洗練された仲直り映画。「SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム」感想

 

SR2 サイタマノラッパー2 ~女子ラッパー☆傷だらけのライム~O.S.T.

SR2 サイタマノラッパー2 ~女子ラッパー☆傷だらけのライム~O.S.T.

 

 「SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム」を見た。

 

 見よう見ようとは思っていたのだが、敬遠していた一本。なぜ敬遠していたのかというと、前作の「SR サイタマノラッパー」があまりにもドストライク作品で、簡単に言えば神作品だったからである。そもそも一般論として、やはり自分の愛する作品の「続編」というものを覗き込むのには勇気がいるものだ。ポシャってたらなんかイヤではないか。

 それに、前作のエンディングは視聴者を突き放す(厳密に言えばちょっと違うのだが、詳細は後述)タイプのそれであったわけで、その突き放し方が完璧だったから賞賛を送った私としては、続編と言われても「いや、帰ってくんなよ」という反応にどうしてもなる。あえて例を出すと、例えばSR1と同系統の映画には「狂い咲きサンダーロード」とか「レスラー」とか色々あると思うのだが、それらの続編を見たいか? と言われるとまあ見たくないわなという話だ。

 敬遠していた理由にはもう一つあって、それはSR2が「女子ラッパー」を描いているという前情報を知っていたから、というもの。「落ちぶれた女性」は、端的に言って描くのが難しい。「落ちぶれ」であるからには一種の自然主義が要求されてしまうのにもかかわらず、コンテンツ産業における「リアルな女像」というものは通常作為的人工物、つまりなんの自然さもない何かに堕す場合が多いからだ。いや、私は別に作為性全開の「落ちぶれたリアルなオンナ」はコンテンツとして好きなのだが、敬愛するサイタマノラッパーというタイトルを冠する作品でそれをやってほしくはない……という屈折した思いがあったというわけである。

 というわけであまり見る気がなかったのだが、ジョン・カーニー監督作品を色々見ているので、そういや我が国にも音楽映画あったなと思って借りるに至ったのであった。

 

感想

 最初に結論を述べてしまうと、「仲直りの映画としてより洗練されたな」とでも言えばいいだろうか。いや、普通に面白かった。女性の描き方も、「虚構性の裏に自然さを覗かせる*1」という体になっていて、警戒していたほどいやらしくなかったので、かなり安心して見ることができたのも大きい。

 まず、前作の話を簡単にしておく。前作、SR1は和解の物語である。「男同士の友情物語」「夢を諦めた人に送る物語」という表現は、もちろん正しくはあるが、サイタマノラッパーはそういった陳腐な解説を逃れうる強力なパワーを持っている。露骨にホモソっぽい空気感を出しつつも、「ラップ」という設定と「仲直り」という物語性を完璧に近い形で絡ませているから、SR1は普遍性をもった神作品であると自信を持って言える。

 もう少し具体的な話をする。SR系譜の作品において、ラップというものは、文化史においてどう扱われているかとは関係無しに映画内在的な話をするが、明確に「本音のぶつけ合い」として描かれている。つまりラップとは、本気の会話であり、露骨な表現をしてしまえばケンカだ。ラップisケンカ。このラップという名のケンカに視聴者をグイグイと引き込んでしまうという点が、SR系譜作品のすごいところなのだ。

 というのも、立派な大人が心をむき出しにしてケンカをするというケースはめったにない、というか、ケンカという営みは他人の共感を得られるようなものではないのである。ケンカはどちらかと言えば、頭の悪い悲惨な連中の生業であるし、何より、ケンカというものは特定の人間関係に内在的なもので、よっぽどのことが無いと他人のケンカに興味を持つことはできない。むろん、「ケンカップル」という概念もあったりするし、仲悪い殺伐としたカップリングが人気となることは、あり得る。だが、おそらく「仲が悪いけどいつも一緒にいる二人に萌える」と、「普通に仲いいけどケンカしちゃった二人に萌える」は、性質として異なると私は思う。いずれにせよ萌えることはできるだろうが、前者の場合ひと目で萌えられるのに対して、後者で萌えるためにはより多くの文脈的知識が必要となるはずだ。よって、仲の良い二人の関係が一度破綻し、そして和解によって再生される過程を説得的に描くためには、二人の関係性についての情報を丁寧に提示していくという、かなり高度な語りの技術が要求されることがお分かりいただけるだろう。それに成功しているサイタマノラッパーは故に、非常に洗練された「仲直り」映画なのだと思う。

 作品の話に入っていきたい。SR系譜作品が最も盛り上がるのは、つまり物語のピークは、最後のラップシーン=ケンカシーンである。これはSR1、SR2共通の要素。さて、ケンカには理由がつきものだが、あいつらは一体なぜケンカするのか。SR系譜作品におけるケンカの原因は、基本的には「夢を裏切ったこと」だ。若き日に親友と一緒に見た夢。それを裏切ってまっとうな世界に逃げ出してしまった友。残された主人公。という悲しいモチーフ。

 だが、この裏切り行為は全く正当なのだ。映画の舞台となる埼玉県や群馬県のような田舎には夢も希望もライブハウスも無いので、音楽をやろうという情熱は圧倒的閉塞感を前にして敗北せざるをえない。でもそれでも、年をとっても、追い詰められても、夢を諦められない人々。「現実」との和解を拒否しようとする主人公たち。でもそんな足掻きも、やっぱり現実には全然歯が立たない。そこで仲間たちは一人ひとり、主人公の前から消えていく。最後まで戦線を支え続けた主人公も、あえなく屈服し、世界から強制された和解案をやむなく受け入れ、カタギな生活を始める……この構造は、SR1、SR2共に共通だ。 

 ここから先は、SR1と2で異なる。先に1の話をしておく。

 SR1のエンディングは危うい。何度も言及している「ラストのラップシーン」は、結局「俺は世界と和解しない!」という強力な意思が現れるシーンなのだ。もはやカタギな生活を始めた主人公と、同じくカタギな生活を始めた仲間が出会う瞬間、二人のラップ=ケンカが始まる。この瞬間、つまり元ラッパー志望だった人々が、そば屋のバイトとして、交通整理のバイトとして再会するというのは、とても気まずい。というか、端的に言って屈辱の瞬間だろう。まさに敗北感が頂点に達する瞬間と言ってもよい。が、絶望の頂点に達した段階で、ラップが始まる。二人の言葉の、本音のぶつけ合いが始まる。一度、世界との間に屈辱的な和解を演じざるを得なかった主人公とその仲間は、ここでお互いに本音をぶつけ合う。しかもその本音をラップに乗せてぶつけるのだ。だからこの本音のぶつけ合いは、本音ではあるんだけどラップの歌詞ですよという保険がかけられていて、「堰を切ったように本音を出しはじめる」ことに対する納得感はかなり強い。もしこれが「キレた二人の若者が絶叫して怒鳴り合う」では、絶対に共感は得られないわけだが(ドン引きである)、音楽に乗せているおかげでギリギリ受け入れられる緊張感に収まっていると言える。作品のほぼ全編を使ってひたすら痛めつけられて屈服した主人公たちが、最後にラップという夢にもう一度帰ってくる、しかもラップの力で!という展開はとても感動的だ。さらに言うならば、SR1は最後に余韻を残すような終わり方をしている。主人公とその仲間が完全に和解する瞬間の、一歩手前で映画を終わらせてしまうのだ。この演出の効果のほどは計り知れない。おかげで視聴者は心の中で和解の解放感を何度も味わえるのだから。また、みなまで映さない演出は、やはり主人公たちの下す結論の危うさとも関係しているだろう。現実との和解を拒否すると、原則として未来は真っ黒なのだ。

 さて、ここからはSR2の話だ。SR2は、1と基本的に同じ話なのだが、和解の構造が違う。1の和解が、お互いの裏切りを強く自覚した上で、ある種「一緒に夢に帰ろう」という危険なものだったのに対して、2の和解構造はもう少し地に足がついているのだ。SR2の場合、最後まで夢の戦線を支えた主人公に対して、早い段階で逃げ出した仲間たちが強い負い目を感じている、という点が特徴的だ。つまり1の和解は対称性が担保された和解だったのだが、2は、どちらかと言えば「裏切り行為を行った仲間が、最後まで戦線に残った主人公に許しを請い、受け入れられた結果」としての和解を描いている。それに、最後のラップによる提案もまるで違う。1は結局「夢を諦めない」以上のことは言っておらず、ある意味で現実と向き合うことを放棄するという危険な投げやり感を含んだラップだった。だが2は「現実と向き合う」という路線にかなり寄せた歌詞になっていて、そういった意味で主人公たちの成長が感じられる展開となっている。そして、これはこれでよいのだと思う。

 1のように、反動パワーを極限まで高め、破滅に向かって一緒に走っていくぞ! というタイプの危うい和解はよいものだ。私は大好きである。しかし一方で、「散々痛めつけられた上でやっと現実と向き合う気になった。もう夢だなんだと言ってられないけど、でも夢が裏切られても、私たちの関係は終わりにしなくてもいいんじゃないか」という感じの脱力感マシマシの和解も、しっとりしていて実にいい。実際、1とは対称的に、2は唐突に映像を切ったりせずに、最後の最後の展開まで画面に映す。最後のシーンは、和解してとてもリラックスした主人公たちが、仲良く田圃道を歩いて行くショットで終わるのだが、こういう絵の良さは、より妥協的な解決を選択した主人公に対するご褒美なんだろうなと思う。

 まとめると、1よりも2の方がより洗練された「仲直り」の話になっていて、そこはとてもよかったと思う。多分もうサイタマノラッパーシリーズは見ないけど、とりあえず2は思っていたより全然よかった。俺も音楽をやりたい人生だった。YO。

*1:この逆、つまり「自然さの裏に虚構性を隠す」が一番まずいが、とりあえずこれは回避できてたんではないか

雰囲気のある小説 『ニルヤの島』感想

『ニルヤの島』とは?

  生体受像の技術により生活のすべてを記録しいつでも己の人生を叙述できるようになった人類は、宗教や死後の世界という概念を否定していた。唯一死後の世界の概念が現存する地域であるミクロネシア経済連合体の、政治集会に招かれた文化人類学イリアス・ノヴァクは、浜辺で死出の旅のためのカヌーを独り造り続ける老人と出会う。模倣子行動学者のヨハンナ・マルムクヴィストはパラオにて、“最後の宗教”であるモデカイトの葬列に遭遇し、柩の中の少女に失った娘の姿を幻視した。ミクロネシアの潜水技師タヤは、不思議な少女の言葉に導かれ、島の有用者となっていく―様々な人々の死後の世界への想いが交錯する南洋の島々で、民を導くための壮大な実験が動き出していた…。民俗学専攻の俊英が宗教とミームの企みに挑む、第2回ハヤカワSFコンテスト大賞受賞作。

 

感想

『ニルヤの島』を読んだ。感想としては主に2点。1つは純粋にテクニック上の論点であり、もう1つはテーマ上の論点。総合評価は5点中2点といったところか。雰囲気はあるし、エロゲシナリオが繋がったときのような感動はある。が。それでも。私は。

 

1、描写がほぼない。でも、これは「文化人類学小説」なんですよね?

 テクニカルなことを語る上ではフレームワークが必須であるから、とりあえず最初に理論的な話をする。小説というメディアは、①キャラクターによる会話の場面と、②地の文による展開の説明、そして③情景の詳細の描写という三要素から成立している*1。もう少し露骨に書いてしまうと、場面、説明、描写の三要素ということになる。ここではっきりさせておくべきは、この三要素による考え方はあくまで物語の描き方に関するフレームワークであるということだ。つまり、ここでいう「説明」は文字通りの説明を指すのではなくて、童話や神話のようにひたすら話が流れていく箇所のことを指すし、「描写」は細やかな説明が行われている箇所を指す。例えば服装とか行動を丁寧に説明している箇所は、機能的には説明をしているのだが、このフレームワークにおいては描写と呼ばれることになる。

 さて。イマドキの小説はほとんど場面(ようは会話シーン)だけで突っ走る作品が多い。実際、ジャンルによってある程度「場面」「説明」「描写」の比率が変化するのが自然だと思う。なんでこんなことを言うのかというと、例えば学園エンターテイメント小説においてヒロイン5人の服装描写をダラダラやったらテンポが破壊されてしまうし、情景描写をひたすら続けて展開が簡潔に説明されない軍記モノとか想定しがたいわけである。と、まあようは、キャラの掛け合い=場面が面白ければそれでいいんですというのが基本ではある。実際、会話の中で説明をやってしまうことも可能なので、つまり三要素のうち、事実上「説明」は「場面」の下位分類と化しているので、基本的に場面=会話最強である。描写とかいらなかったんや! そもそも誰が服とか家の細かい描写を読みたがるんや!

 が、ここからは私見なのだが、「文化人類学小説」においては厚い描写パートが必須になると思う。それは異世界感にリアリティを与えるために必須というだけでなく、読み手側の読書体験に厚みを持たせるために必要なのではなかろうか。そして何より、こういったテーマに手を出す作家の義務として、誠実な描写が求められるのではないだろうか。

 前者のリアリティ云々についてはすでに一億人の人々によって語られているので置いておくとして、後者の体験云々、義務云々についてもう少し議論したい。文化人類学に触れていて面白い瞬間というのは、自分にとって所与とされている諸々がいかに変数的であるかという気付きを得る瞬間だろう。こういう瞬間を提供しようと思ったときに、作家は、やはり劇的な効果を狙うならば「場面」を用いるべきであるのはその通り。「民俗学者」と「現地民」が交流するのだが、彼ら彼女らの間にある決定的な亀裂が明らかになってしまう……そんな場面が典型的だ。とはいえ、である。もちろん「場面」でやるのは大いに結構だし有効だろうとは思うのだが、その場面を盛り上げるためには、準備段階として徹底的な描写が必要になってくると思う。が……この『ニルヤの島』にはいわゆる「描写」に相当する箇所があまりない、というか、とても薄い。緻密な下積みなしに、つまりは丹念な描写抜きに、場面だけで異世界感を出そうとする戦法を私は個人的に「雰囲気戦法」と呼んでいるのだが、これはかなり薄っぺらいと思う。もちろん、「ミーム」ではないけれども、我々の中にある文化的諸々の蓄積によってこの「雰囲気戦法」は極めて効果的ではある。みなまで言わずとも、簡単な鍵単語さえ散りばめておけば、ああアレっぽいシーンを想像すればいいのね、と大抵了解できるからだ。それに「雰囲気戦法」は、個人的にも別に嫌いではないというかむしろ好きなくらいではある。のだが、やはり違和感は残る。読んだ後は瞬間的にすごい! となるのだが、それは長続きしない。

 それに、「文化人類学」と言った時点で、「ああアレね」という野蛮な回収を読み手がせずに済むようにするのが、つまりそういった回収を排除できるくらいに緻密かつ刺激的な描写をしてみせるのが、「文化人類学」というテーマで作品を書く作家の義務だと思う*2

 

2,これって事実上宗教の小説ですよね

 もう一つの論点はテーマ性に関わるもの。この小説は、基本的に文化という概念を全面に押し出していて、その意味で宗教概念は完全に文化の下位概念として設定されている。これは現在の潮流的に決して間違ってはいないと思うし、文化一元論で多いに結構ではあるのだが、とはいえ、宗教を問題にするなら色々と不満点が残る作品ではあると思う。

 まずミームの扱いなのだが、CHECKMATEパートで様々な理屈が明らかにされる。このパートがわりと不満。まず何よりも、「ミームの伝播」はコンピュータの力を借りずとも勝手に起こる現象であって、そこに対するSF的理屈を与えるのではなく、その逆に、勝手に起こる現象をあえて起こすマシーンを開発しました、という話になってしまっている点。これのどこが問題なのかというか、リニア新幹線がある世界で、すごく早いリニア新幹線の出るSF作品を出されたとして、それって面白いか? という問題だと思ってくれれば良いと思う。例えばオチのシーンにしても、別にこれはよくあることである。SF的後押しが無くても人間はこういうことをやる。宗教的情熱が集団ヒステリーをもたらしたなんて事例はいくらでもあるわけで、せっかく用意した舞台装置を使ってまでやるのがそれかー、となる。正直ミーム云々は綾波レイっぽい美少女かわいそう以上の感想を抱きようがない。それにこのアコーマンというゲームの位置づけも、なんとも言えない。これは数学的にとらえると、チェスの延長線上のゲームである。だから、このゲームの勝ち負けという問題は、技術的にも、また社会的インパクト的にも「ディープブルーが勝った」以上のものではありえないはずで、なのに、「世界が変わるぞ!」みたいなテンションで議論が行れているのが謎。ディープブルーの勝利という事件から人間存在の議論を始めるの、ブログネタとしては適切でも、21世紀のSF小説のモチーフとしては正直あまりかっこよくはないよねっていう。もちろん使い方の問題ではあると思うけど。

 この小説が基本的に文化一元論の立場に立っていて、ミーム的語彙だけで宗教を語りきろうとしているのだが、その点についても少し不満があった。実際、ミームの話と宗教の話のつながりがあまりにガバいと思う。両者は天国という概念一点だけで一緒くたに論じられてるが、別に宗教は天国概念だけに依拠して成立するのではないだろう。

 ワタシ的に謎ポイントが高かったのは、作中において完全に世俗化(化というよりは的とするべきか)したと思われるキャラクターたちの扱いである。特にノヴァク、マルムクヴィスト両博士のキャラ。この二人は、ある種、西洋的な世俗精神を代表するキャラクターで、設定自体は上手いと思う。つまり、基本的に敬虔さなどはとっくに失っているインテリなのだが、なぜか心の中で抱いている葛藤は極めて敬虔というか保守的なもの、という一般ピーポー的道徳の矛盾がうまく表現されている。ノヴァク博士は教科書どおりの家族形成に失敗したという点で悩んでいるし、一方マルムクヴィスト博士に至っては中絶経験がある種のトラウマとなっている。話の基本構造は、この二人の世俗化した科学者が最終的に帰依というか回心するというものなのだが、その理由があやふやにされている、というか、ミーム理論でしか宗教を論じることができていないから、結果として宗教=天国概念という結構よろしくない矮小化が起こっていて、その結果として回心や帰依、信仰に対する疑念といった本来宗教的には重要なイベントが全く何の負荷もかけられずただただ流れていく。これは端的にもったいない。物語的意味づけが無いイベントは何の印象もなく消えていくという点は、まさに著者の指摘している通りだ。

 例えばオチまでの流れだ。理屈としてはミームで説明されるのだが、特にマルムクヴィスト博士は、完全に「心に傷を負った西洋人がパラオ島で安らぎを見つけました……」になっているように思うし、わずか一行の説明でいつのまにか回心してるのは流石に違和感がある。この作品におけるミームシステムは、例えば伊藤計劃っぽい諸々とは違って、もう少し穏健な、言ってしまえば民主的なシステムであると言われている。だから、やっぱりオチにおいては伊藤計劃的な一気呵成感というか狂気とかで説明してはダメで、もうちょっと丁寧な描写、言い換えれば理性的な人間の真摯な意思決定としての回心体験を描写する必要があるのにもかかわらず、この著者はそうしていないから、薄っぺら感がやばい。結論を言うと、宗教を扱うならもうちょっと丁寧にやるべきだったんじゃなかろうかという話である。

 

まとめ

 この小説は基本的に「最後に色々つながっておーとなった」「美少女の雰囲気がよかった」以上の仕組みはない、薄っぺら小説である。その肉付けに、ミームやら宗教やら文化人類学やらとぶち込んではいるが、その設定もガバガバなのでますます薄っぺらさが目立つという結果に終わっているように思う。個人的には『カラマーゾフ兄弟』とか『闇の左手』が好きな人なので、辛口になってしまうのかもしれないけど……

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:http://readingmonkey.blog45.fc2.com/blog-entry-712.html

*2:実際、我が国はパラオにおけるモデクゲイ教を迫害したという歴史的事実があるわけだから、そういうった文化的コンテンツに対する視座として、真摯な描写があってしかるべきだったと思う。いや、こういうところに戦線を設定するのが既にして先進国()住民の傲慢さなのかもしれんけど……

【ネタバレ】君の名は。【あらすじ】

君の名は。」のあらすじ

プロローグ

 2013年、東京都心で暮らす中学生男子の立花 瀧は、電車に乗っていると、謎の少女から唐突に話しかけられる。瀧はその少女を不審に思い、「君の名は」と尋ねる。少女は「私の名は三葉」と応え、瀧に対して赤い糸を渡す。これが本作の主人公である瀧と、ヒロインである三葉の最初の出会いとなる。

 その時系列、2013年のある日、岐阜県のとある湖畔の町、糸守町に隕石が落下して、その町の住人が全員死んでしまうという「災害」が発生する。

 

前半 体が入れ替わっちゃった!?

 その3年後の2016年、東京の都心で高校生活を送る立花 瀧の生活に突然の変化が生じる。瀧が朝起きると、なんと先述した岐阜県の町に暮らす少女、宮水 三葉の体の中に、自分の人格が入り込んでいたのだ! これはその逆も然りの不思議現象で、2013年の三葉は2016年の瀧となる。3年の時間を超越した入れ替わり現象というわけだ。

 この入れ替わりは不定期に、かつ一日単位で起こる不思議な現象で、入れ替わっていた間の身体側の記憶は無く、人格側の記憶も徐々に消えてしまうというという設定。よって、二人は当初自分の中に他人が入り込んでいることを認識できず、周りの生徒たちの反応(お前昨日変だったぞ。まるで別人みたいだった)から自分の変化を知る。

 様子がおかしいことを悟った二人は、スマートフォンの日記機能を用いてコミュニケーションを取り始める。この方法が上手く行って、困惑しながらも、二人はよく知らない人間を演じながらの高校生活を送り始める。岐阜県で暮らす三ツ葉は東京での暮らしを楽しむ。アルバイトにカフェに。彼女にとって都会ライフは憧れなのだ。一方、東京都民ながら岐阜で生活することになる瀧は、「田舎」での女子高生ライフを楽しむ。以上の入れ替わり展開、およびスマートフォンの日記機能を用いた二人のコミュニケーションが、前半の甘酸っぱい青春パートとなる

 さらに青春パートに並行して、三葉と入れ替わって岐阜県生活を送る瀧は、徐々に三葉というキャラクターの背景を知ることになる。

 岐阜県の糸守町で暮らす三葉は、古くから伝わる巫女*1の家系出身者で、①特殊な糸の生産、②特殊な酒の生産、そして③生産した酒を聖地に捧げる、という3つの伝統を維持する義務を負っている。三葉と入れ替わった日の瀧も、これらの伝統行事を追体験し、神社経営に協力することになる。

 また、三葉の父は町長を務めているが、父と娘の関係は破綻気味であることも明らかになる。巫女の家系に対する入り婿であった三葉の父が、三葉の母の死後、神社経営を放棄して、政治の世界に進出したことが原因らしい。町長たる三葉父は神社的伝統を嫌っているが、長女の三葉は、言葉では神社的伝統を嫌いつつも、しっかりと行事はこなしているのだ。

 

後半 3年前の隕石落下から、あの子を救え!

 後半部はネタばらし編で、スマホでの日記コミュニケーションから、どうやら三葉が岐阜県民らしいということを突き止めた2016年の瀧が、新幹線で岐阜県に向かう。しかしここで、三葉の住んでいた町は2013年の隕石墜落という「災害」ですっかり壊滅し、三葉もすでに死んでいたことが明らかにされる。

 自分が入れ替わっていた相手、すなわち三葉が死んでいたことを知った主人公は愕然としたが、自分が2013年の三葉と入れ替わっていた時の記憶を頼りに、彼女の痕跡を探そうとする。具体的には、三葉の所属する神社の聖地(この場所は隕石落下の被害を免れていた)に奉納した特殊な酒を探そうとするのだ。

 なんとか聖地にたどり着いた瀧は、そこで2013年時点で三葉によって生産された特殊な酒を入手し、それを飲む。すると主人公は時間を超越することに成功し、隕石が落下する直前の、2013年の岐阜県糸守町に暮らす三葉の中に、再び入り込む。

 三葉と化した瀧は、同級生たちと協力し、隕石が落下する前に糸守町の住民を避難させようとするが、しかし、その試みは途中で頓挫してしまう。というのも、三葉(中身は瀧)は町長である三葉の父を説得し、町の消防団を動員してもらおうとするのだが、三葉父はその説得に応じなかったのだ。そればかりか、説得の際に三葉(中身は瀧)が父に対してキレたという理由で、三葉の中身が別人であることを父に看破されてしまう。

 この時点で避難計画は完全に破綻したかに思われたのだが、三葉と化した瀧はここでもう一度聖地に向かう。すると、聖地の力によって、入れ替わった二人はついに直接のコミュニケーションを取ることに成功する。

 このコミュニケーションが成功した背景には二つ直接的理由がある。一つは物理的な問題で、前述したように、2016年の瀧の身体は聖地にある。物理的な位置の一致はこれによって説明される。また、三年間の時間を超越したことの説明は、瀧が作中においてずっと身に着けていた赤い糸によってなされる。この糸が、実は2013年時点で瀧に会うべく東京を訪れていた三葉から譲り受けたものだったことが、ここで明らかにされる。前述のエピローグ部分が当該シーンだ。この糸は、伝統的な生産物で、時空を越える力を持っているので、瀧と三葉の直接的なコミュニケーションを助ける機能があったのだと思われる。

2013年、東京都心で暮らす中学生男子の立花 瀧は、電車に乗っていると、謎の少女から唐突に話しかけられる。瀧はその少女を不審に思い、「君の名は」と尋ねる。少女は「私の名は三葉」と応え、瀧に対して赤い糸を渡す。これが本作の主人公である瀧と、ヒロインである三葉の最初の出会いとなる。

 主人公とのコミュニケーションを終えた三葉は、自分自身の身体に再び帰ってくると、今度はまた町に帰って行った。そして父を説得し、町自治体の持っている人的・物的リソースを動員することによって、なんとか町民たちの避難を成功させる。隕石落下という「災害」の人的被害は、この避難によってほぼゼロに抑えられる。

 

エピローグ

 2021年の東京で暮らす就活生の立花瀧は、電車に乗っていると、隣の路線を走る車輌に乗った一人の女性に気を引かれる。なんとその女性は岐阜県糸守町から東京に出てきた、三葉その人であった。二人は再会し、お互いにこう尋ねたのだった。「君の名は」と。

 

*1:多分もっと厳密な言い方あるんだろうけど許せ

【ネタバレ】童貞はちゃんと見に行って、ちゃんと叩いてくれ。「君の名は。」感想


「君の名は。」予告

 

 バルト9で「君の名は。」を見た。ちょっと事故があったので懺悔なう*1

 以下ネタバレ。ちなみに小説版は読んでない。 あらすじは別記事です。

zatumuiroiro.hatenadiary.jp

 

 

 

 

感想

 個人的に、「ハーモニー」劇場版以来の惨事だったのだが、好意的な感想の方が圧倒的に多く、批判的な文章を見つけるのが大変だった。ざっと(本当にざっとだけど)見るとこんな*2記事が目に入った。

 

 以下、具体的な感想。

・シナリオ面

 まあ、言われてるように、ちょっとシナリオはお粗末だったと思う。別に私は論理的な展開とか、設定の明示的な提示を要求するタイプの視聴者ではないが、それでも情報の出し方にはメリハリが必要だとは思う。というのもキャラクターを上手く作れるかどうかは完全に情報の出し方に依存しているので、そこで失敗すると、作中におけるキャラクターの動機や位置づけが迷走してしまうからだ。そうすると、どうしても悪い意味での作り物感が出てしまう。

 情報の出し方というのは、言い換えれば、キャラクターの記憶をどう管理するかという問題でもある。実際、この映画において記憶は極めて重要な要素だ。「君の名は。」には、入れ替わっていた時の記憶は時間の経過とともに消滅するという基本的なルールがあったり、あるいは主人公とヒロインが実は昔出会っていた! という展開があるなど、人間の記憶というものに焦点を当てている作品だとは思うのだが、しかし、記憶の扱いが大味すぎると思う。というか、説明がないので不信感が高まってしまう。

 

1,大事な情報がなぜ……

 まずなによりもだが、この映画の主人公は大事な情報を忘れ過ぎである。

 この映画の面白いところはすべて、「体が入れ替わっていた相手と、実は時間を共有できていなかった!」と主人公が知るシーンにかかっている。この気付きがあるからこそ、もう会えないのだという切なさが際立つし、実は東京で会っていたという展開もより活かされる。

 が、このシナリオ上のトリックが成立するのは、「高校受験に追われていた日々、電車で出会った謎の少女に赤い糸をもらった」と「隕石が岐阜県に落下し、多くの人の命が失われた」という2つの超重要な記憶を、主人公は無くしてしまっているからである。しかしこの記憶喪失、どう考えても不自然だと思う。不思議でしょうがないのだが、話を作るためにそうしました、以上の説明は多分ない。

 だってさ、なんの脈絡もなく美少女に赤い糸もらったら絶対忘れないでしょ!? 岐阜県に隕石落ちて町が吹っ飛んだら忘れないでしょ? しかもその隕石を見て「綺麗だなあ」と感じた記憶は鮮明にあるわけだから、その綺麗だった隕石がたくさんの人を殺したという記憶はきっとグロテスクな思い出として残っているはずで、赤い糸の方はまあ受け入れてもいいけど、隕石事件に関する記憶喪失は本当に擁護不能。

 

2,入れ替わり時の日記はなぜ消えた

 また、人格が入れ替わっている間の記憶が無いという問題に対して、主人公とヒロインがどう対処したのかを見てみたい。二人は、スマートフォンを用いて日記を記録し、それをお互いが参照することによって記憶の消滅に対処するという、極めて古典的な手法を取った。ここまでは別に良い。が、この手法は映画の前半では成立するのに、後半からは成立しなくなる。なんの説明も無くそうなる。前半部分におけるスマートフォンコミュニケーションがコミカルで、かつ、なぜか極めて円滑に進んでいた分、その蓄積が一瞬で消え去るのは謎感が高い。説明が無いので、二人のコミュニケーション手段を、後半部の急展開を支えるために作劇上の都合で奪ったかのようにも見えてしまう。もうちょっと簡単に言うとすごくご都合主義っぽい。

 もちろんこの件についての説明は、恐ろしく好意的な立場を取れば「ある」ことになる。つまり、コミュニケーション手法の成立/不成立を分けるのは、ヒロインが2013年の人物で、すでに死んでいるという事実を知る(確信する、かな?)瞬間なので、まあ、「あの子と共有できていたと思っていた時間は、実はそうでなかった」と判明する瞬間に、ヒロインと共有できていた記録もまた消えてしまう……とか。分からなくはないし、ちゃんとそう言ってくれれば私は受け入れると思う。とはいえ、もしこういう理屈なら、スマートフォンの電子データの方が残って、一方人間の記憶が消えてしまい、主人公はスマホの文字列を見て「なんだこれ? キモ」となる方が作劇として自然だとは思うのだが、この映画だと逆になっている。このポイントが最高に謎。記憶問題に対して、電子データで対抗するという前半部分の文法が、ここでぶっ壊れてしまう。というか、単に壊れるだけなら、新しい解決策を模索するんだ!で話は終わるのだが、この映画の場合壊し方が中途半端なので謎なのである。つまり、記録としての電子データが儚く消える一方で、主人公がヒロインの中に入っていた時の記憶はチェリーピック的に消えたり強化されたりする。突然ヒロインの名前は忘れるが、聖地の場所は鮮明に覚えている。記憶という最も重要といってもいい要素の扱いが雑すぎる。

 

3,赤い糸の使われ方

 しかし踏みとどまって、もう一度好意的な解釈を試みよう。記憶が部分的にであれ維持されたのは、主人公とヒロインとの間にあった赤い糸という紐帯のおかげなのだ。あの赤い糸というアイテムのおかげで、主人公とヒロインは部分的にとはいえつながっていられたのだ、と。

 しかし、主人公の身につけた赤い糸一つとっても、やはり情報の出し方があまりうまくないと思う。なぜ失敗しているように感じられるかというと、この映画では赤い糸という1つのアイテムに対し、2つの機能を付加しているからである。2つの機能とはすなわち、「主人公とヒロインの心理的つながりを示す」象徴的なアイテムとしての機能と、「主人公とヒロインを物理的につなげてしまう」という純機能的な側面の2つに分けることができる。そして映画にはおいては普通、アイテムの持っている機能に応じて、その紹介方法は異なる。故に情報の出し方がちぐはぐになってるのではないかと思う。

 

 アイテムの役割でも一番わかりやすいのは、主人公とヒロインの心理的紐帯を示す象徴、というものだ。本作の赤い糸は、明確にそういう側面も持っている。そして、こういう役割を持つアイテムの紹介は、「説明は最初にガッツリ、後は一切説明しない」が基本だ。

 ヒロインとのつながりを示すアイテムを要所要所で何気なく映す手法は、映画においては普遍的に見られるものであって、それは別にいい。でもこの手法がもしうまく機能するとすれば、それは映画の最初に、そのアイテムの背景が丁寧に説明されるからだ。そしてこの手法をとる場合、いったん説明を終えたら、あとはそのアイテムに一切言及するべきではない。なぜなら、ヒロインからもらったアイテムを身につけるという行為の裏には、当然、主人公の意図や気持ち(ようはヒロインのことを大事にしたいという気持ち)があるわけで、それはおおっぴらに説明されるべきではないからだ。この場合、何気なさがすべてである。説明描写っぽい露骨さの無い絵を撮ることが大事。ちゃっかりアイテムを装備している主人公を見せることで、「あ、こいつったら! ちゃっかりヒロインのこと大事にしてんだな」ということが何気なく視聴者に伝わるわけである。主人公のニクい意図を、作中の人物は知りようが無いけど、最初にちゃんと説明されている視聴者だけが理解できる。だからオイシイ。繰り返すが、紐帯系のアイテムの装備、という行為の裏には、主人公の意図が無いとオイシくない。

 「君の名は。」の場合を見てみよう。 赤い糸は、主人公がヒロインからもらったアイテムで、かつプロット上の機能もたくさんある超重要アイテムである。その名が示す通り、主人公とヒロインをつなげてくれるものなのだ。実際、赤い糸に関する情報は映画の要所要所で示されていく。エピローグのシーンと、主人公が何気なく装備しているシーンと、ヒロイン祖母らによる生産シーンおよび説明シーン、そして、最後の再開シーン、という形で整理できるだろう。

 ところが、「君の名は。」は、最初にアイテムの説明をしない。というか、中途半端に情報を出す。ほぼ視聴覚的な効果だけで赤い糸というアイテムの重要性を説明しようとしているだけでなく、ヒロインから糸を渡されるシーンがとても短い。映画の最初に数秒流れるだけなのだ。

 そういう説明不足の上に、主人公が糸を身に着けているシーンだけが何気なく映されていく。しかも身につけている理由が「なんとなく」以上のものではないし、誰からもらったものなのかという、アイテムの重要な背景についての記憶も曖昧だ。だから正直、主人公が超重要アイテムの赤い糸を装備している動機が不明である。単に動機がわからないだけでなく、アイテムの装備という行為の裏に主人公の意図や気持ちが全く存在しないので、何気なく赤い糸を装備しているシーンは、演出として成立していないと思う。視聴者としては、「あ、なんかつけてるな。なんかの伏線なんだろうな」以上の感想は抱きようがない。

 もちろん、「重要でないと思われていたけど、要所要所で登場していたアイテムが実は重要だった」という話の作り方もある。が、もしその路線を行きたいなら、アイテムの重要性は徹底的に秘匿してくれないと、これまた演出として成立しない。間違っても映画の最初に数秒ほのめかしシーンを出したり、おばあさんキャラに糸の機能(時間が云々かんぬん)を直接的に説明させたりしちゃ駄目だろという。

「災害」問題へのつながりで

 ところで、赤い糸の役割その2は、主人公とヒロインを物理的に(時間的に)つなげることだ。つまり、ストーリーを進めるための、具体的には、隕石の落下前に未来の情報をヒロインに伝えるための道具として、赤い糸がある。

 が、この作品はなぜか回りくどいことをしている。なぜなら、ヒロインに情報を伝えるためのキーアイテムとしてならば、「口噛み酒」というものが既にあるからだ。まず「口噛み酒」でヒロインと主人公を近づけ、そこでさらに「赤い糸」を追加使用することで二人を再会させる、という迂遠な方法がなぜ必要なのだ? 普通に考えれば、口噛み酒は必要ではなく、赤い糸一本で話を作った方がよい。この映画は基本的にどんな現象であれ理屈の説明を放棄しているので、細かい設定なんて視聴者的にはあってもなくても同じであり、赤い糸一本でせめた方が、分かりやすいだけでなく、ロマンチックでもあるし、いいことづくめじゃないか。もう再会の見込みが一切無い二人が、赤い糸のおかげで再会した……ええやん! 

 繰り返すと、「口噛み酒いらなくね?」という話を私はしたい*3。というかもっと言うと、再会シーンいらなくね??

 

4,「災害」的モチーフの卑怯さ

  どういう話をしたいかというと、「再開」シーンで二人が会う、物語上の必要性薄くね!? という話をしたい。

 まず、この作品のメッセージはこうだ。避難を成功させるために必要なのは、自治体の持っているリソースであって、運命の人との再会でもないし、少年少女たちの講じる小細工でもない。ここがこの映画の最大にダサいというか、キモいタイプの保守性が溢れ出てるところだと思う。これで青春映画と銘打ってんだから笑っちゃう。いや、何が言いたいかって、この映画は、主人公とヒロインの感動的再開と、避難という問題を、故意に分離している。それは「避難」という問題が、ポスト震災の2016年においては政治化して汚されてしまったからなんだけど、だから、分けたい気持ちすごく分かるんだけど、でもそこにがっつり切り込む勇気がないなら、そこで尻込みして保守性を発揮しちゃうなら、だったら、最初から「災害」モチーフ出すなよって強く思う。

 もちろん、私が使った「分離」という言葉は程度に関する概念であって、再会と「災害」は、ゆるく関連はしている。隕石が降ってくるという情報をヒロインが獲得するために、主人公は存在として必要だったのはそうなのだが、でもさ、せめて口で直接伝えろよ! 隕石来るから今すぐ行動を起こせ! 作戦は立てといた! 生き残って、今度はちゃんと再開しよう! ってさ、まずそこから入れよ! ストーリーの積み重ね的に、そうあるべきだろ! という……。

  主人公とヒロインの再開シーンのおかげで避難成功! とするのが自然だと思うのだが、素直に映像を見れば、ヒロインはあくまで視覚的な情報によって隕石のことを知ったのである。ただもちろん、ここは判断が難しい。自転車ぶっ壊れたみたいな瑣末な情報を三葉が持っていることから考えて、カメラが周ってない、カットされている瞬間に実は主人公からいろいろ説明があったのかもしれない。が、ああいう決定的シーンは普通長回しでカメラに収めるもんではないか……。だから、多分映像がすべてだと思う。ヒロインが主人公からもらったのは、「すきだ」だけなの、いやそういうの好きなんだけど、二人の会話が避難との関連性ゼロなのは話としてやっぱりおかしいでしょ。

 つまり、なぜ「口噛み酒」が必要だったかというと、避難問題を再会シーンにもちこまないためなのだと思う。「口噛み酒」の効果だけで、一応隕石情報はヒロインに入るからだ。そしてそのおかげで、再会シーンでは隕石の話をしなくて済むのである。

 これをどう考えるか。もちろん、「二人の再会は神聖だから汚しちゃだめ」とも言える。そういう意見は全然筋が通ってるとは思う。でも私は、この分離はやっぱり卑怯だと思う。

 実際、もし制作陣にもう少し気合が入ってれば、「主人公とヒロインの愛が、震災から町を救った!」的な筋をもっと全面に押し出してたはずである。でもこの点に関して制作陣は徹底的に日和ってて、避難作戦中にヒロインが「私あの人が……」みたいな訳のわからんことを言い出す時、坊主少年が「いみわからん」と諌めるみたいな展開をちゃんと入れてる。人の生き死にがかかってる時に、恋愛とかアホでしょ……っていう基本的道徳の前に、この映画は完全降伏してる*4。いや、そうじゃない! 愛が描かれてる! と思う人も多いと思うけど、でも、最終的に避難の成功と失敗を分けたのは、少年少女が弄する小細工でもないし、主人公とヒロインの再会でもなければ、むしろヒロインとその父との和解になってる。父娘関係の和解に物語のピークを持ってくるって、センスとしてオッサンすぎるだろ! 青春バカにすんな! こういうオチなんだったら、映画の前半と後半のつなながりはほぼゼロと言ってもいい。 

 しかもこの映画、「キレる娘」「暴力的な娘」では父を説得できない、とワザワザ主人公を使って明示的に示しているので*5、娘による父の説得は、父の妻一筋っぽいキャラから考えると、「わたしは我が娘三葉の中に、若き二葉*6を見出したぞ!!」っぽい感じのアレだったと容易に予想がつき、ちゃんとカメラに映さない分キモさというか密輸感が倍増でやばい。いや、実際どうやってパパを説得したか見せてみろよと言いたい。絶対、キモっ! ってなる方法だから。つーかついでに言うが、パパが元民俗学者みたいな設定もさ! 民俗学者が現地人妻と結婚するとか、ちょっと安易というか露骨すぎやしないか。いや……異世界とか過去日本でオリエンタリズムやる分にゃいいけど、現代日本の岐阜県相手にオリエンタリズム発揮すんなよっていう*7

 

 

・キャラ面

 サブキャラの扱いがあまりに雑すぎるのは本当にそうで、でも、一番やばいのはヒロインの扱いだと思う。

 

1、岐阜編のサブキャラの掘り下げが甘い

 この映画は、前半の「男女入れ替わりパート」と後半の「避難パート」に大きく分けることができると思うのだが、避難パートを盛り上げるためには、やっぱりもっと岐阜編のサブキャラ二人を掘り下げる必要があったと思う。逆に言えば、岐阜編のキャラ掘り下げが適当なので、少年少女による避難作戦は「失敗ありき」なんだろうなあというのが一発で分かってしまう。

 一応、坊主の少年の方は家の仕事で爆発物に対する知識があるとか、あと一瞬写る部屋のインテリア的に無線とかオーディオ好きっていうのが分かるんだが、それだって分量として少なすぎるし、ツインテの少女の放送部設定に至っては、本当になんの脈絡もなく突然出てくる。いや……そんなんじゃ盛り上がらんわ! サブキャラの便利屋感がやばい。で、そこは盛り上げる気が無いんだから別にいいんだよ、と当然言えるんだけど、前述の通り、少年少女たちの小細工より自治体のリソースの方が強いみたいなしょうもないリアリティを唐突に出す意味って、そうしておきながら青春映画を名乗る意味って、一体なんですか? って聞きたいよ。

2、先輩キャラの謎、メガネキャラの謎

 この先輩キャラいるか……? 「秒速5センチメートル」におけるヒロイン的な存在なんだろうけど(すなわち、「リアル」なオンナとはこういうものだ的な)、このキャラに対する主人公の心理的コミットがほぼ描かれないというか、切実さが皆無なので、別にこのキャラが何をどうしようがどうでもいいけど……? となる。HOT()なオンナです、以上。もちろんヒロインは先輩に対して嫉妬に近い感情を持つのだが、主人公の方が全然揺れてないから、こっちの感情も揺れようがないだろうという。
 個人的にはこのキャラがタバコ吸うのは浅はかというか、事実上のキャラ掘り下げ放棄というくらい安易だなと思ったけど、それより違和感あったのはメガネキャラが「あ、タバコ吸うんですね」とかツッコミを入れ出すことだよ! 2016年の東京でドキドキ高校生ライフ送ってるやつが「オンナはタバコを吸わない」とかいう謎の発想を持ってるわけがないだろ……。仮に持ってても、あんな質問をするのは普通に「ダサい」行為に分類されると思うのだが……というわけで喫煙シーンはいろいろ失笑モノ。マジでオッサンすぎ。いや、オッサン的であることは全く問題無いんだけど、一人のオッサンとして、オッサン性っていうのはこういうところでポロって出るんだな……という怖さを学んだ。

 

3、ヒロインの三葉さん

 さて、やっとここまでこれた。私は三葉さんというメインヒロインについて考えるためにこの記事を書いたのである。ここからが本題。

 このキャラ、保守派のためのヒロインである。すなわち、田舎娘である。古き良き伝統に対して口では「きらい~~」とか曰いながら、ちゃんとおばあちゃんと一緒にクッソ退屈な紐づくりをする。プライベートな時間に裁縫*8をやってる女子高生とかやばいな。また、巫女業をやっていることからも明らかなように、100%処女。しかも伝統事業と称して、「お前さ、人前で、口から唾液混じりの米を吐き出して酒つくれや」などと無茶振りされても、恥ずかしいと思いながらも(ここ重要)、従順に従う。しかも自分をインターネットで「ウリ」に出すことに対しては「はしたない」みたいな理由で自発的な拒絶反応を示す。そして何よりも重要な点として、童貞男子を裏切らない……とまあ、正直ここまで愚直に「田舎の純情娘」で来られると、なんと反応したらいいのか困ってしまうくらいである。

 が、我々が問うべき問題はこうである。すなわち、三葉さんは「秒速5センチメートル」の明里さんに対するオルタナティブ足りえるのか、という問題だ。私の結論を先取りすれば、この問に対する答えはNO、である。三葉さんは、残念ながら明里さんのオルタナティブではない。

 まず、明里さんがなぜ良かっ「た」かについて考えたい。「秒速5センチメートル」という作品は、私見だが、最後に曲がかかるシーンがおもしろい映画だ。このシーンで、「女はクソ」という極めてストレートなメッセージが童貞的鬱屈と一緒に示されるので、見ていて気持ちいいのである。繰り返すが、これは私見である。あえてフェミニストっぽい言葉遣いをすると、秒速は、ミソジニー的だからおもしろい。

 しかし2016年に生きる童貞はフェミニズムを織り込んでいるため、ミソジニー的主張の上にあぐらをかいているわけにはいかない。もうちょっと本音ベースで書くと、ようは、今「オトコは名前をつけて保存、オンナは上から保存」「これだからオンナは」とか言っても、全くつまらないし、知的潮流からは置いて行かれるだけだし、したがって、そういう発言と童貞性を結びつけておくのは、純粋に危険なのである。なぜなら、童貞とはつまらない人間を指す言葉ではないからだ。童貞とは「コアに居座る逸脱者」であり、「秩序を守ることによってそれをかき乱す」という極めてトリッキーな存在である。つまり、おもしろい連中なのだ、童貞とは。決して単なる落伍者なのではない。

 日々高まる説明と回収の脅威から逃れるため、童貞たる私はその思想と求めるヒロイン像*9を常に更新し続けなくてはならない。この童貞による童貞のためにムーブメントにおいて、私は正直なところ新海誠監督にかなり強い期待を抱いていた。新しいヒロインを提示してくれることを、というよりは、明里さんを超えるファンキーなヒロインが登場することを期待していたのだ。

 では、「君の名は。」における三葉さんはいかにして私の期待に答えたのか。答えは、残念ながら「退屈」という二文字において、である。はっきり言って、三葉さんというキャラクターには何の新規性もない。というか、全体的に保守性の塊みたいなテイストの作品で、ヒロインがここまで保守派向けだと、作品全体のイメージがまっ平らなのっぺらぼうという感じで、なめてんのかこりゃ、となる。こんなポルノにはもう飽き飽きなだよ!

 一人の童貞として宣言するが、私は三葉さんを拒絶する。三葉さんがファンタジーの産物であるからダメとか、あるいはハッピーエンドだからダメとかいう話では全然ない。単に、退屈でつまらないから受け入れないというだけである。はっきり言っておくが、2016年に暮らす童貞は、こういう風に田舎の純情娘を見せられても喜びません!!! 童貞を落したければ、時代の最先端を征くヒロインを連れて来い! これこそが私のメッセージである。新海誠なんてほっといて、カビ臭いペンキがべっとり塗られたくだらんキャンパスなんて打ち捨てて、我々は前に進もう。あの空の、あるいはあの森の、はたまたあの街の向こう側にいる、まだ見ぬ、いや、「まだ名前を知らない」ヒロインに出会うために!

*1:

 バルト9に向かう途中、ちょうどJTBやら伊勢丹やら赤い銀行やらがある大きな交差点で信号待ちをしていると、突然、日傘とサングラスを装備したクールな通行人から「この辺詳しいですか?」と話しかけられた。「あ……うぇっと」みたいなオドオドっぷりを発揮していたら、「バルト9ってどこかわかります?」と聞かれた。これから向かう場所だし、それこそバルト9のすぐ近くで聞かれたので(1区画先がバルト9だ)、道順を教えるという基礎会話プロトコルを持たない私は「えーと、すぐ近くですよ。私も行くんでお送りしましょうか」と言ってしまった(ああ!)。

 が、相手が露骨に迷惑そうな表情を作るやいなや(訂正。正しくは、相手の反応を確認する前に、である。再訂正。実際、相手は「あ! ひょっとしてあなたも舞台挨拶目当ての方ですか!」と笑顔で聞いてきた)、私は自分の発言がなんと恐れ多かったのかと後悔しはじめ、自分を呪い、いきなり方針を転換し、唐突にその場所からバルト9までの道のりを説明しはじめた。「マルイの向こう側にあるビルの上の方です」。

 脈絡の無い、拙い説明を聞かされた相手は、しかし「ありがとうございました!」と笑顔で私にお礼を述べると、私からかなり離れた場所に陣取って信号を待ち始めた(この配慮は本当にありがたかった)。信号が変わると、そのクールな通行人は早足でバルト9方面に向かった。私はその10メートルほど後ろをトボトボと歩いて行った。

 ところがである。テンパっていた私は、緊張のあまり脳みそが初期化されていたので、道を尋ねられた地点からバルト9への道のりではなく、新宿駅東口地点からバルト9への道筋を相手に教えてしまった(馬鹿め)! 端的に言うと、私は一区画ズレた道案内をしてしまったのだ。なので、私は10メートル後ろから、かのクールな通行人がスマホとにらめっこをしながら、私の説明を信じ(ああ)、バルト9を素通りして、世界堂まで歩いて行ってしまったのを、ただ無力感を胸に抱きながら眺めるしかなかった。

 しかし……私にどんな選択肢があったというのだろうか。まさか、走ってその通行人のところまで行って、不躾にも話しかけ、「はあ……はあ……あの! ボクが間違っていました! ……ボクが間違っていたんです!!」とか言えばよかったのだろうか? 冗談じゃない! そんな行為が許されるのは新宿が舞台のアニメ映画、例えば……そう、新海誠監督のアニメ映画の中だけなんだ!

 という事件があって辛かったのさ……

*2:

 

 

新海誠「君の名は。」に抱く違和感 過去作の価値観を全否定している - Excite Bit コネタ(1/7)

 

 

 

 

 

ohrmsk.hateblo.jp

 

 

 

 

 

tiger3.hatenablog.com

 

 

 

anond.hatelabo.jp

*3:たしかにエロいポイントではある。でも、聞くが、伝統事業とかいう名目で少女にエロいことさせるためだけにアイテムを導入する映画があったら、それはただのセクハラであって、間違っても青春映画ではないだろうと思う。

*4:しかもそういう保守性の裏側で、花火みたいな派手で綺麗なものとして「災害」を描いている。こういう批判の仕方は嫌いだけど(だから脚注でやるんだが)、「災害」のスタイリッシュな使い方は、普通に道徳的問題があると思う。いわゆる「不謹慎」というのは、こういうのを叩くためにある。もちろん、私は不謹慎を持ちだして創作を叩くのが馬鹿げているとは思うのだが、絶賛の嵐なので、あえて宣言するものである。「君の名は。」における「災害」の描き方は、不謹慎だと思う。

*5:このメッセージもなあ……他の要素が説明不足なので、そっちの尺削ってまでやる必要あるか~~~??となる。けど、こういう主張をちゃっかりやるあたりに保守性が出てて、キモい。言っておきますが、もっと正々堂々と家父長制度の復活を掲げるなら、話は違ってくるんだが、この映画はそういう保守派っぽいメッセージを隠蔽してるから、私はそこがダメ。

*6:ママンの名前である

*7:まあ変なこと言うけど、災害にはオールジャパンで対抗するのが筋。東京を救う話と岐阜の田舎町を救う話、質的に同じであるべきだろ。なんの話とは言わないけどさ

*8:三葉さんがやってたのは、針を使ってないので、厳密には裁縫と言わんのだろうが

*9:ここまで言っといてまだヒロインを必要とするのか……と呆れる方もいるだろうが、ヒロイン概念抜きの童貞など成立しない

社会派なのに、優しい世界のファンタジー 「シング・ストリート 未来へのうた」


「シング・ストリート 未来へのうた」予告編

 

 有楽町のトラスト映画館で。滑り込みでなんとか見れた。係員の人に「水曜日なので1100円です」と言われたので、別に狙ったわけではないが「それはラッキーでした」みたいな返し方をしたら笑ってもらえた。なんかいい雰囲気だった。

 

 ダブリン映画。80年代の大不況、カソリック的道徳、荒れた学校、そして田舎の閉塞感。そういった諸々に押しつぶされそうになりながらも、しかし少年たちが音楽を糧に生きていこうとする青春映画。個人的にとてもよかったと思える一本。

 

 基本的な空気は男版「けいおん!」だと思う。少年たちの結成するバンド「シングストリート」は、かなりゆるくて、メンバー全員が可愛くて、しかも妙な連帯をメンバーに要求しない。そのリラックス感がすごくいい。いや、そもそもバンドは妙な連帯感を要求するものではないと言われればその通り。しかしこの映画はかなり社会派的な筋もあって、主人公たちは崩壊しかけの家庭環境・経済環境・学校環境からの逃避として音楽をやっている側面も強くある。だから、例えばヤンキーモノや暴走族モノに見られるように、一歩間違えば「はみ出し者同士の連帯」(強力かつ排他的でなくてはならない)が要求されてしまっても全く不思議ではない。が、この映画では、アイルランド社会の崩壊っぷりはある程度自然に描いているのに対して、少年少女たちに関しては優しい世界モデルが適用されているので、彼ら彼女らはそんなに本当の意味でスれてなくて、したがってバンドという連帯に対してはあまり悲惨な負荷はかからない。言葉通りの意味でクィア的というか、「なんかよくわからん連中がワラワラ集まってる」程度の負荷になってて、でもそこのおかげで可愛い感じにまとまっているという。まさにこのあたりが「けいおん!」っぽい感じ。本人たちもおもいっきり中学二年生なので、もちろんあまり賢明ではなくて、端的に言えば浅はかでアホなのだが、でもそういう幼さを全面に出してるおかげで、何をやってもいやらしさが全く無いからいいよねっていう。

 

 バンド映画なので、主人公たちは音楽を作って演奏しながら成長していく。主人公は80年台の音楽スター(デュランデュランとかザ・キュアーとか)にあこがれて、そこに近づこう、自分たちのサウンドを作ろうとするんだけど、そういった音楽スターの影響下で創作しました、というのが明確に分かるような曲とPVばかり量産していて、まあ言ってしまえばスターのパクリをしてるだけなのだが、前述のようにバンドメンバーは皆可愛いので、そういう浅はかさの裏にあざとさが見え隠れするというのが無くて、平和な心で萌えることができる。それに数曲作るうちにオリジナリティも出てくるから、最初の丸パク展開が、主人公たちの成長を示すための布石になっていて、そこも中々うまい。ただそういう創作の努力の途中途中で、崩壊した家庭環境とか、イエズス会よりもさらに過激なカソリック主義者の先生などの外部勢力が、主人公たちのメンタルをグサグサと攻撃してくるので、そういうシーンはやっぱり辛くなる。世界に打って出るぜみたいなテンションの若者を、田舎的閉塞感が包囲しにかかる感じ。社会のヤバさに比べ(こちらは自然に描かれている)、子供たちが優しい世界すぎるので(完全なファンタジーである)、そのギャップはほとんどグロテスクというべきレベルになっていて、まあそのおかげで少年たちの力強さとか、あるいは青春特有のどうしようもなさみたいなものはうまく描写できてるとは思うんだが、ややバランスが悪いなという感想もやっぱりある。とはいえ自然的な描写とファンタジー描写を混ぜあわせるのはジョン・カーニー監督の持ち芸なので、映画としてはうまい具合にまとめられているから、まあいいんだけど。*1

 

 バンド映画なので、主人公たちは音楽を通して成長してくのだが、成長との兼ね合いで言うと、やはり一番おもしろいのはヒロインと主人公の関係だろう。一般的な青春映画というものは、夢、男、オンナという三要素から成立している()。すなわち、ある夢を男が追求するが、途中で挫折してしまう。しかしこのタイミングでオンナが登場して(最初からいるかもしれないが)、「頑張って〇〇くん!」と応援することによって、男はもう一度立ち上がり、夢に向かって走りだすor夢を叶えるのである。さて。この一般的なモデルに基づいた映画を2016年に見せられると、いかに保守的な私でもさすがに「勘弁しろ……たのむから」とゲンナリする。よって、青春映画を評価する際には、この一般的なモデルからどの程度乖離しているか、新しいモデルを示すアイディアと工夫がどの程度あるのか、という点が基本的な評価軸となる。そういう筋で「シングストリート」を評価すると、ちょっとおもしろい工夫が見られる。この映画では、ラフィナ(ヒロイン)はロンドンでモデルになるという夢を持っている。そして主人公は音楽PVを作るという目標を持っていて、そこに、二人が共闘体制を取る契機がある。主人公はラフィナをPVのモデルにしようと提案し、モデル志望のラフィナはその話に飛びつく……という仕組み。つまりヒロインも夢を持っているのだ*2。この時点で一般的モデルと乖離していていい感じなのだが、一番の工夫は後半部にある。主人公の作曲クオリティがどんどん上がるにつれて、彼の作る曲はどんどんラフィナの心に突き刺さるようになっていくのだが、そんな主人公の曲が、一旦は夢破れ自暴自棄になってしまったかと思われたラフィナの心を奮い立たせ、夢に向かってもう一度がんばろうという気にさせるのだ。ここは、ライブシーンでマイクを持って歌う主人公と、誰もいない夜の公園で主人公から渡されたカセットで曲を聞くラフィナを交互に映すカメラワークになっていて、曲が進むに連れて主人公の思いが高まり、そしてラフィナがパワーを取り戻していく様子がありありと描写されており、すごく良いくて、かつ工夫とアイディアがあって、個人的にかなり気に入ったシーンだった。反動パワー(と言っていいか微妙だが)がメラメラと燃え上がって、一度徹底的に打ちのめされた人間がもう一度立ち上がる展開が大好きなのだが、そういうシーンにリアリティを与えるためには、普通、徹底的に落ちぶれ描写をやる、という方法が必要になってしまって、中盤ダレやすいという弱点がある。しかし、「シングストリート」は優しい世界映画なので、落ちぶれ描写をダラダラやったりせずに、ほとばしるエネルギーだけで勝負していて、青春映画でしかできない展開だなあとは思うのだが、わりと成功していたんじゃないかと思う。

 

 最後に面白かった点。この映画、夫婦関係の描写がめっちゃコミカルでおもしろい。舞台はダブリンなので、カソリック道徳が支配的で、故に、夫婦関係が終わっていても離婚できないという背景があり、主人公の両親も別れられずにしょっちゅう破滅的な喧嘩をする。この両親の喧嘩を、子どもたちが部屋で怯えながら聞くシーンはグサリと来る。喧嘩の声をかき消すために、音楽(!)を大音量でかけ、子どもたちが部屋で手をつないでダンスし始めるようなシーンに至っては、社会派的描写と優しい世界ファンタジー描写のギャップが最高潮に達して、グロいんだが、心には刺さるシーンになっている。さて、この両親だが、喧嘩が済むと今度はケロリとして子どもたちを呼びつけ、夫婦間交渉による決定事項を淡々と伝え始める。このシーンはなんとなく議会や小委員会の問答めいていて、冷えきった夫婦関係だからこそ可能な事務手続き感があって、笑ってはいけないのだが、どうしても「お前らさっきまで喧嘩してただろww」的なツッコミを心の中でしてしまう。パパ役がゲースロのベイリッシュ公の人なので、キャラ的にさもありなんという感じでウケてしまうのだが。

 

*1:ただまあ、社会派的筋を押し出してる作品は、話をファンタジーで終わらせず、ある程度リアルな着地点を示す義務があるんだ、という謎の信仰を私は持っている。これは「非リア向け作品のくせにお前ら全然非リアじゃないじゃん!非アリ問題を持ちだして非リアを釣っといて、中身は全編ファンタジーのリア充芸かよ!全員死んでくれ!!」というあまり一般的でないキレ方をする人々向けの信仰なので、まあ普遍性とかなんにもないんだが、とにかくそういう信仰は存在する。その兼ね合いでいうと、やっぱりこの監督のやる自然×ファンタジーの組み合わせは、ちょっと問題がある。ファンタジーの方を主として見て、自然的描写はフレーバーだよっていう立場で見れば全然いいんだけど、社会派というか自然的描写の方を主だと思っちゃうと、社会問題をファンタジー的に解決しているかのような映画としても普通に見れるわけで、そこにある種の無責任さみたいなものを感じてしまう人もいるんだろうなとは思う。例えば最後に主人公はバンドメンバーを「捨てて」彼女と一緒に英国に渡るのだが、そういうのに対して「バンドメンバーに対する裏切りだ!」「こいつは女のために音楽やってるだけ」みたいな評価を下す感想が結構あって、まあ気持ちは分かるんだけど、この監督は基本ファンタジーをやりたいんであって、ファンタジー的優しい世界では、ホモソっぽい連帯とか辛さに心を犯されたキャラが存在する余地なんて無いわけで、そういう問題は一旦おいて、優しい世界を楽しもうぜ? という理解をした方が多分建設的なんだろうなと思う。とはいえ、キレてる人たちの言い分も間違ってはいないのは確かである、とここで一応宣言しておく必要はあると思うので、ここで宣言しておくものである

*2:もちろん、昨今は男女平等の観点から、ヒロインも夢を持っている自立した女性であること自体は多いのだが、それで失敗している作品も結構ある。夢を持った野心的女性の描き方が下手くそだったり、いかにも取ってつけたような感じになっていて、逆にそれが「はいはい配慮しましたよこれでいいだろ」という言外の主張になっているように見えてしまって、誰も幸せになっていないじゃん……みたいなことはある。

結婚式に行ってきたようです

・このブログ記事はフィクションです。

・無意識のうちに筆者の過去の経験が反映されるのを防ぐため、作中に登場する数値は、整合性が保たれる範囲で全てランダムなものに置き換えられています。

 

 

1

 ある土曜日の朝である。真夏なのに閉め切られた1Kの狭苦しい部屋に、布団が一枚敷かれていた。部屋にある他の家具と言えば、机と椅子、そしてゴミ箱に読書灯くらいなもの。そんな部屋の真ん中で、独男は目を覚ました。むっくりと布団から起き上がり、枕元にあるスペースに手を伸ばす。様々な書類が乱雑にまとめられているスペースだ。すぐ手が届くので、独男にとって重要な書類が全て集約されている。生活費関係、それに官公庁への提出書類など、全てだ。あるいは集約されているというより、散らかっていると言った方が適切か。

 書類の山から彼が掴んだのは、結婚式の招待状である。差出人は大学時代の友人、Sだ。より厳密にいえば、Sと、そのお相手。

(‘A`)「やべえな……いよいよ今日か」

 が、せっかく掴みあげたのに、招待状が入った封筒を独男は弱々しく離してしまった。一応開封はしてあるが、まだ招待状をしっかりと読んだことはない。彼にとって結婚式の招待状という書類は、とても直視できるような性質のものではなかった。例えれば、もぐらにとっての太陽のようなものだ。

 (‘A`)「今5時か……最近良く眠れねーんだよな。とりあえず、二度寝か」

 独男はまた布団に入った。左足のつま先を使って、足元にある扇風機に電源を入れた。強さは中、タイマーは二時間。それから自分を慰めた。自慰行為には問題を相対化する力がある。独男はそう信じている。とはいえ同時に、その力もセックスほどではないんだろうなと確信してもいる。

 

 二度寝を3回ほど繰り返した後、独男はついに目を覚ますことにした。つまり、本日合計四回もあった起床との出会いの中から、本命となる起床を選びとったというわけだ。一般に本命という言葉は「本命チョコ」「彼が本命なの」などと、恋愛の領域において使用されるわけではあるが、だからといって六畳間という小さな王国で本命という言葉を使ってはいけない、などということがあろうか。俺はお前を選んでやったぞ、四度目の起床よ。独男は今度こそ起き上がった。

(‘A`)「とりあえず風呂……か」

 時間はすでに10時を少しまわっていた。

 

 独男は毎日1時間ほど風呂に入る男だ。もちろん、立派なユニットバスがあるわけではない。部屋に添えつけてあるのは平凡なバストイレ一体型の惨めな浴槽なのだが、とはいえ、入浴にもまた問題を相対化する力がある。これもまた独男の信念なのだった。入浴が自慰行為よりも優れている点は、と独男は狭い浴槽につかりながら独りごちた。なんと言っても体力を消耗しないってことだな。1回抜いてしまうと、2時間は寝ないと回復しないからな……。

 とはいえ、自慰行為にしろ入浴にしろ、独男の内的な問題を相対化するのには役立つのかもしれないが、だからといって、独男と世界の両方に関わる問題までも相対化してくれるわけではない。独男と世界の両方に関わる問題。すなわち、式の開始時間。その正確な時間を、まだ独男は知らない。おぼろげに、「2時ごろ」「らしい」という記憶があるばかりなのだ。

 

 入浴を終えた独男はスーツに着替えると、椅子に深々と座り込んで、歯ブラシを口に突っ込みながら机の上の招待状と相対していた。

(‘A`)「ビビるなんて馬鹿げてる。招待状とはいえ、たかが紙にすぎねえ」

 たかが紙にすぎないのだが、この巨大な社会においては紙こそが全て。紙こそが管理者、紙こそが神。独男はそううそぶいた。

(‘A`)「紙こそが神なんだ……」

 独男はそう独りごちながら、部屋の壁にたてかけてあったかばんを引っ張った。招待状を開くという仕事はあまりにも困難であったため、それは後回しにして、彼は迂回路を通ることにした。

 まず、ご祝儀を包んでしまおう。招待状を見るのは、それからでいい。独男は3万円が入った封筒をカバンから取り出した。

(‘A`)「新社会人に3万円はつらかろう。だが、昨日フェイスブックでゼミの人に金額聞いといたからな。やっぱみんな3万円らしい。さすがに人並みには出しとかねーと」

 実際、3万円は大きい。だが金額の多寡よりも問題となるのは、新札の調達だった。新札を調達する方法はいくつかあるが、最もオーソドックスなのは銀行窓口での交換である。とはいえ、銀行産業はその成立以来一貫して顧客に対する強力な権力を有しているので、顧客に寄り添うということを知らない。窓口は夕方に閉められてしまう。一体、どうやって銀行を訪れればいいのか? まあ、答えは簡単である。独男は一昨日、昼休みを有効活用することによって、銀行の傲慢さと対決していたのだった。お昼に勤め先を抜け出し、自らの口座がある銀行の窓口で、新札の3万円を引き出した。ゆえに彼の手元にはつやつやとした連番の新札があった。

 この3万円を包むのがご祝儀袋だ。独男は購入済みのご祝儀袋を手に取ると、ビニールをなげやりに破り、中からそっと紙袋を取り出した。

(‘A`)「このご祝儀袋ってやつに名前を書くのか……。お、袋の中にさらに袋があって……ああ、こっちには住所とか金額ね。マトリョーシカみてーだな」

 3万円を銀行の封筒から取り出し、向きに気をつけながらお札を入れていく。「お金の入れ忘れを防ぐために、まず最初にお札を中袋に入れてしまいましょう」とはマナーメモにある記述だ。雑貨屋で40分かけて選んだご祝儀袋には、冠婚葬祭に関するマナー指南メモが添えられていたため、社会常識の無い独男でも、メモ通りに作業すればなんとかご祝儀袋を完成させることができた。

 とはいえ、初めてのことだ。不安だったので、独男は当然ネットでもマナーを調べた。グーグルで検索を行い、すでに紫色に染まった検索結果から、いくつかのQ&A形式のサイトとまとめサイトを改めて訪れ、メモの記述が概ね正しかったことを確認した。彼は少し安心して、コメント欄に目を通した。マナーに対して意識の低い若者と思しき人の投稿が、コメントによって袋叩きにされているようだった。

(‘A`)「なんで冠婚葬祭ってなると」独男はご祝儀袋をかばんに収めながら独りごちた。「みんなこんなにムキになるんだろうな……。こういう儀式は精神的なものであって、形式はあくまで形式にすぎねえ。大事なのは気持ちだ。もし形式で躓いてしまったら、そいつは精神的つながりに加わることができねーなんてさ、偏狭もいいところだ」

 だが、この疑問に対してはピッタリなコメントがあった。

「形式すらしっかりと整えられない人間が、本心だけホンモノっていうのは、典型的な言い訳。心から儀式に参加するつもりがあるなら、自ずから形式も整ってくるはず。外からは判断できない『本心』みたいなのは持ち出すのは卑怯だし、逃げてるだけじゃん」

 まさに俺のことが書いてあったな。このコメ主ほど俺のことを知る人間はいないのではないか。独男はカラカラと笑いながらブラウザを閉じた。

 

 ご祝儀袋は完成され、かばんに収められた。もはや迂回路は残っていない。それに、そろそろ時間の確認をしておきたい。

 覚悟を決める時だった。

(‘A`)「えいや!」

 独男は小さく声をあげ、招待状を開ける。

(‘A`)「ぐわあああ! ここには幸福がある!」

 彼は悶絶しつつ招待状を読み進めた。彼に必要なのは、幸福ではなく事務的な数字なのだ。

(‘A`)「おー。よかったよかった。式は午後3時からだけど、披露宴は午後5時ごろだ。もう一回寝るか。あるいはゲームでもすっか」

 一安心した独男。だが、招待状から小さなカードがぽろりと落ちた。

 拾って読んでみると、式への出席を願うという趣旨。

(‘A`)「え……式も、でんのか……?」

 独男の知識によれば、式は身内だけで行う厳粛なものであって、自分のような人間が出席を許されるような場ではない。Sは仲のよい友人ではあったが、しかし、結婚式に出るほどかというとやはり疑問が残る。自分は「身内」ではない。独男には漠然とそうした意識があった。

 式に参加してほしい、というカードを発見した時、だから、独男は2つの問題をつきつけられる形となった。

 第1の問題は、3時から始まる式に間に合うかという問題。概算しても、ギリギリ、というところだ。急いで出発しなくてはならない。

 第2の問題は、では俺はSとの関係を不当にも軽視していたのだろうか、という問題だ。Sは式に呼ぶべき人間として自分を扱ったのに、俺の方はそうではない。こういった非対称性は、独男にとって極めて不愉快だった。

 そして第2問題は純粋に良心に関わる問題であり、第1問題に比べ、独男にとってははるかに重要だった。彼はまたブラウザを開き、ネットで検索を始めた。もう時間はないからインターネットをしている場合ではない。だが仕事に優先順位をつけるのは、独男の苦手分野だった。

 「結婚式 出席 仲がいい」「結婚式 出席 条件」 ワードを並べ、まとめサイトと質問掲示板をめぐる。

(‘A`)「……あー」独男は独りごちた。「チャペルだからか。チャペルだと、人いっぱい入れるんだ。だから結婚式と披露宴の参加者が一致してるわけか」

 つまり、自分は有象無象の一人でいられたということだ。独男はだいぶ気持ちが楽になったのを感じた。

(‘A`)「だが時間がやべえwww つーか間に合うかこれ?」

 独男は部屋の電気を消した。そして固い革靴に足を滑りこませ、駆け出した。

 

 

2

 グーグル・マップで検索したところによれば、自宅から駅まで20分、駅からホテルの最寄り駅まで40分、そして駅からホテルまでのバスが15分で、目的地までの合計所要時間は1時間と15分。そして現在、集合時間まで残り1時間と30分。15分もの余裕があった。なんとかなる。グーグルの予言通りの所要時間で駅に至った独男は、そう思った。

(‘A`)「あっ……あ~~~!」

 改札の前に立った独男は小さく声を上げた。後ろに並んでいた中年の女性が不愉快そうに独男を睨む。独男は頭を下げて改札ラインから後退した。

(‘A`)「財布わすれた……」

 自身でよく分かっていたことである。だからあえて言うまでもないのだが、これは致命的だった。

(‘A`)「やっべー。ばっかやろう!」

 独男は懸命にかばんの中を漁った。大した財産も無いくせに、独男は4つの銀行口座に自分の貯金を分散してある。だから、4枚のうちの1枚でもキャッシュカードがあれば、いや、お札が1枚入っているだけでも問題は解決する。そもそも必要な交通費は千円程度。完全にゼロかイチか、白か黒かの問題なのだ。

(‘A`)「うわーーー。さいあくだ」

 が、黒だった。ゼロだった。キャッシュカードどころかクレジットカードもない。かばんには小銭1枚なかった。

(‘A`)「帰る……か?」

 自宅と駅を往復するとタイムオーバーだ。

(‘A`)「あー。どうすっか……」

 自分を呪っている時間など無かったはずである。だが、独男はまず自分を呪った。

(‘A`)「俺がこんなミスを犯すのは、やっぱり本心から祝えてないからなのかなあ……俺は心の中で結婚式を呪ってるのか」

 独男は額の汗を拭いながら言った。

(‘A`)「行きたくない……のか、俺は」

 

 彼は一通り絶望した後、いくつかの選択肢を練りだした。

 プランA、これは往復論である。一度帰宅し、財布を取得する。だがこれを選択すると、式には確実に間に合わない。

(‘A`)「うーん。どうにもなんねえ」

 プランBは、Aからの派生計画である。すなわち、どうせ式に出ることができないのなら、バックレるかという発想である。ラインで連絡を入れればよいのではないか? 今日は出席できない。ご祝儀は後で郵送します……と。

(‘A`)「あ……スマホも忘れた。今日のために昨日ちゃんと充電しといたのになー……さすがに、無断欠席はねえな……つーか仮に連絡入れようが、当日に欠席とかさすがに……席を空けちまうのはありえん」

 次のプランに思考が移る。プランCは独男ならではというものだろう。すなわち、誰かから千円を借りる、というものだ。結婚式に遅れそうだ、という理由なら、善良な誰かが千円ほど貸してくれるのではないか? 街ゆく一般市民たち。人々の善良さに賭けることはできないだろうか?

(‘A`)「……そんなコミュ力ねー! 見ず知らずの人から千円借りるとか! ブラック企業の研修かよ!」 

 プランA、B、C、共に破棄せざるを得ないような選択肢である。独男には企画力がなかった。

(‘A`)「やばい! どうすれば!」

 

 

( ^ω^)「落ち着くお、独男」

(‘A`)「……なんだ。またテメエかよ、内藤」

 独男は小さくつぶやいた。

( ^ω^)「よく考えるんだお。独男は何週間も前から結婚式についてググってたはずだお。その情報を組み合わせるんだお。きっと何かいい考えが浮かぶお」

(‘A`)「ググってたのはご祝儀関係だけで……それ以外は全然。チャペルでの結婚式についてだって、今日ギリギリで……」

 独男はかばんの取ってを握りしめた。

(‘A`)「待てよ……そうか! 交通費が一円も無いと思ってたが……金なら、ある!」

 独男はそう言ってかばんを漁り、中からご祝儀袋を取り出した。

(‘A`)「3万だ!」

( ^ω^)「……だお」

 が、独男は大げさに肩を落としながら言った。

(‘A`)「でもこれは……もう包んじまったもんだ。俺の金じゃねえ。Sのもんだ。新郎のもんだ。神聖なもんだ。これを開けるのは嫌だ。手を付けたくねえ」

( ^ω^)「往路に必要な交通費は千円に収まってるお。だから1万円札が崩れても、2万9千円分の札が残るお。それを渡せばいいじゃねーかお。形式より気持ち、それが独男の考えじゃねーのかお」

(‘A`)「駄目だ。結婚式で渡すのは絶対に割り切れない数字じゃなくちゃダメだ。普通3万なんだ。1万円札3枚が必要なんだ」

( ^ω^)「馬鹿かおwww3万は割り切れる数値だおwww2で割って1万5千になるお。3万が割り切れないなら、2万9千円だって十分割り切れない数値じゃねーかおw 謎理論押し付けんなお」

(‘A`)「だまれ。それにな、神聖な結婚式にはな、人の手に渡ってるボロボロの札なんか持ってけねえ。新札が必要なんだよ! この券売機から新札が出てくるか? なわけねえ! ボロボロの札を見たSはなんて思うんだ!?」

( ^ω^)「おっおっ! 独男は結婚式のマナーに詳しいお!」

(‘A`)「……これには、手を付けられない。俺が開けたら汚れちまう。汚れたら、もう渡せねえ。結婚式は全てが神聖でなくちゃいけねえんだ」

( ^ω^)「だけど独男、時間は容赦なく過ぎていくお。時間はお前を待たねーお」

(‘A`)「……」

( ^ω^)「そろそろ、10分経つお。猶予は、もう残り5分。結婚式に出てSを祝ってあげるためには、もう手段は一つしか残ってねーんだお……」

 独男はもう一度、かばんの取っ手を強く握りしめた。カバンから祝儀袋を取り出すと、中から真新しい1万円札を取り出し、それから、券売機に入れた。券売機からは切符と小銭、ボロボロになった千円札9枚が帰ってきた。

 到着より10分遅れで、独男はやっと改札を通過した。

 ホームに折よく到着した電車は、独男を向かい入れると加速を始めた。

 

(‘A`)「あー」

 ガラガラの車内で、だらしなく座席に座る独男がつぶやいた。

( ^ω^)「どったお」

(‘A`)「どっかのサイトで読んだこと思い出した。結婚式会場では普通、新札に両替してくれる人がいるって。ってことは、現地に行って知り合いから千円借りれば、その千円とこの汚ねえ9千円を合わせて、新札の1万円札を錬成できる……ってことじゃね? さすがに大学の知り合い来るし……あんま仲いいわけじゃねーけど、さすがの俺も千円くらいの信用はあるだろうし……ってことはだ」

 独男は大きく溜息をついた。

(‘A`)「とりあえず、新札の3万円は多分揃えられるはずだ。会場にさえつけば、だ」

( ^ω^)「いろいろ調べた知識が活きたお!」

(‘A`)「まあ一度閉じたご祝儀袋を開けたという点に関してはどうしようもないが……」独男はゆっくりと目を閉じた。「とりあえず、新札の3万はどうにかなる。どうにかなれ……」

( ^ω^)「さっきから同じことばっか言ってるお」

(‘A`)「あー。ほんと助かった。そうだ。新札の3万円が手に入りゃあ、とりあえず、最低限は……」

( ^ω^)「しつけえおwww」

 

 数十分が経った後、独男は乗り換えが可能なターミナル駅にやってきた。ここで別の路線へと乗り換え、ホテルの最寄り駅へと向かうのだ。

 独男は早足に電車を降り、乗り換え用の改札へと走った。

(‘A`)「ふあ!」

 が、赤いランプが灯り、独男はまたしても改札で止められてしまった。本日2回目のトラブルだ。駅員が苛ついた様子で言った。乗り換えなら新しく切符を買ってください。しまっと、と独男は肩を落とす。いつもICカードを利用していた彼は、切符の仕様をよく理解していなかった。

(‘A`)「このロスはデカイ……ぞ」

 そもそも5分しか余裕の無い旅路だったのだ。払い戻しを受け、新しい切符を購入しているうちに、独男は乗るはずだった電車を逃した。グーグル・マップの予言は守られなかった。予言とは神からの命令であり、それをないがしろにする人間には、伝統的に、神からのキツイおしおきが加えられてきた。グーグル・マップを裏切った独男の支払う代償もまた、その類のものだ。代償は大きく、致命的である。

 

 一本遅れで乗り換えをこなした独男は、満員電車の手すりにつかまりながら独りごちた。

(‘A`)「やべー。やべー。バス間に合わねーかもしれねーな。ほんとギリギリだ」

( ^ω^)「グーグル・マップによれば、最寄り駅からホテルまでは、バスで15分かかるらしいお。走ったとしても30分以上かかる距離ってことだお」

(‘A`)「バスを逃したら、式に出れねえ。そういうことか」

 そこで独男は一計を案じた。グーグルで最寄り駅名を検索し、グーグル・マップを参照しつつ、駅のホームと出口、そしてバス停の位置関係を下調べする。

(‘A`)「どうやら、ダッシュすればどうにかなる距離ではあるが……」

( ^ω^)「とはいえ、人通りの多さとか、あとは信号、そして道路の混雑状況などの不確定要素が大きいお」

(‘A`)「だが俺は走り抜けて見せるぜ……」

 独男の降りる駅が近づいてきて、電車がホームに滑り込む。独男はドアの前に立ち、頭の中でバス停までの道のりをシミュレートした。

 電車のドアが開く。

(‘A`#)「うおおおお!」

 独男はホームを走り抜けた。右手で持ったカバンが通行人にあたり、うめき声が聞こえてきた。ホームから改札に向かうエレベーターの前まで来ると、右側のレーンに滑り込んで、二段飛ばしで駆け上がった。左レーンに立っている通行人たちが不思議そうな視線を独男に向けた。

( ^ω^)「お、改札があったお。出て、道路向こうの通りを南に曲がって、20メートルほど行った場所がバス停だお」

 独男は切符を改札に滑りこませ、走りながら周辺を確認した。目の前の道路は、信号の都合で車が全く走っていなかった。独男は左右確認もおざなりに道路を走りぬけ、そしてバス停の方向に視線を向けた。

 バスは、すでに停留所に停車していた。

(‘A`)「ああああ!」

 走った。バス停を目指し、独男は走り抜けた。

(‘A`)「うおおおお! あ……あぁ……」

( ^ω^)「ああ……行ってしまったお。残り10メートルも無かったお。今日あったトラブルのどれか一つでも無ければ、余裕で間に合ってたお」

 バスを見送り、歩幅を狭めながらも、しかし独男は不思議な安堵感に包まれていた。自分は精一杯頑張ったが、しょうがなかった。これほど甘美的な、あるいは完備的な言い訳は他にないではないか。いや、より正確にいえば、これで結婚式に出ずにすむ。どこか湿ったような、腐ったような安心感が、汗と共にじわじわと体中に広がっていく。

 バス停に到着した独男は、次のバスの時間を確認した。どうやら次のバスが来るのは、式が始まった後らしい。

(‘A`)「オワタ……」

( ^ω^)「お……バスが……来た?」

 独男が顔をあげると、停留所にバスが近づいてくるのが見えた。

(‘A`)「は? もうとっくに時間は過ぎてんだぞ」

 独男はもう一度バス停に駆け寄って、時刻表を確認する。どの方向から読んでも、バスが来る時間ではない。しかし、現にバスがこちらに向かってくる。バスの路線名が違うのではないかと疑ったが、「◯X」という省略コードはグーグル・マップが示したものと全く同じだ。

(‘A`)「これ……だったのか? 一体どういうことだ……?」

( ^ω^)「なんだかわからんお。本当にわからんお。運行が遅れていたのかもしれないお。バスは電車より遅れやすい乗り物だお」

(‘A`)「じゃあさっきここを出てったバスはなんだったんだ?」

( ^ω^)「僕に聞くなおwww 知るわけねーお」

(‘A`)「……ほんと、なんなんだ」独男はうつむいて独りごちた。「これじゃあ間に合っちまうじゃねーか……」

 

 バスのドアが開いた。どうやら、一律料金、先払いタイプのバスらしい。独男はスラックスのポケットに手を突っ込み、指定された金額を取り出そうとした。ポケットには、新札の一万円を崩した時に残った小銭が入っている。

(‘A`)「あ、やべ」

 10枚ほどの硬貨が音をたててバスの床に散らばった。運転手は優しそうな視線を独男に向けると、ゆっくり拾ってください、と言った。独男は(彼なりにではあるが)手早く硬貨を拾い上げ、指定金額を料金箱に投入すると、すみませんと言って、運転手から逃げ出すかのようにガラガラの車内を奥に奥にと進んでいった。そして一番後ろの座席にだらしなく腰を落ち着けると、大きなため息をついた。一瞬、ネクタイを取ってしまおうとしたが、これから向かう場所を思い出してそれはやめておいた。

 バスは出発し、道路を進んでいく。渋滞もなく、停車もしない。

(‘A`)「これマジで間に合うな……奇跡、か」

( ^ω^)「……? そんなことより独男、運転手さんがなんか言ってるお」

(‘A`)「あん?」

 独男が聞き耳を立ててみると、確かに、運転手が一定間隔で何かをアナウンスしていた。独男には内容までうまく聞き取れなかったが、何か怒っているようにも聞こえた。

(‘A`)「あ、俺の座り方注意されてんのかもしんねえ」

 一番後ろの座席の、それも真ん中にだらしなく座っていた独男は、そのまま右方向にスライドしていって、姿勢を正した。そして、次のアナウンスを待って耳を澄ませた。

( ^ω^)「あ、単に『誰も待ってないし誰も降りねーから〇〇停留所はスルーします』って趣旨のことを言ってるだけだったわ」

(‘A`)「よく聞いてみりゃそんなこと言ってるな……ビビっちまったよ、ったくよ」

 また座席にだらしなく座り直した独男は、ひとり、外の景色を眺めた。左手の方から大きな建物が見えてくるのが分かった。

(‘A`)「あれ、か……」

( ^ω^)「はえー! 立派な建物だお。こんなとこで結婚式かお。すげーお」

 数分後、独男は集合時間ギリギリのタイミングで、結婚式会場に到着した。

 

 

 

3

「待合室2番になります。」どこか誇らしげに独男が差し出した招待状を確認したスタッフは、そう告げた。「待合室2番は向かって左手すぐのお部屋です。」

(‘A`)「ダッシュ! 汗やべえけどしゃあねえ!」

( ^ω^)「お、ついたお」

 独男は、あまりにも時間がギリギリであり、時間のことしか頭になかったので、「結婚式の待合室」が一体どんな環境なのかについてなんの考察、妄想、準備をしていなかった。劣悪な環境に直面して初めて、独男は環境の劣悪さを知った。一般に、手遅れと呼ばれる状況だった。

(‘A`)(やべえ……なんだこいつら!?)独男は心の中で独りごちた。(そうか、そもそも半分は新婦の関係者だから俺が知るわけねーんだ。やべーよ、このアウェー感!)

 独男は待合室に入ると、キョロキョロと辺りを見回しながら、知り合いを探した。独男とSが所属していたゼミのメンバーたちだ。

「お、颯爽と現れたね~~ドっくん」

 そう声がした方を向くと、見知った顔ぶれがあった。独男は彼ら彼女らに紛れるべく、小走りでそちらに向かっていった。

(‘A`)「おーあー。どうもお久しぶりです。みなさんが大学出た後だから、3年ぶりですかね」

 「なぜ敬語w」先ほどと同じ声、リーダー格のハンサムな青年が言った。

(‘A`)「あー敬語?w 確かにね! えーと、それでさ、ちょっとお願いがあるんだけど……」

 独男は再開の挨拶もほどほどに(そもそも、彼は再開を喜んでいなかった)、さっそく「本題」に入ることにした。すなわち、財布を忘れてしまったため、ご祝儀を崩してしまった、という話だ。

(‘A`)「ってわけで……そのですね、どなたか千円を貸していただけないでしょうか。早くホテルの人に両替してもらわないと……」

 本人は面白い話をしたつもりはなかった。が、聞き手にとっては面白い話題であったらしい。皆声をあげて笑った。

「つーかマジで敬語やめーやw いーよ、貸す貸す。ご祝儀使うとかワイルドだねえ! さすがドっくん!」

 独男はハンサムな青年からお金を受け取ると、そそくさと待合室を抜けだした。そして付近に立っていた会場のスタッフらしき女性におずおずと声をかけた。

(‘A`)「あのすみません」

「はい」

(‘A`)「えっとあの……S家の結婚式に出る者なんですけど、えっと、これ、招待状です。それでその、ご祝儀なんですけど、新札を用意するのに失敗してしまいまして、えーと、会場の方に頼めば新札に変えてくれる、っていう話を聞いたんですけれども」

 スタッフの女性は露骨に怪訝そうな顔をした。そりゃ新札に変えてやることはやるけど、それでも、ちゃんと新札を揃えろよ。そう顔が語っていた。

「もちろん、お取り替え致します。ただ……」スタッフの女性が怪訝そうな顔を崩さずに言った。「でも、もうすぐ式が始まりますから。会計課は4階でございます。ここから向かいますと、ちょっと……。式が終わった後向かわれてはどうでしょう?」

(‘A`)「あっ、式と披露宴の間に、そういうことできる時間あるんですか」

「はい。その方がよろしいかと」

(‘A`)「分かりました。ありがとうございます」

 独男はそそくさと待合室に戻った。

「なんだってドっくん?」お調子者のメンバーが言った。

(‘A`)「あー。えーとね、時間あんまないから披露宴の後に交換してくれるってさ」

「というか、ドっくん。荷物は?」背の高い女性のメンバーが言った。

(‘A`)「あ。どっかで預けるのか」

「クロークあるよ」ダークな雰囲気の青年が言った。彼もまた元ゼミメンバーだ。

(‘A`)「クローク? あ、預けるやつか。よし、ちょっと預けてくる!」

 独男はまた待合室を飛び出した。部屋に出たり入ったりするのは彼だけだったので、嫌でも人目を引いてしまったが、時間に追い詰められていた独男はすでにいっぱいいっぱいであり、そういった問題にさいなまれるだけの余裕がなかった。

 付近のクロークまでやって来た独男は、さっそくカバンを預けた。プラスチック製の、71番の引換証を受け取り、胸ポケットに入れる。

 他にございますか? と、カバンを受け取ったクローク係の女性がいった。独男は反射的に大丈夫ですと返した。が、スラックスのポケットには帰りの電車賃が入っている。この数百円は彼にとっての命綱であり、定義的に言えば明らかに貴重品だった。それに、小銭はチャリチャリと音がする。式に臨むにあたり、音が出るものをポケットに入れておくのは不適切ではないだろうか。小銭をカバンに入れておいた方がよかったか。独男はそう思ったが、しかし、クローク係の女性はすでに荷物を奥に持って行ってしまった。やっぱり持ってきてくれないか、この小銭をカバンに入れたいもんで……とは言えず、独男はポケットの中で小銭を握りながら待合室に向かった。

( ^ω^)「おいすー」

(‘A`)「んだよ、また内藤か」

( ^ω^)「独男、間に合ってよかったお。ちゃんと、式出れるお! 独男のダッシュは無駄じゃなかったんだお!」

(‘A`)「うるせー」

( ^ω^)「おっおっ!」

 

 独男が待合室に帰ってくるや否や、着物を来た担当者が入ってきて、お時間ですと言った。待合室にいた男女は連れ立って、式場へと向かった。式場の入り口では、キーロー、すなわちPとXからなるキリスト教の象徴たる紋章があしらわれた礼服を着た、ラテン系の男が立っていた。わざとらしい片言の日本語で、列席者を誘導していく。

「ドーゾ、ソノママオススミクダサイ」

 誘導にしたがって進んでいった独男たちは、小さな連絡路を通りチャペルに向かった。そして、雅やかなチャペルの、かなり後ろの方の座席をあてがわれた独男は、ゆっくりと席についた。

(‘A`)(映画やゲームでは見たことあったが……リアルでこれ見んのは初めてだ。一列あたり6人くらい座れる座席が、左右に並べられてる。右側座席が新郎関係者、左側座席が新婦関係者、そしてその真中がいわゆるヴァージン・ロードというやつ……か。窓の配置が上手いから、おかげで空間全体が自然な明るさで満たされてるな。さすがに大ホテル。よく出来たチャペルだ、こりゃ)

 まもなく、新郎が入場されます。司会者と思しき女性がそう言うと、壇上右側のオルガン奏者が演奏を始めた。独男流に言えば、これはスペクタクルが始まる合図なのだった。

(‘A`)(かくして、世俗化した宗教と巨大なホテル産業は)独男はそう独りごちた。(神聖なる婚姻の儀の名において、自由恋愛の落とし子達に祝福を与えん、か……)

( ^ω^)(かっけえwww)

 

 

4

 式が済んだ後は、披露宴に移る。それが一般的な結婚式の構造だ。披露宴の準備が整うまで、少々の休憩時間があった。3階にある会計課で新札を調達することに成功した独男は、ご祝儀袋を包み直すことができた。だいぶ、心が軽くなったようだった。新札を3枚、用意できたのだ。ご祝儀袋を布に包み、胸ポケットに入れた後、独男は参加者が待機する休憩室に向かった。

 休憩室では、元ゼミメンバーたちが固まって歓談しているのが見えた。独男はあえてその輪には加わらないよう、部屋の外縁部へと向かった。

「いい式だったねえ。俺、結婚式は要らない派だったけど、俺も結婚式したくなってきちゃったよ。やっぱ大事だな、区切りとしてな」近くにいたお調子者の元ゼミメンバーがそう言ったのが聞こえた。実際、自分が結婚することを少しも疑っていない者だからこんなことが言える。恋人の存在は、この場合、前提なのであって、実のところ「獲得するべきもの」ですらないのだ。

(‘A`)「しかし、この手の男が発揮する傲慢さは」独男は部屋の隅に陣取ると、うつむきがちになりながら独りごちた。「決して糾弾されることはない。なぜなら彼と彼女との関係は、自由恋愛において調達された合意に基づいているからだ。かたや……」

( ^ω^)「……独男、ジュースあるお。ノミホーだお!」

 独男がふと壁際のテーブルに目を向けると、そこには大量のグラスが並べられていた。道中ずっと走り続けた独男は、式が終わって初めて、自分の喉が乾いていることに気がついたのだった。それに、その日はとても蒸し暑かった。さすがに水分補給が必要だ。独男はテーブルに近づいていった。

(‘A`)「あ、すみません」独男が給仕係の女性に言った。「これって飲んでいいんですか」

「はい。どうぞ」給仕係は短く答える。

(‘A`)「えっと、これってなんですか」独男は薄い色のジュースが注がれているグラスの列をさして言った。

「グレープフルーツジュースでございます。こちらはりんごジュースになります」

(‘A`)「ではグレープフルーツジュースをいただくことにします」

 特に必要ではない宣言を聞かされた給仕係の女性はニッコリと微笑むと、休憩室を去っていった。独男はひとつグラスを取り上げ、再度部屋の隅に向かった。

 

(‘A`)「んめー。これドトールで頼んだら600円くらいか? 得した得した」

( ^ω^)「おっおっ」

(‘A`)「もう一杯、いくかな。今度はりんごジュース飲んでみるか」

 たいていの人間は一杯で済んでいるようだが、独男は喉の渇きからか、ガブガブと飲むものだから、あっという間にジュースは無くなってしまう。今度はりんごジュースを確保して、独男はまたしても部屋の隅という(独男が言う所の)「安置」に陣取った。が、気がつくと彼は元ゼミメンバーたちに包囲されていた。

「ねえ、式の間神父さんが喋ってた言葉って、なんだったんだろうね。英語でもないし」

背の高い女性メンバーが言った。どうやら彼ら彼女らは、サクラメントの最中に宣教師が発していた言語がなんであったのかについて論じ合っていたらしい。なるほどね、独男は心の中で拍手を送った。なるほどなるほど。なんとも「知的」な会話じゃないか! サクラメントで使わる言語が一体なんなのかが、議論の題材になるとは!

ヘブライ語じゃないかと思うんだよね」お調子者のメンバーが言った。

 なるほどね、推理としては悪く無い。でも…… 

「もしカソリック教会の公用語ヘブライ語なら」独男は頭の中で言った。「ジュリアン・ソレルはどう頑張ってもレナール夫人とヤレなかっただろうね。だってヴァルノ氏は息子たちのために、ラテン語の堪能なジュリアンじゃなくて、ユダヤ人の家庭教師を雇っただろうから。ああそうだ、むしろこの点を議論するのは楽しいんじゃないか? もし家庭教師がユダヤ人だったら、レナール夫人はそいつと寝たかどうか。僕は寝なかったと思うね。あの女は救いがたく保守的な田舎者だから、ユダヤと寝るのはさすがに憚っただろう。若くハンサムで知的なキリスト教徒とは不貞を働くくせに、だ。その点、マチルダ嬢なら宗教に関わらず男と寝ただろう。あの子は開明的だから。だから僕はレナール夫人よりもマチルダ嬢のことを好ましい、と考えるわけさ」

 だがこんなことを言えるほど独男は勇敢ではなかった。実際、小説の登場人物でなければこんなセリフを吐くことなどできない。それに、聞き手のメンバーたちは確実にスタンダールの『赤と黒』を読んでいないから、そもそも話は通じないはずだった。

 独男は笑顔を作り、少し声のトーンを上げて言った。

(‘A`)「あ~~、確かに聞いたこと無い言葉だったよね~。なんだったんだろ? 確かに英語ではなかったよね~」

 独男は適当に話を流しつつ、そのままメンバーたちによる包囲網が解除されるのを辛抱強く待つ作戦に出た。実際、議論の材料など無きに等しいわけで、(そもそも議論の材料となる知識の欠片でもありさえすれば、こんな問は立てられることすら無かった。サクラメントに使われる言語が何かとは! 西方系諸宗派の公用語は基本的にラテン語であることは、キリスト教に関わる知識の中でも一番基本的なものなのだから)、この議題はお流れになった。

 が、代わりの議題はもっとたちの悪いものだった。

「次は誰になるんだろうねえ」

 待ってました、どばかりに独男は身構えた。結婚式である。そして3年ぶりの再開である。当然、覚悟はしていたが、しかし独男にとってこの話題を乗り切るのは苦痛になるはずだった。独男は何週間も前からこの瞬間が訪れることを恐れていた。

 この場では彼以外の者には、皆恋人がいる。彼らにとって結局、結婚というのは純粋に順番の問題にすぎない。だからそれほど露骨な政治問題ではないのだ。まあ、積極的に話すことでもないが、かと言って冗談の対象にしてはいけないほどデリケートなわけでもない。何年も付き合っている大事な恋人がすでにいるのだから。だが、この場には一人仲間はずれがいた。故に

「ドっくんはいつ結婚するんですか」

 という、どこかから真っ先になされた質問は完全に礼を失していた。少なくとも独男はそう考えた。彼ら彼女らにとっては順番や時期の問題でも、独男にとって、結婚は、できるかどうかまったくわからない、という性質のものだったし、それに、おそらくできないだろうという諦念は、独男の中でここ数年の間に急激に根を張り、もはや取り除くことはできないほど複雑かつ強固に彼の精神に絡みついていた。だからせめて、ドっくんは結婚「できそうですか」と、彼ら彼女らはそう質問するべきだった。

(‘A`)「あー。まー次は皆さんじゃない?」

 「最近遠距離恋愛になってねー、大変なんだよ」とお調子者が言った。それで話題がそちらに移ると思ったので、独男は安心し、話を聞きたくてたまらないという表情(彼なりの、ではあるが)をお調子者の彼に向けた。実際、独男は他人(したがって「身内」でない人間)の恋愛話を聞くのは好きである。間接的にではあれ恋愛に触れられる瞬間というのは、独男の人生においてせいぜいそれくらいだからである。

 だが、また誰かが言葉を放った。もう少し独男をイジりたいようだ。

「ドっくんはまだ硬派やってるの?」

(‘A`)「っ……」

 独男は息を飲んだ。

「確か学部の時にさー、ゼミの後の飲み会で、男女で手をつないで歩こうってなった時あったじゃん。そんときドっくんだけ、女の子と手はつなげないって拒否ってたよね。結婚する人以外とは手をつなげないって言ってさ」

 実際、面白い思い出話だったのだろう。一人を除いて皆笑っている。

「いや、俺すごくいいと思うよそういうの」

 独男はうつむいた。彼はもうそんなことは忘れていたが(というのも、彼にとっては自然な価値判断に基づいた行為だったからだ。食べたパンの枚数を覚えている者が何人いるのだろう?)、他のメンバーは覚えていたらしい。

 一体全体、付き合ってもいない異性と「ノリ」で手をつなぐようなことができるだろうか? 独男にそんなことはできなかったし、今もできないだろう。

(‘A`)(しかし現代において)独男は思った。(男性は『奥手』でいることなど出来ない。『貞淑』? あるいは誰かが言ったように『硬派』? とんでもない! 『女性が苦手』でもギリギリだ。もしそういった男性がいれば、彼は古めかしく保守的な、女を見下すクズとして認識されるだけだ。もし手をつなぐ機会があれば、手をつなぐべきなんだ。それが正しい生き方なんだ)

 また誰かが言った。

「それでドっくん、大切な人はできましたか?」

 独男は心の中で反論した。

(‘A`)「もう一度言ってみろ! お前ら非リアをおちょくるつもりなら受けて立つからな!」 

 実際、数年前の独男なら敢然とそう言い放っていたはずだ。当時の彼は今よりもっと癇癪を起こしやすかったし、それに、独男は自分の癇癪癖のことを、まだ「義憤」だと誤認していた。

 しかし、ここは結婚式場なのだった。

(‘A`)(結婚式は神聖なもんだ。Sの晴れ舞台なんだ。俺が癇癪を起こしてこいつらと揉めたら、Sの結婚式にケチがついちまう。……そんなことは絶対に許されねえ!)

 女性の元ゼミメンバーが続けていった。どこか誇らしげに。

「あ、でもでも、ドっくんはご祝儀いくら包むかって、私に聞いてきたんだよ。フェイスブックで」

 皆驚いた。独男が女性にフェイスブックでメッセージを送るのは、彼らにとって何か「冒涜的」なことらしい。そして、彼女の発言は事実だった。ご祝儀にいくら包むのかを確認するにあたって、独男が問い合わせた相手はその女性メンバーだったのだ。というのも、独男によれば、それには合理的根拠があったのである。少なくとも、この文脈で語られるべき事柄ではない。彼は言った。

(‘A`)「いや、それはフェイスブックのログインリストを見て、〇〇さんが一番高い頻度でログインしてて、他の人全然ログインしてないみたいだったから、反応してもらえると思って聞いたんだよ」

「あー、じゃあしょうがなくってことなんだ」

 というツッコミが入る。独男は耳を疑った。自分の説明は、フェイスブックでの質問は、事務的な次元で完結しうる範囲の行為であった、という趣旨のものであったのに、それに対して「しょうがなく」などという感情的次元の説明が帰ってきたからである。

 合理的根拠があるけれども「しょうがなく」女に頼る男、というのが独男に対するメンバーたちの評価なのだった。おそらく間違っていないのだろう。ようは女嫌いの男だと思われているのだ。もちろん独男はそういった問題について反論する勇気と気概、あるいは自尊心というものをとっくに失っていたから、訂正を加えようとは思えない。しかし、さすがに「しょうがなく」女に頼った男にされてしまうのは苦痛以外何者でもなかったので、独男はなるべく小さな声で、論争的性格をなるべく付与しないよう注意しながら、言った。

(‘A`)「いや、しょうがなくじゃないよ。本当に教えてもらいたいと思ってさ」

 が、独男の声が小さすぎたため、彼の言葉は「いや、しょうがなく」として皆に伝わり、メンバーたちは満足したように言った。「しょうがなくってのは〇〇さんに失礼なんじゃない?」

(‘A`)(……そうだな。俺は失礼な、女嫌いの男子だ。いや、もうおっさんか。中々救えねーな)

 独男は訂正を諦めて、微妙なはにかみを浮かべながらりんごジュースを飲み干した。

(‘A`)「お、もうジュースが無い。ちょっとグレープフルーツジュースとってくるわ」

 人の輪を離れた独男は、心の中でつぶやいた。

(‘A`)(Sの結婚式を人質にとって俺をなぶるとは、下衆な連中め)

 ジュースをヤケ飲みしていると、会場のスタッフが大きな声で告げた。どうやら急いでいるようだった。

「皆さん、披露宴の準備が整いましたので、会場にご移動ください!」

 声にしたがって、参加者たちはぞろぞろと列をなして会場に向かう。独男は人の移動が一段落するまで、グレープフルーツジュースを飲んで待つことにした。

 

( ^ω^)「独男」

(‘A`)「んだよ、また内藤かよ」

( ^ω^)「独男、披露宴では席が指定されるお。おそらく、大学メンバーは一つのテーブルに固まるはずだお」

(‘A`)「だからなんだってんだ」

( ^ω^)「Sの結婚式、ちゃんと、全部祝ってあげるんだお。多少煽られようが、昔みたいに癇癪を起こしたりすんなお」

(‘A`)「分かってる」

( ^ω^)「がんばれお」

 独男はグレープフルーツジュースを飲み干すと、一人会場へと向かった。

(‘A`)「あー、今日はグレープフルーツジュースを2杯も飲んじまったなー」

( ^ω^)「もう一杯飲むかお。いっぱい余ってるお……もったいねー」

(‘A`)「いいさ。もうドトール単位で1200円分は飲んだ。つまりはマクドナルド12個分の消費ってことなんだよ。それは俺にとって過ぎたものなんだ」独男はひとりごちた。周りに誰もいないので、少し、声が大きくなった。

(‘A`)「……俺は、今までずっと高望みをしていたんだ。実際、何にも値しない人間なのにな」

 

 

 

 

 

5

 披露宴が終了した。参加者はグループごとに新郎新婦と会話をかわしてから、会場を出て行った。二次会の開始まで時間を潰すため、何をするか。どこか開放的な気分になった参加者は、思い思いに会場のロビーをうろついていた。

 独男を含むメンバーたちも、そういった口だった。そんな雰囲気の中で、独男は唐突に言った。

(‘A`)「じゃあ俺、帰るから」

「お、ドっくんの帰り癖が出たな」とメンバーたち。

 ゼミメンバーの独男に対する理解は「二次会に参加しない奴」だった。独男は飲み会が大の苦手なのだ。もちろん、直属の上司との関係上断れなければ膝を屈する程度のポリシーではあるのだが、それでも、二次会への参加回数はまだ片手で数えられるほど。大学時代も含め、ゼミのメンバーと二次会に行ったことは無かった。

「帰る? 普通参加するもんなんじゃねーのかー? マナー的に。式と披露宴に出てるんだしさ」とお調子者。

(‘A`)「ところがどっこい。俺は招待受けてねーんだな、二次会の」

 場が凍りつく。

 そんな間隙の後、一同は各々驚きの声をあげた。

「S君からラインで二次会の話されたけどねー」と女性メンバー。

(‘A`)「ほほー。まあ皆さんがどうかはしらんけど、俺は披露宴までなんだな。いていいのは」

 独男はネクタイを解きながら言った。

「皆に連絡行ってるもんだと思ってた」とダークな雰囲気の青年が言う。

(‘A`)「まー」独男は今日一番誇り高い調子で言った。「誘われてないのに行くのは失礼にあたるからな。マナー上、俺は帰る。帰らざるを得ない」

 マナー違反。これは飲み会をバックレるにあたって最高に優秀な正当化自由だな、と独男は思った。そして、まさにそう言い放った瞬間、自分を二次会に誘わなかったSの意図がなんとなく分かった気がして、少し涙ぐんだ。二次会には、新郎新婦にとってより広い交友関係から人々が集まる。つまりは飲み会の規模は、大きい。それに、場の雰囲気も極めてフランクになるはずである。つまりもし独男が二次会に参加すれば、彼は見ず知らずのテンションが高い人々と、何時間も一緒に過ごさなくてはならない。それは独男が耐えられるような環境ではなかったし、そして、Sも、ゼミのメンバーも、そのことを知っていた。なんと言っても、同じゼミに所属していたのだから。違ったのはその対応だけだ。Sは独男に対して飲み会から逃げ出す口実を与え、そして、他のメンバーは彼を引き止めた。

 独男はネクタイをゆるめながら言った。どこか、開放的な気分になりながら。

(‘A`)「じゃあ俺、走って帰るはwww」

「走るって?」

 もちろん、すっかり油断してしまった独男は、最後にまたつけ込む隙を相手に献上した。言わなくてもいいことを言うから、独男はドツボにハマるのだ。

 彼の財産について簡単に計算すれば分かるが、独男には金が無かった。元々交通費としての千円だけが実質的な所持金であったが、往路の電車とバスで使った金額はすでに500円を超えていた。家まで帰り着くためには、バスを諦め、そして電車に乗る区間も縮めねばならなかった。おそらく1時間、あるいは2時間ほどの単独徒歩行軍が、この後独男を待っているはずだった。

「あーお金ないのか。貸すよ貸すよ~」とハンサムな青年。独男が現在数百円しか持っていない、その経緯に関する思い出し笑いが起こる。

(‘A`)「いや、これ以上借りは作りたくない! すでに千円も負債があるし……」

 独男はかなりまじめに、権力関係上の問題を意識してこの発言を選んだわけだが、メンバーたちはこれをギャグとして受け取り盛大に笑った。

「いやいや、何かあったら困るし、貸すよ」

 独男にはもはや抗う力は無かった。それに、実際独男は不安だったのも確かなのだ。もし100円玉一つでもなくしたりしたら(今日のボロボロぶりを見れば、十分あり得ることだ)、家まで帰れない。スマホも無いのだ。彼はハンサムな青年から千円を受け取ると(この瞬間借金は2倍になった)、そのお札を胸ポケットに入れた。独男はとても惨めな気分になったが、とはいえ、それは慣れていることではあった。慣れているかといって惨めさは変わらないのではあるが。

 そうこうしているうちに、女性メンバー2人がお手洗いに向かった。包囲網の力が弱まったのを感じた独男は、チャンスだとばかりに会場を後にすることにした。

(‘A`)「じゃ! 今日はほんとうにいい式だったね! いろいろありがとう」

 いつもなら強引に引きとめようとする彼らも、今日ばかりは意気が揚がらなかった。というのも、独男が二次会不参加というのは、Sの意志だからであり、そして、今日はSの結婚式なのだ。当然、その意志は尊重されるべきだった。

 メンバーを振り切って、独男は歩き出した。クロークで荷物を受け取り、いざバス停へ!

 ところがロビーの出口で、お手洗いから帰ってきた女性メンバーが待ち伏せしていた。背の高い女性が言った。

「なんで私に何も言わないで帰っちゃうの?」

 独男は、ああ、そういう風に解釈されてしまうのか、と思った。彼女は怒っている。つまり、このアメリカ帰りの帰国子女は、独男の行為を「侮辱」として受け取った。しかもその侮辱の根拠は「女性だから」だと思ったのだろう。

 実際、彼女たちに対してお別れの挨拶を述べずに帰ろうとする独男の行為は、単に「失礼」なだけではなく、彼女たちのような大卒キャリアの自立した女性にとっては明確な「差別的」態度と映ったことだろうし(なにせ独男ときたら、残った男性勢に対してはお別れを述べているのだ)、そう追求されたら、独男が社会的に完敗するのは明らかなのだ。

 しかし、全く理不尽なことじゃないか。疲れきった独男は思った。こいつらは俺を政治的感覚を持たない、まるでゾウかクマみたいな動物であるかのように扱う。しかしこんな場面になった瞬間、唐突に俺の邪悪な意図を読み込もうとする。どう考えてもずるいじゃないか。独男からすればこうであるが、とはいえこんな言い分は彼だけのものであって、誰からも共感され得ないものだ。

(‘A`)「俺は別に……あんたらに相対するとき、何も特別な意図は持っちゃいない」

 独男は言った。今度は大きな声で。独りごちではなかった。

('A`)「俺はただ、『帰りたい』ってだけだよ。もし仮に男子勢が席を離れてたら、俺はあなた方女性陣にさよならを言って、男子に何も言わず帰ったさ。帰るチャンスがあるなら、利用するまでだ。これまでも一貫してそうしてきたし、きっとこれからもそうし続けるだろうよ」

 独男は自動ドアを通って、バス停に向かって歩き出した。

(‘A`)「さようなら。帰ります」

(‘A`)(Sに対する義務は、もう果たした)

 歩き出して少したってから、独男は立ち止まり、控えめに振り向いた。

(‘A`)「お幸せに、Sよ。誘ってくれて、ありがとう。本当にいい式だったよ」

 

 

 義務を果たした独男は、軽やかな歩調でバス停に駆け寄る。バス停の近くには奇妙な立て札があった。札には、無料送迎バス、とある。独男は恐る恐るバスの乗口に近づいて、運転手に聞いた。

(‘A`)「あの~~、これって誰でも利用可能なのでしょうかあ~~」

 そうだよ、もう出るから、乗るなら乗って! バスの運転手は忙しそうにしながら言った。

 独男は愕然とした。タダでバスに乗れるなら、ハンサム青年から追加的借り入れをする必要はなかったではないか! しかもこのバスは大きなターミナル駅に向かうようだった。今やポケットの中には、帰るのに十分な電車賃があるということだ。独男は一瞬、金を突き返しに行こうかと思った(とはいえ、それでも千円の借金は残るのだが)。

「はい、バス出ます!」と運転手が言った。

 独男はいそいそと満員のバスに乗り込み、独りごちた。

(‘A`)「あ~~~、俺ってなんでこう間が悪いんだろ」

 ところが今回の独りごちは、緊張がとけたせいか、少々音量が大きすぎた。目の前の座席に座っていた強面の青年が舌打ちをし、露骨に不愉快な視線を独男に向けたため、独男は小声で謝りつつ頭を下げ、青年の座席とは逆方向を向いて立つことにした。実際、ひとりごとをつぶやく男というのは見ていて不気味なものである。もし殴り返されるリスクがなさそうなら、舌打ちか何かを浴びせかけるのが正しい対応だ。

(‘A`)(ふあ~~~、まいったまいった。だがこれで帰れる。帰れるんだ)

 夕方の町並みを走るバスは、時々渋滞に巻き込まれながらも、20分程度の運行を終えて駅の西口に止まった。

 

 

5

 街のど真ん中に、独男は一人降り立った。所持金は現在、千円札が一枚と、小銭が少々。

( ^ω^)「バス代浮いたから、電車賃を差し引いても、千円は丸々余るお。フヒヒっ……ちょっとした豪遊ができる金だお」

(‘A`)「んだよ……またおまえかよ、内藤」

( ^ω^)「おっおっ!」

(‘A`)「しかしまあ、そうだな……喫茶店にでも入るか」

( ^ω^)「人から借りた金を他の目的に使うのUMEEEかお?」

(‘A`)「わかんね」独男はブツブツと独りごちを続ける。

(‘A`)「ただ、すげー惨めな気分になるとな、不思議と面の皮は厚くなるんだよ」

( ^ω^)「そんな理論聞いたことねーおw」

(‘A`)「独男理論だよ。よっしゃ、ハンサム青年から借りた金をパーッと溶かそうや! 豪遊だ!」

 独男は一人、よく知らないターミナル駅の構内を散策した。そして人気の少ない通りに面した、小さなこじんまりとした、しかし小洒落ていて、でもお客があまり入っていないカフェを見つけた。

(‘A`)「……いいじゃんさ。まさに俺の求めてたもんだ」

( ^ω^)「おー」

 独男はドアを押して入店した。

(‘A`)「こんちはー」

「お一人様?」

(‘A`)「はい」

「おタバコは?」

(‘A`)「あ、えーと……吸わないです」

 奥まった四人がけの席に通された独男は少し笑顔になりながらおしぼりを受け取る。なんとなく、尊重されているという気分になれた。

( ^ω^)「タバコ吸わねーくせになんであの質問に対してきょどんだおwww」

(‘A`)「うるせー。吸いませんって言うか吸わないですって言うか、はたまた禁煙席でって言うか迷った結果だ」

 独男はメニュー表を開きつらつらと読み進めた。コーヒー、紅茶、そしてソフトドリンクという並びだった。ソフトドリンクの欄にはグレープフルーツジュースがあり、それが引き金となってフラッシュバックが起こって、独男は結婚式に思いを馳せるはめになった。

(‘A`)「Sは……なんで俺を二次会に招待しなかったんだろうな」

( ^ω^)「その話ですか……」

(‘A`)「解釈には2通りある。1つは、俺のためを思ってくれた。そしてもう1つは、俺にブチ切れてたか……あいつは俺に対して怒っていても不思議じゃない」

( ^ω^)「普通に考えてブチ切れてたら式に呼ばねーお……」

(‘A`)「とは思う。けどなあ……前に会った時なあ……」

( ^ω^)「前にSに誘われて二人で会った時、Sは独男にすごく優しくしてくれたお。独男と話していて楽しいと言ってくれたお。敬意すら表して独男の話を聞いてくれたお。それに、毒男のことを心配してくれていたようだったお。だけど独男は、あの時……」

(‘A`)「思い出させんなや……」

( ^ω^)「Sが結婚式場の下見に行ったって話されて、お前はブチ切れたんだお」

(‘A`)「はあ……」

( ^ω^)「なんでブチ切れたのかさっぱり分からねーお。Sはイケメンでコミュ力もあって金も持ってるお。彼女くらいいてあたりめーだおwww 結婚する権利も資格も能力もあるんだお。幸福に値する男なんだお」

(‘A`)「昔は……リア充と見れば全員に喧嘩を売っていた。そうしてれば、俺の両翼にも非リア連合が形成されて、最後はリア充を全員倒せると本気で信じてた。でもな、だーれも本気でリア充を憎んだりしてないんだよ。『リア充爆発しろ』ほど欺瞞的なスローガンを俺は知らない。あれくらいライトに慣れ合うのがちょうどいいって、なんでもっと早く気付けなかったんだろうな。本気で闘争をする奴はただのキチガイ。あるいは面白いピエロか」

(‘A`)「でもSだけはな、唯一、俺の癇癪を真面目に受け取ってくれたリア充だったんだよ。それが分かってて、甘えたかったのかもな。あいつだけは俺を人として扱ってくれたって言えば、言い過ぎかもしんねーけど……」

( ^ω^)「ダセー話だお」

(‘A`)「まあ、俺が傷つけるのに成功したのは、最も善良なタイプのリア充だけだったって話だな、つまりは。本当に何の意味もない戦役だった」

( ^ω^)「じゃあなんで今日は癇癪を我慢したんだお。あんなに煽られてたのに。戦うのがお前の生き方だったんじゃねーのかお」

(‘A`)「……さすがにな……Sの式をぶち壊したくなかった。もう、俺もだいぶ弱ったんだよ」

(‘A`)「あとはあんま言いたくないけど、やっぱ、金だな。文字通り今日、俺は文無しで……あいつらは俺より先に働き始めてるから、金もある。まー、経済的に言えば俺はかなり落ちぶれてるからな。今の社会環境で俺がキレたら、俺があいつらの豊かな恋愛経験に嫉妬してんのか、それともあいつらの所得と資産と肩書に嫉妬してんのか、わかんなくなっちまう」

( ^ω^)「発狂してる非リアとして見られるのは良くても、論争好きの貧乏人に見られるは嫌なのかお」

(‘A`)「まー俺も馬鹿げてるとは思うよ。でも一度受験とかの競争を経験しちまうと、やっぱりなー、能力とか、地位とか、そういうのをめぐるゲームを少なからず意識しちまうもんだろーなー。一方、恋愛経験で言えば俺は人生通してなんもないからな……嫌だけど、どうしようもなく愛してもいるんだ、いわゆる『非リア』としての俺をな」

( ^ω^)「そんなもんかお」

(‘A`)「そんなもんだ」

 独男は独りごちるのをやめた。給仕係の女性が注文を取りに来たからだ。独男はメニューを開き、予め決めておいたメニューを注文した。

(‘A`)「この……グレープフルーツジュースをください」

「かしこまりました」

( ^ω^)「800円のグレープフルーツジュースwwwいつもは一番安いメニューしか頼まないくせに。他人の金だと散財力ぱねえお」

 注文が終わって安心した独男は、カバンから一冊の本を取り出し、座席にだらしなく座り直して、本をお腹の上に、背表紙がテーブルの縁に支えられるように置いた。姿勢と行儀が悪い、しかし独男にとっては一番楽な読書スタイルだった。

( ^ω^)「……何読んでんだお」

(‘A`)「んあ? これか? これはなー、ケン・リュウのSF架空戦記だな。『紙の動物園』は良かったが、これはいまんとこまんま『史記』って感じでなー。どっからオリジナリティが出てくるか楽しみってところだな。まあ非中華文化圏の連中には『史記』そのままでもウケるのかもしんねーけどさ、やっぱいろいろ新展開欲しいよな、日本人としちゃーな」

( ^ω^)「僕にも読ませろお」

(‘A`)「こっち来んなや……暑苦しい」

 独男は読書を続けながら、また独りごちた。

(‘A`)「……つーかさ、お前、なんなんだよ。いい加減白状しとけ」

( ^ω^)「まず、独男の仮説を聞きたいお」

(‘A`)「まー間違いなく多重人格とかのアレだろうな。ビューティフル・マインドファイトクラブ俺たちに翼はない素晴らしき日々、まあいろいろだが、抑圧された俺の意識がお前を生み出したんだ」

( ^ω^)「僕はタイラー・ダーデンってことかお。ブラピかお。かっけーお」

(‘A`)「でも理想にしてはお前はなんかこう……ルックスも微妙だし……カッコいいセリフ連発してくれねーし……」

( ^ω^)「うふふ」

(‘A`)「だからまーなんか、俺の良心みたいなもんだと思ってる」

( ^ω^)「僕が良心だとしたら、お前はなんなんだお? 独男の本質、かお?」

(‘A`)「アイデンティティってのはなんとも90年代って感じで、2016年に発言すると馬鹿げてるよなあ……」

( ^ω^)「そうだお。『僕は一体何者なんだ』と問うのは罠だお」

(‘A`)「だが俺は自意識を殺す気はない。俺は他人とは違う何者かでいたい」

( ^ω^;)「そうあることを激しくオススメするお……もしお前が自意識を殺すと、僕死んじゃうお」

(‘A`)「……なるほどな」

( ^ω^)「僕は独男の、『肥大化した自意識』そのものだお。やっと気がついたかお」

(‘A`)「……なんで美少女じゃねーんだ」

( ^ω^)「サーセンwwwつーか最初のツッコミそれとかオタクきめーおw」

(‘A`)「肥大化……あっ、だからお前ピザなのか……」

( ^ω^)「ピキピキ」

(‘A`)「でもそうか。これが世間で言われてるところの自意識ってやつか。こうして見ると、まあなんともはや」

( ^ω^)「僕が独男に与えているのは、『意味』であり『物語』だお。僕がいるおかげで、独男のなんも意味もない生き方も劇的に見えるんだお。今日のことなんてお前、統失気味のコミュ症が、ひたすらポカやらかしてるだけだお。一行の説明に回収可能な、なんの意味もねーことだお」

(‘A`)「だが……そうだな……」

( ^ω^)「そうだお。僕のおかげで独男は、『友達の結婚式を守るために頑張る俺』になれたんだお」

( ^ω^)「それをサポートしてやったお」

(‘A`)「マッチポンプじゃねーか。自演じゃねーか」

( ^ω^)「それでいいんだお」

( ^ω^)「独男、現状を受け入れるお。もうおめーは僕無しでは生きられんお。その上で、でも、お前にはまだいくらでも可能性は残ってるお。どんな無意味なことだって、僕が感動的な物語に仕立て上げてやるお!」

( ^ω^)「だから独男! どんどん前に進んでいくんだお! お前の旅路は確実に劇的だお。僕がいる限り。お前が僕を殺さない限り。お前の生きる道はロマンチックであり続けるんだお。特別であり続けるんだお。意味を持ち続けるんだお!」

(‘A`)「内藤……」

( ^ω^)「さあ、なんでもやってみろお、独男! なんだって物語にしてやるお! 僕の肥大化っぷりなめんなお!!」

 独男はゆっくりとグレープフルーツジュースを口に含んだ。結婚式上で飲んだジュースと比べ、少し味が薄かったけれど、はちみつの風味が効いていて、どこか豪勢に感じた。

(‘A`)(あー、今日はグレープフルーツジュースを3杯も飲んじまったなー。しめて2000円分のグレープフルーツジュース。マック換算でいえば、ハンバーガー20個分だ)

 ハンバーガー20個というのは大量と言える数だった。独男の頭の中で、20個のハンバーガーがふわふわと浮かんだ。随分間抜けな光景だった。すぐに、かつて5つのハンバーガーを注文して食べたことを思い出した。20個といえば、あの時の4倍だ。思い浮かべただけで、独男は喉が渇いてくるような気がした。彼はグレープフルーツジュースをごくごくと飲み干してしまうと、座席に座り直し、辺りを見回した。客は彼以外いないようだった。グラスが空になったことを認めた店員が、独男の方にやってきた。もう注文した飲み物を全て飲み干してしまったので、追い出されるのではないかと独男は警戒した。しかし店員は微笑んで、独男にお冷のおかわりをついだ。この喫茶店は居心地がいいから、と独男は思った。もう少しここにいてもいいな。

 そう、彼はもう少しだけ、ここにいてもいいのだ。

 

 

 

 

 

みた映画とか


「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」日本版新予告

確か新宿バルト9で。

 あまりおもしろくない問題設定から生まれた結構見れる友情映画、それがシビルウォーキャプテン・アメリカ。まあキャップとトニーはひと目でメチャシコの関係だから、単純に二人が喧嘩するだけでも面白いんだけど、そこにキャップの元カノに相当するウィンター・ソルジャーまでぶち込んでくるのですごい。個人的には、キャップに裏切られたこと、具体的にはウィンター・ソルジャーによる蛮行をキャップが隠していたことを知った時のトニーさんの演技が迫真で大好き。あれは最近見た中でも一番おいしいシーンの一つ。

 というかキャップみたいな堅物キャラが姫になれるアメコミワールドはやっぱ保守派の聖地だよなあとかなんとか。

 

デッドプール 日本版本予告(90秒)

ピカデリーで。評判がいい。

 なんというかまあいろいろ言われてるんだけど、パロディが多い。でもパロディが手堅すぎた感はちょっとある。パロディの手堅さってなんだよという話だが、私の理解においてパロディの面白さは、それ自体のネタとしてのクオリティと、文脈中断による面白さの2つに分類される。もう少し具体的にいうと、例えば「おー! あいつヒーロ風着地やってんじゃーん!」というツッコミはそれとしてお約束を茶化す面白さがあり、パロディとしてのクオリティが高い。これがパロディの持つ純粋な面白さである。一方、パロディはたいていの場合唐突に導入されるので、話の流れをぶった切るというどこかナンセンスギャグ的な面白さも持っている。この二種類の面白さのうち、私が好きなのは完全に後者からくる面白さなのだなあと思った。デップーのパロディはちょっとナンセンスさが足りないというか、このキャラならそういうツッコミするよね、という蓋然性があるのでスリルが全然ないというか。

 でもその蓋然性ができあがっていくことと、デップーのキャラクターが成立していくプロセスが非常によくかみ合っていて、そこがこの映画の評価ポイントではある。早い話デップーは悲惨な人生を送ってきた可哀想な奴であり、まあアメリカ映画に出てくるアウトロー全般に言えることだけど、そういう人間はパロディ的に生きねばならないわけで、言い換えると、ピエロ的にふざけて生きなければならない。自分のクソな人生に向き合うなんてもはや無理だからである。

 ただこの作品はここで一捻りを入れてくる。つまり、自分の人生から逃げ出す投げやりさのようなもの=無責任さに対して、彼はどこまでも誠実なのである。だから視聴者側からすると、彼がふざければふざけるほど彼の誠実さを見せつけられる気分になる。まあそこが私としてはちょっとさびしいんだけど、でもこの誠実さを見ていて優しい気持ちになれるのも事実だろう。デップーはピエロ化するはするのだが、しかしそこで自意識のこじらせにとどまらず、ピエロ業に対して真剣に取り組むことができるというとんでもない聖人なので、実際尊い。正直現代における承認の問題に対する切り込み方としてかなり正しい作品だと思う。売れてるのも納得。

 

『ズートピア』予告編

 

アートフォーラムで(どこだよw と思ってはいけない)

 ディズニーにしては子供向けだなあという感想。実際作品としての完成度はアナ雪の方がはるかに高い。というかこのテーマはディズニーにやられてもなーという。完全にドリームワークス向けのテーマ。

 まあ社会問題を人間関係に落としこむという手法はわかりやすくはあるんだけど、加害者性の強調が中途半端なんだよなあという。ウサギは単に狐に悪いことをしたのではなく、マイノリティ、ひいては社会全体に対して悪いことをしたのであって、正直その責任の重大さが言及されなさすぎ。あんたがやったことはバッジを返上したり泣きついたりして済む問題じゃないんですよとなる。

 最大の問題として、和解のカタルシスがあんまり無いことがあげられる。つまり、問題設定を人間関係レベルに落とし込んだ時点で、その解決も当然人間関係のレベルにおいて、つまり和解という形をとってなされるべきだと私は思うのだが、この作品はあまり和解のシーンを真面目に扱ってなくて、むしろウサギのトラウマ解消の方に、つまり個人的なレベルの問題解消の方に焦点をあてていて、これが私的には合わなかったなあ。結果としてトラウマも人間関係も両方中途半端になってた感がある。せめてどっちかに振ってればまだ見れたと思われる。

 まあそもそも論として。あまりこういう言い方はしたくないんだけど、差別されたことによって破綻した関係は、純粋に人間関係的仲直り戦術じゃあ修復できないんじゃないのっていうか、二人の人間関係の問題に回収しきれないからこそ差別ってやばいんじゃないのっていう。この作品は明確に差別の問題を人間関係の問題に置き換えていて、まあ被害者/加害者の実像を浮かび上がらせるという意味でそれは戦術的には正しいんだけど、でもその正しさってあくまで戦術的な水準のものにすぎませんよねという。私などはそれって問題の矮小化だよねとどうしても思ってしまう。