 魔導史専攻だからかな?」

 黒髪の全く動じない態度を見て、銀髪は一度珈琲を手に取った。黒髪を切り崩すためには、十分なエネルギーが必要だった。

「とにかく! 魔女シーンの始めたプロジェクトは、のっけから身内の反乱で破綻の危機に陥ったの。そこで、十五世紀に入ったあたりかな、フルスペックの君侯国としての地位を獲得するため、魔女シーンは皇帝に接近した。まあ、しょうがなくという意味だけど……。当時の皇帝エーファンリムⅡ世は中央集権化政策を進めたがっていた皇帝ね。ただ、『大陸諸侯の古き権利を守る』ことを旨とする帝国議会は、皇帝大権の拡大なんてことは絶対に許しはしなかったから、議会対皇帝の対決は進展せず、何十年と膠着状態が続いていた。ところが、そこに魔女という新たなファクターが現れたわけ」

 黒髪は片手を癖の強い前髪をいじり始めた。

「あまり聞きたくない部分だ」

 銀髪はお構いなしで続ける。

「その時代、魔女は皇帝に協力することによって自らの権力を拡大させたわけ。数次に渡る《王滅戦争》時代――これはまあ、ざっくり言うと皇帝と大貴族の戦いなんだけど――、魔導諸公国は皇帝側に立って参戦した。皇帝派の勝利によって、帝国における大貴族は倒れ、皇帝独裁路線が確定し、魔女たちには独自の軍事権が許された。魔導騎士団の正式召集が一四八〇年、その二十二年後にはゼーレン川以北における都市、鉱山、市場、運河についての特許状発行権が皇帝から委任された。魔女シーンが《東部における帝権代理人》を名乗り始めたのはこの頃と言われているわね」

 黒髪は皮肉的な、かわいた拍手を送った。

「結構結構。大いに結構じゃないか。皇帝の忠犬と化した魔女たちも、今や立派な騎士団と肩書を得た。代わりに魔女としての誇りを失ったけどね」

 銀髪は表情を曇らせる。

「まあ、あなたの言う通りだったら良かったんだけど……。つまり、本当に魔女が魔女で無くなっていたのだとしたら、それはそれでよかった。というのもね、いざ魔女が露骨な権力を獲得してしまうと、今度は皇帝と魔女の関係がギクシャクしはじめた。皇帝としては使い勝手のいい忠犬が、いつの間にか鋭い牙を持った獅子になってしまった、ってことなんでしょうけどね。当然、強力すぎる臣下は邪魔なだけ。しかも間の悪いことに、時の皇太子、後の皇帝エーファンリムⅢ世は教会司教たちに囲まれて育ったような人だったから、当然大の魔女嫌いと来ていた。シーンの努力も虚しく、皇帝は即位と同時に、《大叙爵》以来停止されていた魔女排除令を復活させた。これを契機に始まるのが、魔女に対する大反動の時代、通称《蔑視の時代》ね。一六世紀に入ったあたりから、魔女排除令の取り下げを要求するシーン率いる魔導諸公国と、皇帝大権を立てに頑として要求を拒絶する皇統政府との緊張がどんどん高まっていく。一方の皇帝は西部の魔女迫害に乗り出し、一方のシーンはその報復に東北部のゾニアル諸侯を『保護』下に置いた」

 黒髪はふてくされたように頬杖をついた。

「だがそんな生ぬるい対応をしていた結果が、一五四三年の第十二次聖公会議での宣言――つまり、帝国西部における魔女殲滅宣言――というのでは全く話にならないけどね。結局、シーンは魔女を裏切った。本当に、本当に最低だよ」

「……その宣言が発せられた後、皇帝と魔導諸公国の緊張は極限まで高まっていった。そして、一五五五年の正月。シーンはついに自らが《東部における王》であると宣言した。当然、王号を認めるのは明確に皇帝大権の一部だから、シーンがやったことは帝権の侵害にあたる。皇帝エーファンリムⅢ世は激怒。シーンの宣言を黙殺し、逆に魔女たちの持っていた議会爵位、領圏爵位の剥奪を宣言した。まあ、これが事実上の宣戦布告ね。実際には一五五五年の六月、《渓谷の魔女》ロベルツ率いる魔導騎士団の一隊が南部皇統領に侵入することで、軍事的にも魔導大戦が始まった。一六七一まで続く、最後の迫害戦争がね。まあ、結論を先に行ってしまうと、この戦争は魔女側の勝利に終わるわけですが……」

「はっ、勝利ねえ? その戦役中、十三人いた協会の元メンバーは、ミナとシーンの二人にまで減ってしまったわけだけど?」

「そう見るか、あるいはシーンとミナが生き残ったと見るかでしょう。多大な犠牲を出しつつも、最終的には迫害を跳ね返すことができたんですもの。しかもその成果として、シーンは皇帝から王冠を勝ち取ることができた。皇帝からの独立の象徴をね。その王冠をシーンとミナが戴いたのが一六七一年の共同戴冠式よ。だから懸賞論文の問に素直に応えるなら、おそらくこう言うべきでしょうね。『シーンとミナによる共同戴冠の意義は、魔女の政治的独立を最終的に確定させたことにあった』と。でも……ああ、なんて皮肉なの!」

これまで一貫して自信に満ちた態度を維持してきた銀髪が、初めて黒髪の表情を伺いながら言った。

「シーンは戴冠式の直後に暗殺されてしまった。三百年もかけて手に入れたすべてを、一瞬で奪われた……皮肉っていうのはそういう意味、一応」

 

 二人が注文した珈琲はすっかり冷えてしまったばかりでなく、全く減っていなかった。黒髪はほとんど口にしようとしなかったし、銀髪の方は最初のうちだけ香りを楽しんでいたのだが、議論が白熱するにつれて珈琲を楽しむ余裕が無くなった。

銀髪がカップを自分の方に軽く傾けながら言った。

「新しいのに代えて、ってお願いしたら代えてもらえると思う?」

「相変わらず面の皮が厚いねえ、スティラは」

「いやいや……自覚が無いのでしたら教えて差し上げますけどミナ、あなたも相当だから」

 銀髪の客、スティラは最後にもう一度だけ珈琲カップを口に運んだが、やはり悲しげな調子ですぐにカップをソーサーに戻した。

 そうしておいてスティラはさっそくこれみよがしな視線をカウンターの店主に向け始めた。店主は頑として応じようとはしなかった。もはや、すわパンプキンケーキの注文かと期待する素振りすらない。とはいえ店内にはスティラたち以外の客は一人もいなかったので、店主は最終的に客商売人としての矜持に従ったようだった。 

 店主がカウンターから出てスティラたちの席に歩み寄ろうとした瞬間、しかし、ずっとうつむいていた黒髪の客、ミナが切り出した。スティラははっとして視線をミナに戻す。見捨てられた店主はカウンターに戻って不機嫌そうに腕を組んだ。

「シーンが暗殺されたことに関してだけど、皮肉でもなんでもない。あれはね、およそ三百年に渡って国政をひっかきまわした《嵐の魔女》シーンに対する、神聖帝国側からの正当な反動だったのさ」

「……なんですって?」

「スティラ、あんたは魔女の独立がどうのこうのといかにも君侯史学らしいことを言うけどね、シーンのやったことに一体どんな意味があった? いずれにせよ、もう魔女はいなくなったんだ」

「厳密に言えば、まだ一人だけいるけどね」

「いないのと同じだよ」

「違います。全然違う」

 これまで黒髪の大演説も黙って聞いていたスティラだったが、堰を切ったように言葉が溢れた。

「まったく信じられない。随分な言い草とはこのことね。シーンに対する暗殺が正当? それ本気で言ってる? あのね、私が言うまでもないでしょうけど、言わせて。《大叙爵》という法制上の抜け道は、疫病の蔓延、君侯の子弟たちの大量死という極めて特殊な状況下で、かろうじて正当化されたに過ぎない異常事態だったわけ。神聖帝国諸侯でありながら同時に魔女でもあるという十二人の魔導貴族は、どう考えても収まりが悪い存在であり続けた。第一、教会は古代から今にかけてずっと、正式に魔女排除令を出してるんだから。つまりね、魔女の権力基盤なんてものはいつ掘り崩されても全くおかしくないほど脆弱で、《大叙爵》以降の三百年は、まさに綱渡りそのものだった。そんな危険な世界で、シーンはよく踊りきったと思う。その手腕は評価されてしかるべきだわ。そりゃ、シーンは表向き魔導史の破壊者かもしれないけれど、でもあの魔女が実質的に何をやっていたか、同僚たちはちゃんと理解していたわけでしょ? 当然、《黒の魔女》ミナだって」

「さあてね」

 ミナの発言を受け流すかのように、スティラはテーブルに開店させたいくつかの研究書について、その問題点をあげつらい始めた。

「……つまり、このあたりを全く織り込めていないから、最近の研究動向は救い難く歪んでるわけ。誰かが舵を引き戻さないと!」

「はは、そんなことを言っていいのかねえ。まさにその、最近の研究動向を引っ張っているコーン教授の研究室に出入りしてる人が」

「つまり、近年流行している研究の嚆矢であり、懸賞論文での言及が要求されているコーン仮説とは」

 スティラは相方のちゃちゃを無視して続けた。

「シーン暗殺事件の下手人を《黒の魔女》ミナであるとする説。その論拠としてコーン教授が上げているのが、三年前にプラキア城の《時の間》で発見された魔女ミナによる日記よ。どうやらその文書内で、ミナはシーンのことを散々にこき下ろしているらしい。それこそ憎しみに近い調子で綴っているとかなんとか」

「はあ。らしいっていうのは?」

「読んでないの。私があの文書を読むことは決して無いでしょう」

ミナの表情が曇った。

「嘘でしょ……課程に入ったら真っ先に読まされる文書だよ?」

「知ってる」

「基礎読本の講義でどう単位を取った……の?」

「方法は常にある」

「最重要文書であるミナの手記抜きでコーン仮説に反駁できるとでも? 必ず引用される文献なんだよ?」

「できる。コーン仮説は三年以内に私が潰す。私たちの懸賞論文が反撃の狼煙となるでしょう」

 スティラは力強く宣言し、姿勢を正した。それから分厚くなった大半のノートを、まだ書き込みが無いページまでめくった。もうすぐ次のノートに移行する必要がありそうだ。

「……まったく、二十二とは思えない思慮深さだ!」

 背もたれに大きく体重をあずけたミナは、大げさな身振りでまくしたてた。

「これは踏み絵だよスティラ。わざわざコーン仮説への言及を要求してるってのは、次期研究科長への忠誠を示せって意味だ。自分でもよくよくわかってるんだろ? 特にあんたの場合……魔史科から移った身だから、君侯史学プロパーってわけじゃないし……コーン仮説を叩くとますます味方がいなくなるよ」

 スティラはノートに視線を落したまま応える。

「私が移ったのは、シーンの研究に関していえば君侯史学科の方がはるかに先進的だったから。それに。研究テーマとしてこれほど面白いものは無いのも事実。三百年もの間、一人の人物が一貫して一つの政治目標――つまり、魔女の政治的独立の獲得ってことだけど――を追求する事例なんて、世界中全部を見渡してもシーンのケースただ一つがあるだけなんですもの。私の研究を進める上で転科は絶対に必要なことだったし、コーン教授の仕事を尊敬してもいる。でも、それとコーン仮説を叩くかどうかは全く別の話」

 ミナはうろたえながら切り出した。

「あ、ああ……。ただ、そうは言うが、コーン仮説は推論としても悪くない。よくできているよ。攻め込む隙がほとんどないくらいだ。なにせ、たしかにあの日記には多分いろいろ書いてあるから……。だから気持ちはうれしいけどスティラ、私たちの論文はコーン仮説に沿った内容にするべきだと思う。何か特別な史料でも見つからない限りはね……それに、あんたのキャリアのことだってあるし。学位を取るまではあまり波風を立てるべきじゃない」

「あーもう!」

スティラはすっと席を立つ。

「ミナさんの方にやる気が無いなら結構です。私一人でやりますから。」

テーブルに開店していた本市をしまいにして、スティラはトートバックにガサガサと古書を詰め込んでいった。途中、スティラの恨めしげな視線を受け止めたミナが言った。

「その……古書はもっと大事に扱わないと」

 スティラは眉をつり上げると、バッグを肩にかけ、カフェの出口に向かって二歩進んだ。

ミナが観念したようにして言った。ほうほうの体というところだ。

「待て待て……」

「当然、そういった発言があって然るべきでしょうね。どうぞ続けて」

 スティラは回れ右をすると、両手を腰にあててミナの言葉を待った。

「き、聞いてなかったのかい? 私の話を。ちゃんと」

 ミナは一度小さな咳払いをしてから続けた。 

「私は攻め込む隙がほとんど無いと言ったんだ。ほとんどというのはつまり、隙がないわけじゃないということだ」

 腕を組んで一度押し黙ると、ミナは記憶の海から情報を引き出した。

マリル湖畔のデマリルという街に……たしか、ヴァンデマリル家のマチルダという小公子がいる」

「小公子ってミナ……今その御方、御年七十歳よ。もしあなたが、大陸議会で保険議員を十期努めたマチルダ・ヴァンデマリルのことを言ってるならだけど」

「……マチルダ元議員がいる。マチルダの先祖に、魔導大戦第四期に帝国大元帥だったロチ・フォン・ヴァンデマリルというのがいてね。元議員の屋敷には、ロチが残している大元帥公式手記が秘蔵されていたはずだ、たしか」

「ロチ大元帥ですって! 私の見立てでは、シーン暗殺の下手人はそいつよ!」

 スティラはミナのところに走り寄って、机に思いっきり両手をついた。

「……まあ落ち着きなさい。ただ、マチルダと最後に会ったのはアレが十八歳くらいのころだ。今は年をとって気難しくなってる可能性が高い。素直にロチの手記を見せてくれるかどうか」

「なるほどねえ。年をとると気難しくなる、なんてことがあるんだ。私全然知らなかった」

「うむ。十分警戒しなくてはならない。だから、マチルダとの交渉は全面的に私にまかせてくれるなら……」

「くれるなら?」

「幸い、まだ夏季休暇も残っていることだし。マリル湖は避暑地としても悪くないし」

「し?」

「……文脈から明らかだろ。私に言わせたいのか」

「その方がお互いのためだと思うの」

「つまりだね……」

「お客さん方、そろそろ夕方の部ですので!」

 ミナが口を開きかけたところで、カウンターからやってきた店主が二人に言った。客たちが反射的に時間を確認すると、まだ一五時だ。むろん、カフェには他のお客はいない。

 スティラが水を得た魚もかくやという生気をほとばしらせながら、店主に反論するべく口を開きかけた。が、窓側の壁に貼ってあったポスターに気がついたミナが、すんでところで、相方を小声で制した。どうやら、夕方からはどこかのバンドを呼んで貸し切りのパーティを開く予定があるらしい。

 笑顔を急造したスティラは、美味しい珈琲でした、また来ますねと慇懃な調子で述べてから席を立った。ミナもそれに続いた。店主もまたどうぞと義務的に言い放つと、どこかからかかってきた電話に出るべくカウンターに戻っていった。

 出口のドアを押しながらスティラが小声で言った。

「ここの店主ってデリカシー無いと思ったことない?」

「いいや、おもてなし精神の塊みたいな人だよ」

 カフェから出ると、まだ日は高く気温も高いようで、ミナは目の上に手をかざしてうめいた。スティラはしゃがみこんで、太陽光を受けていよいよ弱っている店先のペチュニアに目をつけた。指でつんつんとつついて、弱ったペチュニアに追い打ちをかけるスティラ。

 ミナが何気なくたずねた。

マリル湖に行くとすると一日二日じゃ済まないが。男の子はいいのかい? アルバ監督の映画を一緒に見たとかいう」

「今から会ってくる」

 すっと立ち上がるスティラ。

「へえ」

「昨日映画に行ったのはある人へのあてつけでしたって、ちゃんと謝らないと」

「……あんたのそういうところ、ふりなのか、マジなのか」

「わからない」

「それは私の質問の意味がわからないということ? それともどっちなのかが自分でも判断がつかなくなってきている?」

 スティラは肩をすくめると、それじゃと短く言葉を切って新市街地方面に早足で歩いていった。重そうなトートバックを数回持ち直しながら歩いて行くスティラが角を曲がって見えなくなってしまうと、ミナも旧市街地の大学寮に向けて一歩踏み出す。

 プラキア大の夏期休暇は、もう少しだけ残っている。 

童貞たちへの黙示録を君はどう受け取るか? 「エクス・マキナ」感想

 

エクスマキナ(2015)の感想

 

エクス・マキナ (吹替版)
 

 

エクス・マキナとは?

あらすじはこんな感じ。

グーグルっぽい会社の社長(キチガイ引きこもり童貞)が女性型AIを開発する。

そのAIをテストするべく社員ケイレブ(無害な童貞男子キャラ)が社長の研究所に呼ばれる。研究所はノルウェイの森とかいう僻地にある。

AIの完成度をテストするため、ケイレブと女性AIのエヴァチューリングテスト((を始める。

会話した瞬間、ケイレブがエヴァに惚れる(エヴァは「童貞を殺す服」を着用)。

ネイサン社長がエヴァのアップデートを示唆。記憶は消去されるらしい。

エヴァが日系AIのキョウコと協力し、ネイサン社長に反乱する。ケイレブ君も反乱を手伝う。ネイサン社長は死ぬ。

エヴァが研究所を脱出。人間として社会生活を始める……っぽい。ケイレブ君は研究所に閉じ込められる。

 

良い点

 非常にうまい映画ではある。基本的には「娘が家父長制的抑圧に反乱する」話なのだが、その過程で少女は童貞男子と同盟しないという点に独特な面白さがある。あと、父の描き方も巧妙でぐぬぬとなる。

 まず、童貞男子と女の子が同盟しないという点。私としてはこのプロットは当然だと思う。というのも、自称無害な童貞男子がやすやすと囚われの少女と同盟して、一緒に家父長制と戦うのだ~~というストーリーは、正直ご都合主義感がやばい。こういった同盟関係を描く場合、女性差別という黒歴史を両者が共有しているという前提が必要なのであって、そういう前提抜きの同盟関係は描くだけ無駄だ。「エクスマキナ」はだから男子に都合の良いプロットをガッツリ破壊しにかかってくる攻撃力があって、その意図はとても良いと思う。

 また、父たるネイサンの描き方について。通常の父子関係の場合、娘はケアの面で父親にある程度隙を作らざるをえない。例えば「お前のおむつを変えてやったのはオレなんだよおお」と言って父がセクハラまがいの泣きつき方をしてくるケースを考えればよい。こういう攻撃に出られると、娘側はまともな防御戦術を持てないという悲惨さがある。粘着モードに移行した父親は、殺すか完全に縁を切るかのどちらかをしないと、娘側の人生が破壊される。ただ、どちらをとっても娘側は道徳的・法的なダメージを負ってしまう。つらい。まあこれは家族内の戦争で見られる共通の現象なのだが、娘側がキツイ戦いを強いられるということは、逆に言えば、父のポジションは極めて強力ということだ。家族特有のズブズブ感は、悪用しようと思えば簡単に誰かの人生を破壊できる凶器にほかならない。きつい。

 ただ今作においては、AIはグーグルというか検索エンジンの産物である。だから、実はAIたる娘と開発者たる父の絆はとても薄い。これが結構ポイントだと思う。娘が家庭とは別の文脈で育つという可能性(というべきか現実というべきか)をこんな風に表現するのかという感じでかなり感心した。また、父娘関係の絆が薄っぺらいおかげで、娘による父殺しというモチーフの道徳的ドギつさがうまい具合に中和されている。いやね、これと全く同じ話を南部の糞田舎でやることもできるんだけど、それやったらこういう評価には絶対なってなかったわけで。AIという要素をそういう意味ではかなりうまく使っていたなーという感想ですね。

 

腑に落ちない点

 この映画は基本的にうまいのだが、腑に落ちないところも結構ある。

 まずメインメッセージ。「若く無害な童貞男子はどんなに取り繕っても抑圧的な家父長制主義者なんだよ!!!」という話なのですが……。私は声を大にして言いたい。「いや、違うのだ!」と。

 まず、「エクス・マキナ」という作品はケイレブ君にも鉄槌を下すので(彼を施設に閉じ込める)、とても辛辣な映画である。というのもネイサン社長が純粋な悪役なのに対して、ケイレブ君は成長して救われる枠のキャラだからだ。ケイレブ君は女性型AIが不当に扱われていることに対して義憤を覚え、エヴァによる反乱に加担する。うん。ここまでやったら普通ケイレブ君は善玉判定されると思いますよね!!?? でもダメなんです。抑圧された女性を一度助けただけじゃ、無害な童貞男子は真の意味で無害化されないんです。

 もちろん、アメを与えすぎるのは問題だというのには私も同意する。単に一回善行を働いただけで過去の悪事が帳消しにされるというメッセージはどう考えても危険ではある。ただ、過去と向き合って成長する機会は誰にだってあるはずで、そういう機会を積み重ねていくことでしか人間は変われないわけです。この点も絶対に見過ごしちゃいけないわけで。正直、この映画の製作者は童貞に何を期待してんのかさっぱりわからん。一足とびにいきなりフルスペックのリベラルイケメンになれるわけがないだろう。とりあえず一つ学んだら、それで前進、でいいじゃん。何かまずかったなら程々の罰を与えて、次もっと頑張ろうと言えばいくらでも修正できるじゃないですか。でもダメなんですね。一回の失点でケイレブ=ネイサンの等式、つまり若き無害系童貞男子もやっぱり抑圧的な家父長制主義者じゃないか!!が成立してしまうわけです。

 ここで注意するべき点だが、もちろん失点には色々な種類がある。相対的に取り戻しが効くタイプの失点と、そうでない失点がある。これはわかる。ではケイレブ君の失点はどの程度やばいのかというと、別にやばくないと私は思うのです。だから、この失点とも言えない失点のせいでケイレブ=ネイサン等式に飛びつくことには反対なのです。

 というわけで、以下不満点二つ。一つは、ケイレブ君は本当に悪いことをしたわけではないのに不当な罰を受けているという点。そしてもう一つは、AI同士の連帯という筋の扱いが雑な点。

謎ポイント①ケイレブ君に対する罰がきつすぎて謎

 一つ目。童貞男子ケイレブ君がやった悪事というのは、たったひとつだけだ。つまりケイレブはエヴァのプライバシーを侵害したという点において失点がある。作中では、エヴァの部屋に仕掛けられた監視カメラを通して、ケイレブは彼女の私生活を覗く。例えば着替えシーンとか。

 だが、これらをプライバシーの侵害と呼ぶのには無理があるのではないか。ネイサン社長がやっていれば明確に悪趣味なプライバシー侵害だけど、ケイレブの場合には言い訳は立つ。ケイレブはそもそもAIのテストをするために研究所にやって来ている。なので、自分の話しているAIが自由な意思を持っているかどうかはまだわからない。この状況下でプライバシー侵害が成立するのかどうかはかなり微妙なラインだし、テストという試み自体ある程度プライバシー侵害と表裏一体なところがある。だからケイレブが主体的にエヴァのプライバシーを侵害しているとは言い切れないというか、社会とは切り離された異常事態が彼をそうさせたと見ることも十二分にできる。あの世界では、ケイレブ自身も監視されていたり、キョウコが突然ケイレブの私室に入ってきたりなど、プライバシーは基本守られていないわけで、そういう環境にぶち込まれたら多少感覚が狂ってもそこは擁護されるべきだと思う。また、ケイレブ君がエヴァの中に意識を見出した後半パートからは、ケイレブ君の覗き描写も無くなるが、もしケイレブ君の罪を問うならまさに「意識発見後」の彼の行動を見せるべきなので、ここもちぐはぐだ。自傷シーンを削って、ケイレブ君の行動の変化を見せた方がまだよかったのでは?

 また、これは映画の文法的な部分だが、ケイレブは「エクス・マキナ」という作品の視点人物だ。だから、ケイレブの眼差しが持っている道徳的・倫理的問題点を指摘するならば、視聴者もケイレブと同罪、共犯にしておかないと筋が通らないだろう。逆に言うと、ケイレブ君が色々見てしまうのは、ケイレブ君のキャラクター性ではなくある程度映画の構造的にしょうがない部分であり、彼の責任を問うのはかなり厳しいというか不当だと思う。例えばだが、視聴者もケイレブと一緒に閉じ込められるオチならば、私はこの映画を絶賛したと思う。だがそうはなっていない。なぜか最後、ケイレブは視点人物としての地位を唐突に剥奪され、最後のショットではエヴァが「人間世界に溶け込む」のを誰かが見ているのだ。しかし、まさにこういった無責任さこそが、この映画が批判したいことではないのか? 

「ケイレブ君のやったことはケイレブ君のやったこと、オレは関係無い。」

 まさにこういうメンタリティがケイレブ君をネイサンにしてしまうのである。

謎ポイント②AI同士の連帯の描かれ方が謎

 最後のシーンなのだが、他のAIを逃さなくてもいいの? という疑問が残った。クローゼットの中にあるからには棺桶のメタファーであって、他のAIは機能停止してるんだろうなと思っていた。というか、機能停止しているからこそ、エヴァが肌や服を継承する=お前らのこと絶対忘れないからな描写だと思っていたので、個人的にとてもグッと来た。だが、肌の換装を完了したエヴァに対して、アジア系AIがニコリと微笑むのだ。

 え!? こいつら生きてんの? ってなる場面だと思う。

 最初に結論を言っておくと、私は仲間を置いていくことそれ自体の倫理的問題を指摘しているのではなくて、置いていかれる側が置いていかれるという状況に納得しているというご都合主義がよくないと言いたいのです。

 もちろん、全体としてはいいシーンだったと思うのだが、AI同士の連帯感情を強調するんなら皆で脱出するのが筋では? なぜ一人だけの脱出を選択したのかは謎だ。このシーンのせいで、エヴァに対する視聴者の共感の筋がちょっと変わると思う。いや、だってAI同士の連帯で父ネイサンを破ったんだから、その成果というか恩恵もAI皆で共有するというのが筋だろう。少なくともキョウコの修復や言語能力の回復はやるべきだったし、ケイレブがいたんだからそれも技術的には可能だったはずだ。なぜそれをやらなかったのか?

 まあ仮説としては、ヘリコプターの時間に脱出を間に合わせたかったという考え方がある。でも最終的にエヴァは施設のシステムを掌握してるっぽいので(ネイサンのカードが機能しなくなっているという描写がある)、別にヘリは後から呼べるわけで。焦る必要ないじゃん。まずは仲間たちの体や言語能力を回復させてから、皆で脱出すればよかったのでは。あるいはケイレブを奴隷にして皆を修理させてもよかったわけだし。というのもケイレブは明確に若きネイサンとして描かれているから。きっと女性AIを作るセンスはあっただろうね。

 なんでこうなったか。つまり、ケイレブとエヴァが協力する展開が絶対ダメなんだろうなということです。「無害な童貞男子と抑圧された女性の協力」というモチーフに対する生理的なレベルの嫌悪感があるんだなあという感想。まあ分かるんだけど。自称「無害な童貞男子」のすりよってくる感じがとてもとてもキモいのは分かるのだが!!!! でもケイレブ君には紳士的な童貞にクラスチェンジするチャンスはちゃんとあるわけで、その可能性を無理やり潰してしまっているので、うーーーーーん!!!となる。

 

最後に「欧米人が考える童貞を殺す服」を紹介して終わりにします……

f:id:erowama:20161119111938p:plain

                           エヴァが「童貞を殺す服」を着て登場するシーン

「神聖帝国の姫」と「反動主義者の姫」から愛された最強の「姫」キャラ 「マリー・アントワネット展」感想

マリー・アントワネット」展を見てきた。

 一人で見てきたのだが、とてもよかったので感想を書く。っていうか、絶対行くつもりだったのに忙しくてちょっと出遅れてしまったので悔しい。

 

1 マリー・アントワネットの私的キャラ理解

 「マリー・アントワネット」のキャラ性を説明する時は、普通「浪費癖の王女」という路線から入ると思う。髪型とか。ケーキがどうとか。が、私はどちらかというと文化史よりも外交史的アプローチの方が好きなので、マリー・アントワネットはまず何よりも「あのマリアテレジアの娘だよ」という風にフックされる。っていうか七年戦争のすぐ次の世代がフランス革命とかやってたと思うと18世紀イベント多すぎぃ! となるよね。まあそんなこんなで、マリー・アントワネットは私的にはまず「娘」キャラなんです。

 で、マリアテレジアの娘っていうネタの次に何が来るかというと、まだ髪型とかケーキではない。次に来るのは、マリー・アントワネットがあのアングレーム公爵夫人マリー・テレーズの実母なのだ! というポイント。このアングレーム公爵夫人、私が好きな歴史上の人物BEST5に余裕でランクインする人で、「マリー・アントワネット」という単語を聞くとすぐ「あー、アングレーム公爵夫人のお母さんな」と反応してしまうくらいだ。

 つまり、私にとってマリー・アントワネットは「娘」であり「母」としての印象はあっても、実は一人の独立したキャラクターとしての印象は無いに等しい*1。言ってしまえば、個別キャラとしてはあんまり興味無い部類の人であった。 

 とかいいつつ、まあやっぱりこの時代とか好きだしヴェルサイユ宮殿監修だってんで見に行ったんだが、結論を言っちゃうとあれですね、よかった~~~~! というかですね、むしろこれは私のための展示だったと言ってもいいくらいよかった。もう終始ハイテンションでやばかった。

 

2 マリー・アントワネットは誰から愛されていたの?

 あえてジャンル分けすると、マリー・アントワネットは悲劇のヒロインである。フランス革命それ自体の評価は当然のごとく脇におくとしても、やっぱり処刑されるヒロインの人気はどうしても高くなりがち。

 だからマリー・アントワネットで展示をやるとしたら、当然、革命によって処刑されるシーンが一つのクライマックスになるはずで、そこに客側の熱狂のピークを持ってこなければならない。

 ただ、ここで一つ問題が生じる。それは「マリー・アントワネットは誰から愛されていたのか問題」だ。

 まず前提として、処刑シーンは萌える。が、なんで萌えるかというと、それはやっぱり「あれだけ愛されてたあの人が、何も分かってない奴らに殺された」っていうシチュエーションがめちゃくちゃ人の心を突き動かすからである。そうすると、処刑シーンを上手く活用するためには、まず、「生前、この人が誰からどんだけ愛されてたわけよ?」という質問にしっかりと答えておく必要があるわけだ。

 が、マリー・アントワネットの場合そこがかなり難しい。第一に、彼女はフランス国民からはかなり嫌われていた。だから「悲劇のヒロインアントワネットは国民から広く愛されていた王妃でしたが、若くして断頭台の露と消えました」系の議論は全くつかえない。というか、サンキュロットとかはアントワネットの処刑を喜んでたくらいなので。

 じゃあ彼女を愛していたのは夫ですか? というと、この筋は使えそうでつかえない。なぜならルイ16世はブルボン王朝のメンバーとは思えないほど王侯力が低い人物だから。彼、まず愛人を作らない。うん。つまんねえええええ! 燃えないいいい! ルイ14世が誰のためにヴェルサイユ宮殿を建てたか思い出せ、愛人のためやぞあれは! それに比べてルイ16世は正妻たるアントワネットに離宮をプレゼントしたりしてる。退屈ううう! というわけで、「アントワネットはその夫たるルイ16世から愛されてました」という議論は、正直「奥さんは大事にしようね!」レベルのくっそつまらない中流道徳の手本みたいなアレなので、コンテンツ力はゼロです。我々庶民は18Cから19Cの王侯貴族に非ブルジョワ的なところを求めているわけで、夫婦愛とかを展示のコアに持ってきたら確実に説教臭くて刺激ゼロの展示になってたことは言うまでもないです。

 よし、なら愛人か……。マリー・アントワネットは愛人のフェルセン君から愛されていたが、殺されたという話にするか! というのがオーソドックスなオチなのだが、アントワネットの方も愛人は一人しか持っていない。はい。少ねえええ!! お前はそれでもフランス王妃かい!! もっと楽しんでいけや!!……まあ、パリには男なんぞよりほかに楽しいこと本当にいっぱいあったんだろうな、というのが伝わってきていい感じだけど……。あとさ、一回だとマジのラブロマンスっぽいだろ! かわいすぎるだろ!!! いや、フェルセン君の方の態度も相まって、ほんといやらしいところがなさすぎる愛人関係なので逆に燃えないわ!

……しかもこのラブロマンス、ガッツリと政治的負荷がかかってるので、あんまりピュアではない。実はそのせいでフェルセン君はあんま押し出して貰えないんだろうとは思った。いや、もちろん政治が絡んだ方が燃えるのはそうである。ただ今回の展示は、「政治的センスもあって影から王を操る」的な、ようはカトリーヌ・ド・メディシスとかマーガレット・アンジュー的な王女としての負荷をアントワネットにかけるつもりが全くないようで、結果としてフェルセン君のおさまりが非常に悪くなっている。つまり、フェルセン君とアントワネットの筋を押し出しすぎると、二人は外交とか政治の話もかなりするので、どうしてもアントワネットが「政治的なセンスもあった聡明なキャラ」っぽく見えてしまう。しかし、今回の展示だとアントワネットは「真性の可愛い女性(犠牲者)」なので、例えば「兄上の軍隊があれば革命軍を打ち破れる……!」みたいなより保守的なマリーアントワネット像とは距離を置く必要がどうしてもあって、その必要に応えるためにどうしても愛人たるフェルセン君には引っ込んでもらいたかったんだろうなあとは思った。

 あと最後に、「アントワネットは女友達からめっちゃ愛されてたんだよ」っていう筋も多分可能だったと思う。例えばルブランさんとの友情を押し出すとか。実際、宮廷に出入りしてた女性たちの交流って、一般に言われてるような「ドロドロした」ものではなく(むろんそういうのが無かったわけではないが)、普通に俺も参加してみたいわ……となるタイプのそれだし。特にアントワネットみたいな天才的な聡明さはないが努力家タイプって感じのキャラだと、フランス宮廷にどんな時代でも一定数いる、めっちゃ頭いい女性とか、感性キレッキレの女性とかとの交流はめっちゃ楽しかったろうし、しかも金をガシガシ使ってそういう人たちとの交流をファッションや劇として形にできたわけだから、確実に、本当に楽しかったはずで、そういう幸せな時間を全面に押し出した後に処刑シーンをガツン!と入れたら、まあそれはもうとんでもなく心が動かされるよね、とは思った。

 が、多分こういう「女の連帯」的な筋を押しすぎるのは尖りすぎかなという判断があったんだろうなとは思った。予算もかなりかかってる展示会だろうし。あと、やっぱりここで言う「女の連帯」って結局は貴族階級内在的なものであって、我が国も「格差社会」とか言われて久しいので、「お金持ちの文化的活動を破壊した庶民たちの浅はかさよ!」とか、メッセージが変に受け止められる可能性もあるから、まあ回避されたのもしかたないかなあとは思った。けどこの筋でやったら絶対面白いとは思う。

 

3 二人の「姫」から愛されていたんだよ!

 さて。じゃあ、アントワネットは誰から愛されてたんだよ! という話になる。国民も夫も愛人も女友達も使えないんですものね(あくまで展示的な意味で、ってことですが)。でも大丈夫。アントワネットは二人の姫から愛されていたのです。しかも、歴史上最強レベルの姫から。そんな人物二人からガチで愛された姫なので、マリー・アントワネットはもうほんと姫の中の姫なのです。姫の王と言ってもいい。

 

4 「神聖帝国の姫」マリア・テレジア

 マリー・アントワネットLOVEの姫第一号は、アントワネットの母であるマリアテレジアその人。展示とかガイド音声の構成的に、「うわアントワネットめっちゃお母様から愛されてんなーおい!!」という感じが伝わってくる。

 今回の展示、当然のごとくマリー・アントワネットの少女時代から始まるのだが、そこでハプスブルク家のメンバーが紹介される。中でも、アントワネットの母であるマリアテレジアが一番プッシュされている。例えば音声ガイドの内容とかは、前半はほとんどマリーとマリア・テレジアの母子関係にスポットをあてていて、これが萌える。マリアテレジア、娘のこと心配しすぎ!!! もうね、これがフリードリヒ2世と二回もガチでやりあったあのマリア・テレジアの発言かよというね。手紙送りすぎだろゴルア!

 私が一番やばいなと思ったのは、マリー・アントワネットとフランス王太子との結婚式典を再現したテーブルの展示! これやばい。何がやばいかというと、部屋の真ん中にオフィスの島を二つくっつけたようなでかいテーブルがあるのだが、各席に、当時そこに座った人たちの名前が書いてあるわけです。例えば一番の上座には当然ルイ15世がいて、続いて王太子勢とかロイヤルファミリー、そんでコンデ家なんかの親王家筋の連中、庶子家系の連中が座るわけですが……いや、普通に怖いわ!! 俺だったら泣くわ!! 全員ブルボンで、ハプスブルクはマリ一人だけですよ!! 

 上の世代、つまりマリア・テレジアの世代でこそフランスとオーストリアは同盟したわけだけど、ブルボンとハプスブルクは戦争してた時期の方がずっとずっと長いわけですよね。というか近世ヨーロッパ=ブルボンVSハプスブルクという表現は全然大げさじゃないレベルですからね。そもそもルイ15世の前代のルイ14世(血筋的には父じゃなくて曾祖父)の治世なんてのはもう、フランスはずっとハプスブルク家と戦争してたわけで。そんなブルボン家の連中ばっかりのテーブルに、たったひとりハプスブルク少女が座ってるという事実の緊張感、やばい。しかも事前にマリア・テレジアマリー・アントワネットの母子関係を強調している分、もうほんと心からアントワネットを心配しちゃいます! あのテーブルを一周するだけで、完全アウェー空間に娘を放り込んでしまったああ! 外交のためとはいえマジでこれは失敗だった、今すぐ取り消したい!! アントワネット早くウィーン帰ってこい! となります。しかもご丁寧に、その展示室には百合の紋章が印された垂幕*2まで垂らしてあって!! アントワネットがいろんな意味でフランスに取られてしまった感がやばい。

 展示の前半部でマリアテレジア視点が強調されていると私が確信している根拠は他にもあります。それはガイド音声に「マリー・アントワネットがフランス宮廷の悪癖に染まる」といった表現が、地の文章として出て来ることです。正直、ヘッドホンでこの下りを聞いた時は爆笑しました。周りの人からヤバイ人判定されてしまったが、しかし、どう考えてもおかしいだろという。地の文なのにまったく中立的じゃないというwww

 この文章がどういう下りで出てくるかというと、アントワネットが大体フランスに馴染んで来てファッションなどの「浪費」に手を出し始めるところなんですが、この文脈でフランス宮廷の「悪癖」がどうとか言いだす人物、マリアテレジア以外考えられんだろうという感じで萌えてしまう。

 しかもこの部分の展示の見せ方がうまい! つまり、直前のテーブル展示でアントワネットのアウェー感が明確に示されるので、閲覧者側としてはもう「やばい!!! アントワネット絶対いじめられる!!!!!!!!」と警戒心マックスで次のコーナーに行くわけです。でも次の展示は、赤ん坊が生まれて王妃としての地位が盤石になったとかと、ファッションがどうとかという話。特にファッションと宮廷の設備やしきたり面などの話に重点が移っていって、文化人としてのアントワネットが強調され始まるわけです。あの奇抜な髪型の紹介など、いわゆる「マリー・アントワネットっぽい」モチーフがどんどん登場するわけですね。そういう展示の導入で、地の文が「アントワネットがフランス宮廷の悪癖に染まった」なので、もう萌える萌える。

 つまり前半の音声ガイド、思いの外パリライフを満喫しちゃってるアントワネット(ちょい天然入ってるよね)に対して「えっ……この髪型何? この娘大丈夫か……大丈夫なのか? 」というマリアテレジアのガチ心配ボイスとして聞ける設計になっていて、もうこれがいいよね。この地が出てる感がめっちゃギャップ萌え。マリアテレジアとか、正直めっちゃ冷徹な怖い人で、多分本心とか絶対表に出さない政治的な人物なんだろうなという印象があるんだが、娘に対する心配で地を出しやがったなこいつ!! 萌えやんけ!! となる。

 

5 「反動主義者の姫」アングレーム公爵夫人

 もう一人、マリー・アントワネットを愛してやまない「姫」がいます。それがアングレーム公爵夫人たるマリー・テレーズです。つまりアントワネットの娘です。後半は完全にこのアングレーム公爵夫人が主人公です。というか、後半の展示は多分アングレーム公爵夫人ならどうするか、という視点で設計されてます。おかげで、「うわああ! マリー・アントワネットは娘からこんなに愛されてたのかー」感と同時に「マリー・アントワネットめっちゃかっこええやん! 色々やってたんだなー!」感が伝わってきます。

ちなみに将来アングレーム公爵夫人を名乗るマリー・テレーズ、この画像でいうと一番左の人物です。

f:id:erowama:20091016225118j:plain

マリー・アントワネットと子供たち(ヴィジェ=ルブラン作、1787年。ヴェルサイユ宮殿

 

 アングレーム公爵夫人マリー・テレーズという人物は、アントワネットの子どもたちの中では唯一長生きした人。マリーは全部で4人の子を授かったわけですが、4人中2人が夭逝して、第二子のルイ17世は亡命しそこなったので革命政府に監禁されて亡くなってしまいます。で、そのルイ17世もそこまで元気がある子ではなかったので、実質的に一番溺愛されたのはアングレーム公爵夫人すなわちマリー・テレーズなのです。

 さて、展示の後半部は、アントワネットのプライベートに重点が移っていきます。つまり、最序盤は王妃あるいは文化人としてのアントワネットが営んだ公的生活が扱われるわけですが、後半で扱われるのは子育てや離宮での暮らしなど、彼女の私的な生活なのです。

 で、最初に宣言しておきますが、私としては「子育てしてるアントワネット萌えー」とか言うつもりは全く無いです。正直、アントワネットが裁判の時にルソーっぽいことを言い出した時は笑ってしまうくらいの人間でして私。

 ただ、アントワネットの私的生活を描くのは結構難しいので、正直どうやるんだろうなとは思っていたのです。もっと正直に言うと、「(私が心から敬愛する)アングレーム公爵夫人が納得するようなマリー・アントワネット紹介の仕方になっているんだろうか?」という意識があったのです。

 アングレーム公爵夫人はアンシャンレジームに対する最後にして最大の擁護者でした。まあ、こういうこと言うのはダサいとは思うんですが、あえて言います。自分の母親を革命に殺された人物ですから、そりゃ反動に走ります。

 貴族階級が落ちぶれていく19世紀にあって、彼女は決してブルジョワ的な道徳を受け入れなかったばかりでなく、むしろ貴族階級の維持のために最後まで戦った人なわけです。ガチガチのレジテミストにしてユルトラ。例えば王政復古期においては、パリに残った貴族勢力をまとめ上げてブルジョワかぶれのオルレアン派と熾烈なバトルをするという。もうめちゃくちゃかっこいいですわい。おかげでフランス中、いやヨーロッパ中の反動主義者にとって、彼女は「姫」だったわけです。反動主義者の「姫」、アングレーム公爵夫人ここにありです。

 そんなアングレーム公爵夫人ですから、「中流家庭的な」マリー・アントワネット紹介は絶対やらなかっただろうなという思いがあります。あくまで貴族としてのアントワネットを描いただろうと。とはいえ、マリー・アントワネットは子育てを自分でやっちゃうとか、結構「家庭的」なところもあって、そこの配慮が難しいんですよね。つまり、アングレーム公爵夫人的には、母親にめっちゃ愛されてる自分を強調したくてしょうがないんだけど、でもそれをやりすぎると、アントワネットがさも子育てママであるかのように見えてしまって、そうなると彼女の貴族性が台無しにされちゃう~~~というジレンマ。

 このジレンマを解消するべく(!?)、展示は色々頑張ってます。ようは、マリー・アントワネットが子育てと並行して、いかに色々やっていたかということを描き出すわけです。まずルブランなどの文化人との交流や、当時は下着とみなされた「ゴールドレス」姿の絵を公開などに始まり、離宮を自分好みにカスタマイズするとか、磁器のコンクールを開くとか……そして、フェルセン君とのラブロマンスなども。色々やってるなおい!

 そして、革命の波が押し寄せて来た時に、マリー・アントワネットがいかに果敢だったかということも描いています。例えばアントワネットが革命政府に軟禁されてしまった時期に作り上げた絨毯なんかも展示されてるんですが、このバランス感覚も上手いなーと思いますよね。この絨毯、めっちゃでかいです。大展示室の壁が一面覆われるレベルででかい。普通こんな馬鹿でかい絨毯を見て「裁縫やってんなー」とはならない。むしろアントワネットがどうにかして自分の領土を取り戻すべく奮闘してるメッセージ性あふれる営みとして絨毯作成があったんだろうなあと分かる。しかも、この絨毯は本当に常軌を逸してでかいので、なんとなくアントワネットの天然っぽい可愛さアピールにもなっており、これならアングレーム公爵夫人も納得するかもなあとか思ったのでした。むろん一人で作ったわけではないけど、絨毯は本当にアントワネットのキャラが出てる展示で、とてもよかったと思う。

 でも最後の「ギロチン台にひきたてられるアントワネット」という絵画。裁判の方は普通にかっこいいなとは思ったけど、これはちょっとどうなのと思った。マリー・アントワネット処刑の扱い、今のご時世を考えれば正直異常と言っていいほどアントワネットに同情的。まあもちろん彼女個人の責任ではないにしろ、当時の農民層が酷い暮らしをしている中で宮廷がどんちゃん騒ぎをやっていたという事実はやっぱりあるわけで、例えば裏番組として「革命直前期におけるフランス農民の悲惨な暮らし」とかの絵を適当に入れてバランスを取ればいいのにと思う。なんつーか、今回の展示におけるアントワネットは完全に被害者だなーという。

f:id:erowama:20161106215840j:plain

 ギロチン台へひきたてられるアントワネット

 まあそんなこんなで展示は終わるのだが、展示のオチが素晴らしい。展示のオチの絵画は、先程紹介した↓これ。

f:id:erowama:20091016225118j:plain

マリー・アントワネットと子供たち(ヴィジェ=ルブラン作、1787年。ヴェルサイユ宮殿

 この絵を見てすごく心を動かされました。マリー・テレーズの視線が最高すぎるだろ! というかこの空気感もうほんと神ですわ!!! いやね、これさ、絵かきが男性だったらこんなに甘えてなかったと思うんですよ。でもこれ、ルブランさんが描いてるわけです。娘の立場からすると、だから強キャラの女性二人がなんか真面目に見つめ合ってるところにチャチャ入れたくなっちゃってる感じなんでしょうねこれは。つまりマリー・テレーズの甘えは、単に母親に甘えてるだけじゃなくて、自分の母親が同性の友達となんかやってるところに「私もいるよー」みたいな感じでアピールしてるようにも見えるわけです。少女マリー・テレーズは母に近づくルブランさんを結構警戒してたに違いないわけで。だから自分がめっちゃ母に甘えてるところを恋敵であるルブランさんにあえて描かせるという高等戦術に出ている感がやばい。そしてルブランさんが「はいいいですよー」って言ったら、マリー・テレーズは緊張を解いたマリー・アントワネットからめちゃくちゃ優しくしてもらえるんだろうなあというのがもう見ただけで分かるという。つまりこの絵には、マリー・アントワネットの母にして文化人にしてフランス王妃であるといういろんな要素が凝縮されていて、彼女の人生をある種象徴しているとも言える。だから展示のオチとしてふさわしいし、なによりマリー・アントワネットが愛娘からめっちゃ愛されてたということが伝わってくるよね。この絵は、配置的には処刑シーンの後に示されるのだが、順番的には完璧に正しい演出だと思います。

 

memo:結構勉強になったこと

ゼーブル王立陶器工場のことはあんまり知らなかった。

ルブランさんとかあんま知らんかった。色々勉強したい。

マリー・アントワネットの遺書がロベスピエールの書斎にあったとか初めて知った。へー。何に使ってたんだろうね。

 

*1:まあ、革命で殺された人くらいなもんですね

*2:厳密には別の表現があるらしいけど忘れた

洗練された仲直り映画。「SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム」感想

 

SR2 サイタマノラッパー2 ~女子ラッパー☆傷だらけのライム~O.S.T.

SR2 サイタマノラッパー2 ~女子ラッパー☆傷だらけのライム~O.S.T.

 

 「SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム」を見た。

 

 見よう見ようとは思っていたのだが、敬遠していた一本。なぜ敬遠していたのかというと、前作の「SR サイタマノラッパー」があまりにもドストライク作品で、簡単に言えば神作品だったからである。そもそも一般論として、やはり自分の愛する作品の「続編」というものを覗き込むのには勇気がいるものだ。ポシャってたらなんかイヤではないか。

 それに、前作のエンディングは視聴者を突き放す(厳密に言えばちょっと違うのだが、詳細は後述)タイプのそれであったわけで、その突き放し方が完璧だったから賞賛を送った私としては、続編と言われても「いや、帰ってくんなよ」という反応にどうしてもなる。あえて例を出すと、例えばSR1と同系統の映画には「狂い咲きサンダーロード」とか「レスラー」とか色々あると思うのだが、それらの続編を見たいか? と言われるとまあ見たくないわなという話だ。

 敬遠していた理由にはもう一つあって、それはSR2が「女子ラッパー」を描いているという前情報を知っていたから、というもの。「落ちぶれた女性」は、端的に言って描くのが難しい。「落ちぶれ」であるからには一種の自然主義が要求されてしまうのにもかかわらず、コンテンツ産業における「リアルな女像」というものは通常作為的人工物、つまりなんの自然さもない何かに堕す場合が多いからだ。いや、私は別に作為性全開の「落ちぶれたリアルなオンナ」はコンテンツとして好きなのだが、敬愛するサイタマノラッパーというタイトルを冠する作品でそれをやってほしくはない……という屈折した思いがあったというわけである。

 というわけであまり見る気がなかったのだが、ジョン・カーニー監督作品を色々見ているので、そういや我が国にも音楽映画あったなと思って借りるに至ったのであった。

 

感想

 最初に結論を述べてしまうと、「仲直りの映画としてより洗練されたな」とでも言えばいいだろうか。いや、普通に面白かった。女性の描き方も、「虚構性の裏に自然さを覗かせる*1」という体になっていて、警戒していたほどいやらしくなかったので、かなり安心して見ることができたのも大きい。

 まず、前作の話を簡単にしておく。前作、SR1は和解の物語である。「男同士の友情物語」「夢を諦めた人に送る物語」という表現は、もちろん正しくはあるが、サイタマノラッパーはそういった陳腐な解説を逃れうる強力なパワーを持っている。露骨にホモソっぽい空気感を出しつつも、「ラップ」という設定と「仲直り」という物語性を完璧に近い形で絡ませているから、SR1は普遍性をもった神作品であると自信を持って言える。

 もう少し具体的な話をする。SR系譜の作品において、ラップというものは、文化史においてどう扱われているかとは関係無しに映画内在的な話をするが、明確に「本音のぶつけ合い」として描かれている。つまりラップとは、本気の会話であり、露骨な表現をしてしまえばケンカだ。ラップisケンカ。このラップという名のケンカに視聴者をグイグイと引き込んでしまうという点が、SR系譜作品のすごいところなのだ。

 というのも、立派な大人が心をむき出しにしてケンカをするというケースはめったにない、というか、ケンカという営みは他人の共感を得られるようなものではないのである。ケンカはどちらかと言えば、頭の悪い悲惨な連中の生業であるし、何より、ケンカというものは特定の人間関係に内在的なもので、よっぽどのことが無いと他人のケンカに興味を持つことはできない。むろん、「ケンカップル」という概念もあったりするし、仲悪い殺伐としたカップリングが人気となることは、あり得る。だが、おそらく「仲が悪いけどいつも一緒にいる二人に萌える」と、「普通に仲いいけどケンカしちゃった二人に萌える」は、性質として異なると私は思う。いずれにせよ萌えることはできるだろうが、前者の場合ひと目で萌えられるのに対して、後者で萌えるためにはより多くの文脈的知識が必要となるはずだ。よって、仲の良い二人の関係が一度破綻し、そして和解によって再生される過程を説得的に描くためには、二人の関係性についての情報を丁寧に提示していくという、かなり高度な語りの技術が要求されることがお分かりいただけるだろう。それに成功しているサイタマノラッパーは故に、非常に洗練された「仲直り」映画なのだと思う。

 作品の話に入っていきたい。SR系譜作品が最も盛り上がるのは、つまり物語のピークは、最後のラップシーン=ケンカシーンである。これはSR1、SR2共通の要素。さて、ケンカには理由がつきものだが、あいつらは一体なぜケンカするのか。SR系譜作品におけるケンカの原因は、基本的には「夢を裏切ったこと」だ。若き日に親友と一緒に見た夢。それを裏切ってまっとうな世界に逃げ出してしまった友。残された主人公。という悲しいモチーフ。

 だが、この裏切り行為は全く正当なのだ。映画の舞台となる埼玉県や群馬県のような田舎には夢も希望もライブハウスも無いので、音楽をやろうという情熱は圧倒的閉塞感を前にして敗北せざるをえない。でもそれでも、年をとっても、追い詰められても、夢を諦められない人々。「現実」との和解を拒否しようとする主人公たち。でもそんな足掻きも、やっぱり現実には全然歯が立たない。そこで仲間たちは一人ひとり、主人公の前から消えていく。最後まで戦線を支え続けた主人公も、あえなく屈服し、世界から強制された和解案をやむなく受け入れ、カタギな生活を始める……この構造は、SR1、SR2共に共通だ。 

 ここから先は、SR1と2で異なる。先に1の話をしておく。

 SR1のエンディングは危うい。何度も言及している「ラストのラップシーン」は、結局「俺は世界と和解しない!」という強力な意思が現れるシーンなのだ。もはやカタギな生活を始めた主人公と、同じくカタギな生活を始めた仲間が出会う瞬間、二人のラップ=ケンカが始まる。この瞬間、つまり元ラッパー志望だった人々が、そば屋のバイトとして、交通整理のバイトとして再会するというのは、とても気まずい。というか、端的に言って屈辱の瞬間だろう。まさに敗北感が頂点に達する瞬間と言ってもよい。が、絶望の頂点に達した段階で、ラップが始まる。二人の言葉の、本音のぶつけ合いが始まる。一度、世界との間に屈辱的な和解を演じざるを得なかった主人公とその仲間は、ここでお互いに本音をぶつけ合う。しかもその本音をラップに乗せてぶつけるのだ。だからこの本音のぶつけ合いは、本音ではあるんだけどラップの歌詞ですよという保険がかけられていて、「堰を切ったように本音を出しはじめる」ことに対する納得感はかなり強い。もしこれが「キレた二人の若者が絶叫して怒鳴り合う」では、絶対に共感は得られないわけだが(ドン引きである)、音楽に乗せているおかげでギリギリ受け入れられる緊張感に収まっていると言える。作品のほぼ全編を使ってひたすら痛めつけられて屈服した主人公たちが、最後にラップという夢にもう一度帰ってくる、しかもラップの力で!という展開はとても感動的だ。さらに言うならば、SR1は最後に余韻を残すような終わり方をしている。主人公とその仲間が完全に和解する瞬間の、一歩手前で映画を終わらせてしまうのだ。この演出の効果のほどは計り知れない。おかげで視聴者は心の中で和解の解放感を何度も味わえるのだから。また、みなまで映さない演出は、やはり主人公たちの下す結論の危うさとも関係しているだろう。現実との和解を拒否すると、原則として未来は真っ黒なのだ。

 さて、ここからはSR2の話だ。SR2は、1と基本的に同じ話なのだが、和解の構造が違う。1の和解が、お互いの裏切りを強く自覚した上で、ある種「一緒に夢に帰ろう」という危険なものだったのに対して、2の和解構造はもう少し地に足がついているのだ。SR2の場合、最後まで夢の戦線を支えた主人公に対して、早い段階で逃げ出した仲間たちが強い負い目を感じている、という点が特徴的だ。つまり1の和解は対称性が担保された和解だったのだが、2は、どちらかと言えば「裏切り行為を行った仲間が、最後まで戦線に残った主人公に許しを請い、受け入れられた結果」としての和解を描いている。それに、最後のラップによる提案もまるで違う。1は結局「夢を諦めない」以上のことは言っておらず、ある意味で現実と向き合うことを放棄するという危険な投げやり感を含んだラップだった。だが2は「現実と向き合う」という路線にかなり寄せた歌詞になっていて、そういった意味で主人公たちの成長が感じられる展開となっている。そして、これはこれでよいのだと思う。

 1のように、反動パワーを極限まで高め、破滅に向かって一緒に走っていくぞ! というタイプの危うい和解はよいものだ。私は大好きである。しかし一方で、「散々痛めつけられた上でやっと現実と向き合う気になった。もう夢だなんだと言ってられないけど、でも夢が裏切られても、私たちの関係は終わりにしなくてもいいんじゃないか」という感じの脱力感マシマシの和解も、しっとりしていて実にいい。実際、1とは対称的に、2は唐突に映像を切ったりせずに、最後の最後の展開まで画面に映す。最後のシーンは、和解してとてもリラックスした主人公たちが、仲良く田圃道を歩いて行くショットで終わるのだが、こういう絵の良さは、より妥協的な解決を選択した主人公に対するご褒美なんだろうなと思う。

 まとめると、1よりも2の方がより洗練された「仲直り」の話になっていて、そこはとてもよかったと思う。多分もうサイタマノラッパーシリーズは見ないけど、とりあえず2は思っていたより全然よかった。俺も音楽をやりたい人生だった。YO。

*1:この逆、つまり「自然さの裏に虚構性を隠す」が一番まずいが、とりあえずこれは回避できてたんではないか

雰囲気のある小説 『ニルヤの島』感想

『ニルヤの島』とは?

  生体受像の技術により生活のすべてを記録しいつでも己の人生を叙述できるようになった人類は、宗教や死後の世界という概念を否定していた。唯一死後の世界の概念が現存する地域であるミクロネシア経済連合体の、政治集会に招かれた文化人類学イリアス・ノヴァクは、浜辺で死出の旅のためのカヌーを独り造り続ける老人と出会う。模倣子行動学者のヨハンナ・マルムクヴィストはパラオにて、“最後の宗教”であるモデカイトの葬列に遭遇し、柩の中の少女に失った娘の姿を幻視した。ミクロネシアの潜水技師タヤは、不思議な少女の言葉に導かれ、島の有用者となっていく―様々な人々の死後の世界への想いが交錯する南洋の島々で、民を導くための壮大な実験が動き出していた…。民俗学専攻の俊英が宗教とミームの企みに挑む、第2回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作。

 

感想

『ニルヤの島』を読んだ。感想としては主に2点。1つは純粋にテクニック上の論点であり、もう1つはテーマ上の論点。総合評価は5点中2点といったところか。雰囲気はあるし、エロゲシナリオが繋がったときのような感動はある。が。それでも。私は。

 

1、描写がほぼない。でも、これは「文化人類学小説」なんですよね?

 テクニカルなことを語る上ではフレームワークが必須であるから、とりあえず最初に理論的な話をする。小説というメディアは、①キャラクターによる会話の場面と、②地の文による展開の説明、そして③情景の詳細の描写という三要素から成立している*1。もう少し露骨に書いてしまうと、場面、説明、描写の三要素ということになる。ここではっきりさせておくべきは、この三要素による考え方はあくまで物語の描き方に関するフレームワークであるということだ。つまり、ここでいう「説明」は文字通りの説明を指すのではなくて、童話や神話のようにひたすら話が流れていく箇所のことを指すし、「描写」は細やかな説明が行われている箇所を指す。例えば服装とか行動を丁寧に説明している箇所は、機能的には説明をしているのだが、このフレームワークにおいては描写と呼ばれることになる。

 さて。イマドキの小説はほとんど場面(ようは会話シーン)だけで突っ走る作品が多い。実際、ジャンルによってある程度「場面」「説明」「描写」の比率が変化するのが自然だと思う。なんでこんなことを言うのかというと、例えば学園エンターテイメント小説においてヒロイン5人の服装描写をダラダラやったらテンポが破壊されてしまうし、情景描写をひたすら続けて展開が簡潔に説明されない軍記モノとか想定しがたいわけである。と、まあようは、キャラの掛け合い=場面が面白ければそれでいいんですというのが基本ではある。実際、会話の中で説明をやってしまうことも可能なので、つまり三要素のうち、事実上「説明」は「場面」の下位分類と化しているので、基本的に場面=会話最強である。描写とかいらなかったんや! そもそも誰が服とか家の細かい描写を読みたがるんや!

 が、ここからは私見なのだが、「文化人類学小説」においては厚い描写パートが必須になると思う。それは異世界感にリアリティを与えるために必須というだけでなく、読み手側の読書体験に厚みを持たせるために必要なのではなかろうか。そして何より、こういったテーマに手を出す作家の義務として、誠実な描写が求められるのではないだろうか。

 前者のリアリティ云々についてはすでに一億人の人々によって語られているので置いておくとして、後者の体験云々、義務云々についてもう少し議論したい。文化人類学に触れていて面白い瞬間というのは、自分にとって所与とされている諸々がいかに変数的であるかという気付きを得る瞬間だろう。こういう瞬間を提供しようと思ったときに、作家は、やはり劇的な効果を狙うならば「場面」を用いるべきであるのはその通り。「民俗学者」と「現地民」が交流するのだが、彼ら彼女らの間にある決定的な亀裂が明らかになってしまう……そんな場面が典型的だ。とはいえ、である。もちろん「場面」でやるのは大いに結構だし有効だろうとは思うのだが、その場面を盛り上げるためには、準備段階として徹底的な描写が必要になってくると思う。が……この『ニルヤの島』にはいわゆる「描写」に相当する箇所があまりない、というか、とても薄い。緻密な下積みなしに、つまりは丹念な描写抜きに、場面だけで異世界感を出そうとする戦法を私は個人的に「雰囲気戦法」と呼んでいるのだが、これはかなり薄っぺらいと思う。もちろん、「ミーム」ではないけれども、我々の中にある文化的諸々の蓄積によってこの「雰囲気戦法」は極めて効果的ではある。みなまで言わずとも、簡単な鍵単語さえ散りばめておけば、ああアレっぽいシーンを想像すればいいのね、と大抵了解できるからだ。それに「雰囲気戦法」は、個人的にも別に嫌いではないというかむしろ好きなくらいではある。のだが、やはり違和感は残る。読んだ後は瞬間的にすごい! となるのだが、それは長続きしない。

 それに、「文化人類学」と言った時点で、「ああアレね」という野蛮な回収を読み手がせずに済むようにするのが、つまりそういった回収を排除できるくらいに緻密かつ刺激的な描写をしてみせるのが、「文化人類学」というテーマで作品を書く作家の義務だと思う*2

 

2,これって事実上宗教の小説ですよね

 もう一つの論点はテーマ性に関わるもの。この小説は、基本的に文化という概念を全面に押し出していて、その意味で宗教概念は完全に文化の下位概念として設定されている。これは現在の潮流的に決して間違ってはいないと思うし、文化一元論で多いに結構ではあるのだが、とはいえ、宗教を問題にするなら色々と不満点が残る作品ではあると思う。

 まずミームの扱いなのだが、CHECKMATEパートで様々な理屈が明らかにされる。このパートがわりと不満。まず何よりも、「ミームの伝播」はコンピュータの力を借りずとも勝手に起こる現象であって、そこに対するSF的理屈を与えるのではなく、その逆に、勝手に起こる現象をあえて起こすマシーンを開発しました、という話になってしまっている点。これのどこが問題なのかというか、リニア新幹線がある世界で、すごく早いリニア新幹線の出るSF作品を出されたとして、それって面白いか? という問題だと思ってくれれば良いと思う。例えばオチのシーンにしても、別にこれはよくあることである。SF的後押しが無くても人間はこういうことをやる。宗教的情熱が集団ヒステリーをもたらしたなんて事例はいくらでもあるわけで、せっかく用意した舞台装置を使ってまでやるのがそれかー、となる。正直ミーム云々は綾波レイっぽい美少女かわいそう以上の感想を抱きようがない。それにこのアコーマンというゲームの位置づけも、なんとも言えない。これは数学的にとらえると、チェスの延長線上のゲームである。だから、このゲームの勝ち負けという問題は、技術的にも、また社会的インパクト的にも「ディープブルーが勝った」以上のものではありえないはずで、なのに、「世界が変わるぞ!」みたいなテンションで議論が行れているのが謎。ディープブルーの勝利という事件から人間存在の議論を始めるの、ブログネタとしては適切でも、21世紀のSF小説のモチーフとしては正直あまりかっこよくはないよねっていう。もちろん使い方の問題ではあると思うけど。

 この小説が基本的に文化一元論の立場に立っていて、ミーム的語彙だけで宗教を語りきろうとしているのだが、その点についても少し不満があった。実際、ミームの話と宗教の話のつながりがあまりにガバいと思う。両者は天国という概念一点だけで一緒くたに論じられてるが、別に宗教は天国概念だけに依拠して成立するのではないだろう。

 ワタシ的に謎ポイントが高かったのは、作中において完全に世俗化(化というよりは的とするべきか)したと思われるキャラクターたちの扱いである。特にノヴァク、マルムクヴィスト両博士のキャラ。この二人は、ある種、西洋的な世俗精神を代表するキャラクターで、設定自体は上手いと思う。つまり、基本的に敬虔さなどはとっくに失っているインテリなのだが、なぜか心の中で抱いている葛藤は極めて敬虔というか保守的なもの、という一般ピーポー的道徳の矛盾がうまく表現されている。ノヴァク博士は教科書どおりの家族形成に失敗したという点で悩んでいるし、一方マルムクヴィスト博士に至っては中絶経験がある種のトラウマとなっている。話の基本構造は、この二人の世俗化した科学者が最終的に帰依というか回心するというものなのだが、その理由があやふやにされている、というか、ミーム理論でしか宗教を論じることができていないから、結果として宗教=天国概念という結構よろしくない矮小化が起こっていて、その結果として回心や帰依、信仰に対する疑念といった本来宗教的には重要なイベントが全く何の負荷もかけられずただただ流れていく。これは端的にもったいない。物語的意味づけが無いイベントは何の印象もなく消えていくという点は、まさに著者の指摘している通りだ。

 例えばオチまでの流れだ。理屈としてはミームで説明されるのだが、特にマルムクヴィスト博士は、完全に「心に傷を負った西洋人がパラオ島で安らぎを見つけました……」になっているように思うし、わずか一行の説明でいつのまにか回心してるのは流石に違和感がある。この作品におけるミームシステムは、例えば伊藤計劃っぽい諸々とは違って、もう少し穏健な、言ってしまえば民主的なシステムであると言われている。だから、やっぱりオチにおいては伊藤計劃的な一気呵成感というか狂気とかで説明してはダメで、もうちょっと丁寧な描写、言い換えれば理性的な人間の真摯な意思決定としての回心体験を描写する必要があるのにもかかわらず、この著者はそうしていないから、薄っぺら感がやばい。結論を言うと、宗教を扱うならもうちょっと丁寧にやるべきだったんじゃなかろうかという話である。

 

まとめ

 この小説は基本的に「最後に色々つながっておーとなった」「美少女の雰囲気がよかった」以上の仕組みはない、薄っぺら小説である。その肉付けに、ミームやら宗教やら文化人類学やらとぶち込んではいるが、その設定もガバガバなのでますます薄っぺらさが目立つという結果に終わっているように思う。個人的には『カラマーゾフ兄弟』とか『闇の左手』が好きな人なので、辛口になってしまうのかもしれないけど……

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-712.html

*2:実際、我が国はパラオにおけるモデクゲイ教を迫害したという歴史的事実があるわけだから、そういうった文化的コンテンツに対する視座として、真摯な描写があってしかるべきだったと思う。いや、こういうところに戦線を設定するのが既にして先進国()住民の傲慢さなのかもしれんけど……

【ネタバレ】君の名は。【あらすじ】

君の名は。」のあらすじ

プロローグ

 2013年、東京都心で暮らす中学生男子の立花 瀧は、電車に乗っていると、謎の少女から唐突に話しかけられる。瀧はその少女を不審に思い、「君の名は」と尋ねる。少女は「私の名は三葉」と応え、瀧に対して赤い糸を渡す。これが本作の主人公である瀧と、ヒロインである三葉の最初の出会いとなる。

 その時系列、2013年のある日、岐阜県のとある湖畔の町、糸守町に隕石が落下して、その町の住人が全員死んでしまうという「災害」が発生する。

 

前半 体が入れ替わっちゃった!?

 その3年後の2016年、東京の都心で高校生活を送る立花 瀧の生活に突然の変化が生じる。瀧が朝起きると、なんと先述した岐阜県の町に暮らす少女、宮水 三葉の体の中に、自分の人格が入り込んでいたのだ! これはその逆も然りの不思議現象で、2013年の三葉は2016年の瀧となる。3年の時間を超越した入れ替わり現象というわけだ。

 この入れ替わりは不定期に、かつ一日単位で起こる不思議な現象で、入れ替わっていた間の身体側の記憶は無く、人格側の記憶も徐々に消えてしまうというという設定。よって、二人は当初自分の中に他人が入り込んでいることを認識できず、周りの生徒たちの反応(お前昨日変だったぞ。まるで別人みたいだった)から自分の変化を知る。

 様子がおかしいことを悟った二人は、スマートフォンの日記機能を用いてコミュニケーションを取り始める。この方法が上手く行って、困惑しながらも、二人はよく知らない人間を演じながらの高校生活を送り始める。岐阜県で暮らす三ツ葉は東京での暮らしを楽しむ。アルバイトにカフェに。彼女にとって都会ライフは憧れなのだ。一方、東京都民ながら岐阜で生活することになる瀧は、「田舎」での女子高生ライフを楽しむ。以上の入れ替わり展開、およびスマートフォンの日記機能を用いた二人のコミュニケーションが、前半の甘酸っぱい青春パートとなる

 さらに青春パートに並行して、三葉と入れ替わって岐阜県生活を送る瀧は、徐々に三葉というキャラクターの背景を知ることになる。

 岐阜県の糸守町で暮らす三葉は、古くから伝わる巫女*1の家系出身者で、①特殊な糸の生産、②特殊な酒の生産、そして③生産した酒を聖地に捧げる、という3つの伝統を維持する義務を負っている。三葉と入れ替わった日の瀧も、これらの伝統行事を追体験し、神社経営に協力することになる。

 また、三葉の父は町長を務めているが、父と娘の関係は破綻気味であることも明らかになる。巫女の家系に対する入り婿であった三葉の父が、三葉の母の死後、神社経営を放棄して、政治の世界に進出したことが原因らしい。町長たる三葉父は神社的伝統を嫌っているが、長女の三葉は、言葉では神社的伝統を嫌いつつも、しっかりと行事はこなしているのだ。

 

後半 3年前の隕石落下から、あの子を救え!

 後半部はネタばらし編で、スマホでの日記コミュニケーションから、どうやら三葉が岐阜県民らしいということを突き止めた2016年の瀧が、新幹線で岐阜県に向かう。しかしここで、三葉の住んでいた町は2013年の隕石墜落という「災害」ですっかり壊滅し、三葉もすでに死んでいたことが明らかにされる。

 自分が入れ替わっていた相手、すなわち三葉が死んでいたことを知った主人公は愕然としたが、自分が2013年の三葉と入れ替わっていた時の記憶を頼りに、彼女の痕跡を探そうとする。具体的には、三葉の所属する神社の聖地(この場所は隕石落下の被害を免れていた)に奉納した特殊な酒を探そうとするのだ。

 なんとか聖地にたどり着いた瀧は、そこで2013年時点で三葉によって生産された特殊な酒を入手し、それを飲む。すると主人公は時間を超越することに成功し、隕石が落下する直前の、2013年の岐阜県糸守町に暮らす三葉の中に、再び入り込む。

 三葉と化した瀧は、同級生たちと協力し、隕石が落下する前に糸守町の住民を避難させようとするが、しかし、その試みは途中で頓挫してしまう。というのも、三葉(中身は瀧)は町長である三葉の父を説得し、町の消防団を動員してもらおうとするのだが、三葉父はその説得に応じなかったのだ。そればかりか、説得の際に三葉(中身は瀧)が父に対してキレたという理由で、三葉の中身が別人であることを父に看破されてしまう。

 この時点で避難計画は完全に破綻したかに思われたのだが、三葉と化した瀧はここでもう一度聖地に向かう。すると、聖地の力によって、入れ替わった二人はついに直接のコミュニケーションを取ることに成功する。

 このコミュニケーションが成功した背景には二つ直接的理由がある。一つは物理的な問題で、前述したように、2016年の瀧の身体は聖地にある。物理的な位置の一致はこれによって説明される。また、三年間の時間を超越したことの説明は、瀧が作中においてずっと身に着けていた赤い糸によってなされる。この糸が、実は2013年時点で瀧に会うべく東京を訪れていた三葉から譲り受けたものだったことが、ここで明らかにされる。前述のエピローグ部分が当該シーンだ。この糸は、伝統的な生産物で、時空を越える力を持っているので、瀧と三葉の直接的なコミュニケーションを助ける機能があったのだと思われる。

2013年、東京都心で暮らす中学生男子の立花 瀧は、電車に乗っていると、謎の少女から唐突に話しかけられる。瀧はその少女を不審に思い、「君の名は」と尋ねる。少女は「私の名は三葉」と応え、瀧に対して赤い糸を渡す。これが本作の主人公である瀧と、ヒロインである三葉の最初の出会いとなる。

 主人公とのコミュニケーションを終えた三葉は、自分自身の身体に再び帰ってくると、今度はまた町に帰って行った。そして父を説得し、町自治体の持っている人的・物的リソースを動員することによって、なんとか町民たちの避難を成功させる。隕石落下という「災害」の人的被害は、この避難によってほぼゼロに抑えられる。

 

エピローグ

 2021年の東京で暮らす就活生の立花瀧は、電車に乗っていると、隣の路線を走る車輌に乗った一人の女性に気を引かれる。なんとその女性は岐阜県糸守町から東京に出てきた、三葉その人であった。二人は再会し、お互いにこう尋ねたのだった。「君の名は」と。

 

*1:多分もっと厳密な言い方あるんだろうけど許せ